ニシムだ。
まず先週の件だが、今はもう体調不良が治って元気にやれている。心配してくれた方、本当にありがとう。
今週はその埋め合わせとして、よろしく頼む。
今日はテスト期間ながらも、部活動にたくさんの人が参加していた。
みんなで体幹トレーニングをしたり、ゴムでお尻トレーニングをしたり、綱で太鼓の達人(?)をしたり。
充実した補強にだった。
こうやって、いつも通り部活動に参加して、何気ないことで大爆笑して。
キツいメニューこなす時は声掛けあって、終わったら「お疲れ〜」の一言。

毎日当然のように過ぎていく日常の1ピースだけれど、こうやっていられる日も後十日しかないと思うと。
短いなぁ、二年間。
思い出せば、色々あった。
今日はこれまでの私の陸上を振り返ろうと思う。
小学六年生。
苦手なスポーツはボールスポーツ全般。
足の速さは学年で2番目(16人中)。
やりたい事も大して無かったが、走る事は平均以上にできたのでJACという陸上クラブに入ってみた。
この頃は走るコツも何も、速く走ろうとすることだけに一生懸命だった。
クラブ対抗リレーで入賞した時は、本当に嬉しかった。アンカーを務め、責任感を子供ながらに感じながら必死で前を追い抜こうと走ったなぁ。
チームにはみんな大好き、ツカモトがいた。
実は私、部活内でツカモトの悪影響を受けた第一人者なのだ。
ツカモトは今こそ見る影はないが、足は速いし頭は良いし、小さな私からすれば憧れだった。
そして、気が付けばツカモトの後を追って附属中入学。
入学説明会では隣の席がハルモトだった。
「陸上やってたよね?」と自己紹介に夢中になっていたら「喋るな。」ってガチトーンで叱られたのは、良い思い出。
入学初っ端から大目玉を喰らったにしろ、お互い陸上をしていたと知って、とても嬉しかった。
入部式、癖の強い奴らばっかだなって思った。
ツカモトはいつも通りだったけれど、「頑張ります」
の一言で自己紹介を終わらせたナカガワ、一位しか目指していない強気level.99のクワハラ、めっちゃ小さかったナカダ氏、真面目オニギリメガネのハルモト。
なんか、ワクワクしていたのを覚えている。
市選手権大会のリレーはいい思い出だった。
アンカーを務め、小学校で勝てなかったライバルを最後に追い抜いたのは気持ち良かった。
結果は二位。充実していた。
暗雲が翳り始めたのはこの頃から。
一年の終わり。
右足の股関節剥離骨折によって走れなくなった。
そして二年の夏、左足の股関節も剥離骨折。
一年間は陸上ができないと医者に言われ、何も楽しくなくなった。
この頃からだろうか、勉強もしなくなり堕落生活なら堕ちたのは。
後輩たちとも交流するのが怠かった。
イダやマエバとは謎のコミュニケーションを取り続けていたが、他とはあんまり。
ホリなんかはねっとりしていて、この頃は苦手だった。
三年生。
一年間を経てリンちゃんやらハルモト達は実力を伸ばし、もうリレーメンバーに入れる見込みは無かった。
そこで出会ったのが、400メートル。
こんなドM競技、一体何が良いのか始めは分からなかった。
が、市選手権大会に出たところ、なんと県大会への切符を勝ち取ることができた。
そこからタイムを伸ばす為に、毎朝400メートルを2本走った。
今思えば、泣けるレベルの脳筋メニューだなコレ。
朝学校に通うのがもう嫌で嫌でならなかったが、クワハラがいつも引っ張ってくれたから、なんとか続けることができたのだと思う。
ここで、私史に残る珍事が発生した。
テスト期間、大会一週間前の放課後に私はガラス目掛けて突進した。
ブレーキの壊れた暴走車さながら、派手に突っ込んだ。鼻は軟骨まで裂け、体中に切り傷。
楽しい放課後の部活動が阿鼻叫喚の地獄絵図へと化けた。
救急車に揺られ、十針縫われ、鼻に絆創膏を貼って。
少年漫画の主人公か、お前は。
そして気がつけば中部高校の陸上部にいたってわけだ。
なんか色々あったな。
今はどうかって?
それは最終回になるだろう来週に語ることにするよ。
まぁ、ネタバレするならば、今の部活はめちゃくちゃ楽しい。
同級生達と切磋琢磨し合うのも、後輩たちと下らない話で笑うのも。
充実してるわ。
後輩達が可愛すぎて、可愛すぎて、可愛すぎて。
別れたくねえーーーーーーーーーー!!!!!
もう、涙脆いおじさんの私はもう涙が止まらないよ。
んじゃ、また来週。
サババ。