「熱田火力発電所」は、かつて名鉄・神宮前駅の東、新堀川沿いの名古屋市南区熱田東町(現・熱田区花表町)にあった。現在、ホームセンターと大型スーパーの敷地となっている場所である。

 

熱田火力発電所は、名古屋電燈株式会社により大正4年9月に1号機(3,000kW)が完成し、その後、2号機(大正6年11月、4,000kW)、3号機(大正7年6月、3,000kW)まで増設され、総出力は10,000kWを誇った。また、熱田火力2号機の完成により、老朽化していた水主町発電所(旧第三発電所)は大正7年3月に廃止されている。

△絵葉書 名古屋電燈 熱田発電所

△跡地にホームセンター(脇を名鉄本線が走る)

 

 

調査研究によると、当時、名古屋市内に電力供給していた名古屋電燈株式会社では、明治43年に長良川水力発電所(美濃市、出力4,200kW)、明治44年に木曽川水力発電所(八百津町、出力7,500kW)と次々と完成させていた。

とくに木曽川発電所では2,500kWの発電機4台を備えていたが、そのうちの1台は緊急時のバックアップ予備機に回されており、緊急時以外は運転ができない状態であった。発電単価が安い水力発電機4台をフル稼働させるため、緊急時用と渇水期対策としてこの熱田火力を完成させたと伝わっている。

 

△絵葉書 愛知電気鉄道(開業記念) 天白川橋梁
 

さらに明治末頃から、「愛知電気鉄道」(名鉄の前身)によって神宮前と知多半島の電気鉄道の敷設が進められており、大正2年8月31日には神宮前~常滑間29.5 kmで全線開通した。このため、名古屋電燈の大口需要家となった愛知電気鉄道に対して安定的に電力供給を行うため、熱田火力の建設が進められたという事情もあったようだ。

 

以上のように、熱田火力の建設は、①既存の水主町発電所の老朽化への対応、②愛知電気鉄道への電力供給、③水力予備機の有効活用、という3点の理由であったと云われている。熱田火力は水力発電の渇水期や故障時に対応する「補給火力」として位置付けられて建設されたことが判る。このあたりの事情を調査された研究者にはこの場で感謝申し上げたい。

 

そういえば思い出した。平成の初め頃、この地には住宅展示場があり、赤く塗られた煙突がシンボルで「赤い煙突の住宅展示場」と謳っていた記憶があり、もしかしてあれは熱田火力発電所の煙突だったのかも…。 Wikipediaをみると、『中京テレビハウジングプラザ神宮(名古屋市熱田区花表町)(平成17年閉鎖)。現在、DCM21熱田店に姿を変えている。ハウジングプラザ神宮には赤い煙突が目印として立っていた』とある。絶対そうだ。

△ホームセンター前を流れる新堀川と名鉄電車(この川の水を取水して冷却水としていたのか)

△火力発電のしくみ(冷却は通常海水で行うが、新堀川の河川水で行っていたようだ)



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