雖然我不能等見面在日本的朋友,但離別這裡的阿嬤阿公覺得好寂寞><.

我一定要回來新竹啊.他們好熱情常常幫我這個不認真的人幫得很多.
對了,我不知道我的漢語有意思.我回去之後也要努力學漢語呀.不過我在大學學了簡體字,台灣生活之後我覺繁體字覺得超酷啦.

不管怎麼樣,我要好玩在這裡殘餘的生活!!
このまえ、近所のおばあちゃんが亡くなった。

ずっと病院で寝たきりだったらしく俺はあったことはなかったが、昔はインターン先の社区にも来ていたらしい。

今日はそのおばあちゃんのお葬式だった。

葬式は儀式であり、当然だが宗教と深くかかわっている。

日本では仏教式であげることがほとんどだろうが、台湾の場合は道教だ。

葬式に参加してまず驚いたのは、屋外であったということ。
これがスタンダードなのか例外なのかはわからないが、社区に仮設のテントを張ってそこで葬式を取りおこなった。式には親戚と思われる方々や地域の人がたくさん訪れていた。

まず日本と違かったのは、服装が普段着だったこと。そのうえに女性はあたまに白いタオルをかぶり、ピンクのタオルをスカートのようにまいていた。男性は白いタオルをはちまきのようにまいていた。
また、厳かに行われる日本のものと違って、ある程度にぎやかだった。演者がいて歌を歌ったり曲を演奏していた。また、故人のまわりにはシャボン玉が常にふわふわと浮かんでいた。


これが今日の朝の話である。


そして今日の夜は、社区で授業を行った後に市街地へでかけた。
ホームステイ先のお兄さんの会社の同僚の誕生日会があり、連れて行ってもらった。

これは別に伝統的な祝い方をするわけでもないので、日本と変わらない風景。
カラオケでお酒を飲みながらわいわいとさわぎ、ケーキをぶつけあって楽しんだ。
俺は台湾の歌を数曲と日本の歌を数曲うたわせてもらった。

「手牽手」http://www.youtube.com/watch?v=nS80nuP_wMQ

これは俺の一番好きな歌だ。この歌は大陸で始まり猛威をふるったSARSに苦しむ人のために作られたもので、台湾のビッグスター86名が無償で参加したチャリティソング。we are the worldの台湾版だと思ってくれればわかりやすいと思う。

歌詞もとてもいいのだが、中国語がまったくわからなくても問題なく感動できる。
いちおう歌詞を末尾に添付したおいた。是非聞いてみてほしい。


話はそれたが、そんなかんだで今日は一日に葬式と誕生日会を経験した。

片方は生命の終わりの儀式であり、片方は生命の始まりを祝う儀式である。

命は必ずどこかで終わる。
葬式でそんな当たり前のことを感じつつ、誕生日会でこの世に生まれてきたことの素晴らしさを感じた。


一度きりの人生。精いっぱい生きよう。


そう思った。



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手をたずさえて

この世界 ちょっと見たところ元気がないね(蔡琴)
君の微笑んだ顔 少し疲れてる(王力宏)
顔を上げてごらん 空が明るくなってきたよ(許茹芸)
あきらめないで きみの希望と期待(孫燕姿)

砂漠の一滴の涙 緑たたえた湖水に変わる(周華健、林慧萍)
まごころは夢の実現を眼にすることができる(伍思凱)

手をたずさえよう わが友よ([广/臾]澄慶)
愛は永遠にきみのそばに([广/臾]澄慶/李心潔)
もう恐れることはない あきらめちゃだめだ(張信哲/順子)
すべて乗り越えられるよ (陶晶瑩)
だって僕らには あしたの虹がある(呉宗憲)
手をたずさえよう わが友よ(energy)
愛は永遠にきみのそばに(bad)

このとき 怖がって後ろに隠れたりしないで(張宇)
世界はもう少し信念が必要さ(蕭亞軒)
こんなことで きみを打ち負かしたりはできない (蔡依林)
きみにもあるのさ 思いがけない生命の彩り輝き(江[艸/惠])

苦しみが去ったそのときに(蘇[艸/丙] 遊鴻明)
悲しみは止むだろう(蘇[艸/丙] 遊鴻明)
きみの近くの愛を感じて その存在を (動力火車)

手をたずさえよう わが友よ (張清芳 范逸臣)
愛は永遠にきみのそばに (張清芳 范逸臣)
もう恐れることはない あきらめちゃだめだ(周杰倫 張惠妹)
すべて乗り越えられるよ(周杰倫 張惠妹)
だって僕らには あしたの虹がある(張惠妹)

僕の手 暖かい火種を握ってる(王力宏)
散らすよ光と熱を そしたら笑顔が見れる(陶[吉吉])

手をたずさえよう わが友よ(徐若[王宣])
愛は永遠にきみのそばに(信樂團)
もう恐れることはない あきらめちゃだめだ(tension)
すべて乗り越えられるさ(老[父/多])
だって僕らには あしたの虹がある([广/臾]澄慶、彭佳慧)

手をたずさえよう わが友よ(合唱)
    [广/臾]澄慶「わが友よ」
    「友達よ」
愛は永遠にきみのそばに
    「きみのそばに」
もう恐れることはない あきらめちゃだめだ
すべて乗り越えられるよ 
     「あなたなら乗り越えられるよ」
だって僕らには あしたの虹がある
     阿妹「ああ、あしたの虹が」

手をたずさえよう わが友よ(machi)
     李[王文]「wo~」
愛は永遠にきみのそばに (s.h.e.)
     李[王文]「wo~」
手をとりあって乗り越えよう (可米小子)
愛は永遠にきみのそばに(周渝民 朱孝天)
     王力宏「yeah~きみのそばに」
     動力火車「wow~yeah~」

手をたずさえよう わが友よ (合唱)
    「わが友よ」
愛は永遠にきみのそばに
    順子「きみのそばに」
もう恐れることはない あきらめちゃだめだ
    「恐れることない」
すべて乗り越えられるよ
    阿妹「このすべて乗り越えられるよ」
僕と手をつないで あしたの虹を見よう
    [广/臾]澄慶「僕の手を」

手をたずさえよう わが友よ(合唱)
    阿妹「私と手をつないで」
愛は永遠にきみのそばに
    陶[吉吉]「阿妹が僕の手をつないでいるよ」
手をとりあって乗り越えよう
    「手をつないで 手をつないで」
    陶[吉吉]「いっしょに乗り越えよう」
愛は永遠にきみのそばに

手をたずさえよう(陶[吉吉])
わが友よ(王力宏)



肩書なんてくだらない、って言う人がいる。
けど誰でも情報を発信できるようになった今、信用ある情報を探してくるためにはある程度肩書に注意することが必要だと思う。

だって、結局は「誰が話しているか」が決定的な意味を持つから。
例えば、

Aさん「地道に努力することが大事。」
Bさん「果敢に挑戦することが大事。」

と言われたら、俺はどっちの言葉を参考にすべきがわからないけど、

イチロー「地道に努力することが大事」
ニート「果敢に挑戦することが大事。」

と言われたら俺は「地道に努力をする」ことを選択する。それはイチローが毎日毎日バッドをふってきたことを知っているから。
けど、

ニート「地道に努力することが大事」
孫正義「果敢に挑戦することが大事」

と言われたら俺は「果敢に挑戦する」ことを選択する。それは孫正義がドコモとAUの牙城を壊しソフトバンクを成長させてきたことを知っているから。

当たり前だけど、こんな感じで言葉とそれを発する人間は切っても切れない関係にある。
その人がどんな経験をしているか、によって言葉のもつ意味は重みがまったく変わってくる。

就職活動も同じ。
何を話すかよりも、誰が話すかが大事。自分の言葉はきちんと重みがありますよ、というのを理解させなきゃいけない。

俺はできるだけ言葉に意味を持たせられる人になりたい。
だからにたくさん経験を積んで言葉を経験からだせるようにしたいと思う。