戦前、岐阜県多治見町(現多治見市)にあった「多治見電燈所・第一発電所」の絵葉書を発見した!! 発電所建屋の壁に「發電所」という文字が見えるのが非常に面白い。

「多治見電燈所」は戦後の電力再編により誕生した「中部電力株式会社」の設立に大きく影響を与えた電燈会社のひとつである。絵葉書の第一発電所は本体や付属施設の石積みが美しい水力発電所として有名であったが、河川改修によって廃止となっている。その多治見電燈所を紹介したい。

△絵葉書「多治見水力電気発電所」

△多治見電燈 第一発電所跡

 

 

△土岐川 渓谷

 

岐阜県土岐郡多治見町本町(現多治見市)で雑貨商「北丸屋」を営んでいた加藤喜平と弟の加藤乙三郎(初代)は明治35年4月に電気事業の申請を行い、同年9月に「多治見電燈所」を発足させた。加藤兄弟は協力して土岐川に水力発電所の建設を進めて、明治39年9月に多治見町に送電を開始した。 

△多治見電燈所本社跡(多治見市本町)

 

「北丸屋」は、味噌やたまり、金物、薪炭、亜炭、火薬など扱う一方で、水車を利用して陶土粉砕も行っていた。多治見は今でも美濃焼の産地のひとつである。陶石の水車方式による粉砕から電気方式による粉砕を目論んでいた加藤喜平は水力発電の計画を進めていた。

喜平たちが建設した水力発電所が絵葉書にある「第一発電所」で、のちに中部電力・土岐川発電所となる。出力は360kWで水車はフォイト社製、発電機はシーメンス社製であったと云う。その後、第二発電所、第三発電所、第四発電所まで手掛けることとなる。 

多治見電燈所は、大正13年2月には会社組織となり「初代・中部電力」を名乗ることとなる。その後、昭和5年に岡崎電燈と合併して、「二代目・中部電力」となった。この後も、第一発電所~第四発電所は、中部合同電気、中部配電へと引き継がれて、現在の「中部電力(三代目)」の所属となった。

 

しかしながら、絵葉書の土岐川発電所は、平成14年に国土交通省による土岐川改修工事によって廃止されている。誠に残念。 

 

 

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