明治31年刊の『松本繁盛記』には、「松本電燈株式会社」の設立経緯が記されている。

松本電燈株式会社は、南深志仲町の中央南側に在り、資本金五万円にして、明治三十一年一月十二日設立の免許を得たり。同社は当町を去る二里余、入山辺村薄川の水力を利用し、発電所を同村字舟付に設け、水車を米国最新式レッフェル形オリゾンタルシングテスチャアテを用ひ、総馬力五百十馬力にして、松本町及び本郷村の一部を区域として電灯と電力の供給を目的とす。而して同社設立の起源は明治二十七年一月中にして水力は故山崎庄三氏(先代)の発見に係り、当時在京の桑子録氏と当地・山崎庄三(二代)と相応じて電気事業の取調べに着手し、以て本社の発起を見るに至れり。爾来幾多の支障に遭遇せしも着々其歩を進め、目下巳に工事に着手せるを以て遅くも来る明治三十二年の春に完成して、松本の天地に一段の光彩を副へん。同社の専務取締役は山崎庄三にして、取締役は鈴木茂七郎、小木曽政治郎、山崎庄十郎、平林庄治郎の四氏、監査役は降旗元太郎、中田東次、堅石助十郎の三氏なりとす。工事施設の主任技師は工学士・月野正五郎氏なり」とあり、設立の経緯が明らかにされている。

△松本電燈 創立二十周年祝賀記念 絵葉書 「発電所、松本電燈本社」

△松本電燈 開業拾年祝賀記念 絵葉書 「水槽及び剰水路」、「第三号水車及び配電室」

 

初代社長となる穀物商・山崎庄三らの手により明治31年5月20日、資本金5万円で設立された「松本電燈」は、松本市内を流れる薄川の水利権を取得し、明治32年12月13日に「薄川第一発電所」(出力60kW)の営業運転を開始した。これに先立つ同年10月の試運転の際には松本城近くの四柱神社境内でアーク灯照明が灯されて評判になっていた。

その後電力需要の高まりにより、松本電燈は薄川上流部に、明治45年に第二発電所、大正9年に第三発電所、昭和3年に第四発電所をそれぞれ増強した。これらは現在でも中部電力㈱によって運転されている。

なお、薄川第一発電所には、「ここ松本平 電気発祥の地」という石碑が建てられており、市内「四柱神社」の境内には「電気の燈 初めてここにともる」の石碑も設置されている。

△薄川第一発電所の構内にある「ここ松本平 電気発祥の地」の碑と第一発電所建屋

△第一発電所構内に展示されている水車

△松本電燈 開業拾年祝賀記念絵葉書(松本城)


 

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