私だ。ニシムだ。
今日は先週忘れていた詫びに、
情報量の多いブログを心がけようと思う。
そうだなあ、連想ゲームの様な芋づる式で語るのはどうだろうか。
まずは、今日の部活について。
久々の河川敷での部活だった。
雪が積もっていたので雪かきから始まり、河川敷の坂道をダッシュした。
雪かきというのも結構な運動らしい。
が、私はツカモトと猥談や青春談に耽っていたので、
あんまり疲れていないというのが事実。
楽しい会話であった。
では青春という言葉から。
先日、弟から聞いた話になるが、中学の英語の教科書が大幅に変わるらしい。
そこで懸念したのが我らが青春、エレン・ベーカー先生だ。

彼女は私たちの中学時代の教科書に出てきた、
英語の先生兼、仮想彼女であった。
そのキュートなルックスから、男子生徒、教師に多大な人気を博し、根強いファンも多く見られると思われる。
また、私は安藤咲派で、弟はディーパミトラ派である。

そんな彼女たちが教科書改変により、消えてしまうらしい。
憂鬱過ぎて、眠れない夜が続いてる近頃である。
次、憂鬱という言葉から。
そう言えば最近、ある気づきがあった。
好きな小説の押し売りになるが、かの天才発明家、エジソンの名言についてである。
彼はこう言った。
「天才とは、99%の努力と1%の才能である」
と。
これは確かに的を射た言葉だ。
しかし、こう読み取ることもできないか?
猿と人間の違いは、その1%の才能の有無だと。
つまり、エジソンはその1%の才能を持たず努力する人の愚かさを嘆いてこの発言をしたのでは?
無論、これは読み過ぎだし、かなり偏った考えである。信じる必要など、露ほども無い。
むしろ、んなわけねえだろの精神が大切だぞ。
最後に、露について。
露(つゆ)とは、葉の上に滴る雫や、とても数が少ないものの例えとして、古代平安時代から愛される風流ある言葉だ。
また、梅雨は(あらは)と読むこともできる。
古文では「あらはなり」という、丸見えを意味する言葉があるが、これは日本のある文化に起因している。
その文化とは、覗き見だ。
男性ならば、誰もが憧れたことがあるだろうアレのことだ。
世間一般では、覗き見は「下賤な男のする下衆の極み」とかなりの悪印象を受けがちだが、これは前述した様に日本の立派な伝統文化だ。
何せ、あの光源氏や在原業平ですら、覗き見をしていたのだ。
きっと彼らも、「あらはなり、あらはなりッ!!」と、舌舐めずりながら覗き見ていたことだろう。
今日は豪華な内容になってしまったなぁ。
ご拝読、有難う御座います。
では、サバら。