舟形光背に三猿、日月をあしらい餓鬼を踏みしめています。六臂合掌形ですが、持ち物で明確に判別できるのは右手の矛だけです。頭には蛇がとぐろを巻いているようにも見えます。
鑁阿寺を開いた足利義兼公が身内の菩提を弔うため建立した樺崎寺がこの地に建てられました。明治期の廃仏毀釈のあおりを受け廃寺となりましたが、八幡さまを勧請した樺崎八幡宮が今も残っております。本殿は義兼公が入滅した地の上に建っているそうです。
義兼公が奥州征伐に赴いた際に見て平泉文化を模した庭園も再現する試みがなされ池が復元されています。樺崎寺の遺構は何も残っておりませんが高台から池を見下ろしながら佇むと往時を偲ぶことができます。