岐阜県東濃地方に源を発し、愛岐県境を越えて、愛知県春日井市で濃尾平野にそそぐ庄内川。岐阜県東濃地方では土岐川と呼ばれ、県境を越えて愛知県春日井市付近では玉野川と呼ばれる。

愛岐県境の山々を削り取った「玉野川渓谷」に大正13年、中央線・定光寺駅が設置されてから、名古屋の奥座敷として、涼を求めて訪れる名古屋人のための料理屋や茶店、土産店が立ち並んだ。

この地に、享保14年、地元玉野村の加藤助左衛門により水不足を解消するための「玉野用水」が開削され、玉野村20町歩に農業用水を供給した。

△絵葉書 玉川水力電気 取入口全景
△中部電力 玉野発電所
△玉野堰堤・玉野用水 都市景観形成建築物
 
大正5年、この玉野用水を利用し玉野堰堤で取水した水を約2㌔下流へ導水「玉野発電所」で発電する事業計画が立案され、「玉川水力電気」が地元の森勇太郎氏を中心に設立された。大正10年に500kWで発電を開始する。水車はスイスのエッシャウイス社製、発電機は米国のウェスティンハウス社製であった。
発電された電気は、地元の定光寺や高蔵寺、当時は未点灯集落があった遠く名古屋市名東区猪高町、日進市、長久手市辺りまで供給された。「玉川水力電気」は、開業前の大正6年に「名古屋電燈」から卸供給を受けて営業を開始し、玉野発電所完成前の大正9年に「愛岐興業」と合併した。

 

なお、東春日井郡に属していた玉野村、気噴村、高蔵寺村、外之原村が大合併して、明治22年に玉川村(現春日井市)が誕生している。「玉野発電所」は現在も中部電力㈱に引き継がれ、愛知県尾張地方唯一の水力発電所として発電を続けている。平成12年には春日井市より、「玉野堰堤」、「玉野用水」、「玉野発電所」が都市景観形成建築物に指定された。

△庄内川(地元では玉野川渓谷と呼ばれる)

 

<補足>「玉川」、「玉野」の由来について、下記、情報提供を頂きました。
…岐阜県恵那郡の夕立山を水源として愛知県を通り伊勢湾に流れ込む庄内川を、このあたりでは「玉の川」といいました。川の流れが透き通るようにきれいで、川底の石が玉のように見えたことから名付けられ、村の名前は玉の川北岸の盆地のような平野が開けていたところから「玉野」と呼んだといわれています。また、昔、玉造りが住んでいたという伝えもありますがはっきりしません。地元・玉川小学校の校歌の2番には、「紅葉にはえる 玉川の 清い流れを 下に見て・・」 と歌われています。
<注意>ネット検索すると、玉野発電所を建設した会社の社名が「玉野水電(株)」となっているものが見受けられるが、正しくは「玉川水力電気(株)」であり、省略するとしても「玉川水電(株)」までである。
 
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