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第二部 6.春が訪れる前に-6

 激しい炎が揺らめく釜を覗き込んだときのように、ジェニーの首から耳にかけての肌が、かっと熱くなった。嘘だ、とジェニーの口に出かかった一言は、熱をもった舌先で、音とならずに蒸発してしまう。
 王妃はジェニーを見つめ返し、笑顔を一瞬にしてなくした。
「……怖い顔をなさるのね」
 ジェニーはこみ上げた怒りにまかせ、王妃につい不躾な態度をとってしまったことを反省した。彼女から一歩下がり、ジェニーは膝を曲げて頭を下げる。
「申し訳ありません」
 だが、ジェニーは戸惑ってもいた。ジェニーが知る王妃は、お人好しと呼ばれる行為はしても他人の心を平気で傷つけるような行為はしそうもなかった。王妃がさっきまで見せていた笑顔はあどけなく、汚れを知らない少女のようだ。彼女の清い心を映したような澄んだ瞳も健在だ。でも王妃からは、気弱そうな、おどおどした態度がなくなっている。
 王妃の手がジェニーの前に差し出された。ひとさし指に、小さな緑色の宝石を抱いた銀色の指輪がはまっている。王妃は、面をお上げなさい、とジェニーに言った。
「いいの。嘘をつくなんて……あまり褒められることではないもの。王のために怒ったのでしょう? 王が実のお母様である先王妃を処刑なさったこと――当然あなたもご存知でしょうから、私が広めた噂をお聞きになった王が、おかわいそうと思ったのね」
「はい」
 ジェニーが迷わず即答すると、王妃は苦笑し、口元を手で覆った。
「正直なお方ね。庶民の方々楽天 バッグ
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は皆、あなたみたいに率直にしゃべるの? でも……残念だわ。私がカローニャの王女に生まれなければ――どこかの町の娘として生まれ、王妃でなかったら……私はあなたとは仲良くなれたように思えてならないの」
 ジェニーは王妃の言葉に身震いし、またもや不躾にも彼女を見つめてしまった。
「そう言っても、あなたは信じないわね」
「畏れながら、王妃様。私も以前から、同じことを感じていました」
 ジェニーが言うと、王妃の微笑みから穏やかさがすっと消えた。王妃は瞬きすら忘れたように、大きな深い青い瞳を見開き、ジェニーを見つめる。
 王妃の瞳に涙がにじみ出すと、ジェニーは彼女の秘めた想いを感じ取り、胸が重くなった。王妃は王をまだ愛しており、彼の暗殺を謀った護衛の男と王妃は、人々に後ろ指をさされるような関係ではなかったのだ。このとき、ジェニーは自分の考えが正しかったと確信していた。
 では、どうして? 王妃はなぜ、自らの立場を追い込むような証言をしたのだろう?

 一度俯き、指で涙を拭いとった王妃は、ジェニーの視線に応じようとしなかった。ジェニーと向き合えば号泣してしまうと、彼女は分かっていたのだろう。
「王妃様、王がかわいそうだと分かっていながら、どうしてそんな噂を流したんですか?」
 だが、ジェニーがそう尋ねると、王妃の沈痛な表情は怒りを抑えたような顔に一変した。
「王がおかわいそう……? でも、王には心の拠り所となってくれるあなたがいるわ。あなたが罪人に誘拐されて行方不明となったあと、王は私と結婚してからも、手を尽くしてあなたを捜索したと聞いたわ。王があなたを深く愛しておられること……私は、心ではそれを認めたくなかったけれど、理解していたつもりなの。
 でも……あなたが羨ましかったわ。私が一緒でも、王の心は常にあなたのもと。私が妃としてふさわしくなれるように努めたとしても、王の心は少しも動かないの。王のお気に召すようにと化粧や外見を変える努力もしてみたけれど……無駄だった。王のあなたへの想いは強くて、私はそれを知るたび、いつも打ちのめされた。それに、私は王妃なのに、あなたのように王の御子がもうけられない……。最近では、私の顔を見れば『ご世継ぎを』と言っていた女官長も、何も口にしなくなったのよ。女官長の言葉があんなに重荷だったのに、いざ聞けなくなると……」
 王妃は言葉に詰まり、細い二つの眉を寄せた。黒い眉が震えていて、王妃は涙を見せまいと必死に我慢しているようだった。王妃が堪えている悲痛な叫びが、目に見えない振動となってジェニーにも伝わってくる。
 ジェニーは王妃が肩を大きく上下させて深呼吸したのを見て、口を挟むのをあきらめた。王妃は、皆に語らなかった真相を明かそうとしている。
「あなたがいなかったら、この状況はきっと違っていた。……何回もそう思ったわ。王に妃として愛されなかったとしても、あなたがいなければ……あなたがいなかったら、王があなたを想う姿を私はこの目で見ずにいられる。あなたがいなければ、どんなによかったか……」
 ジェニーだって、王妃がいなければよかったのに、と何度となく思ったものだ。ジェニーと違って王妃は、彼女が望めば、自ら王に会いに行ける。王に会えない時間をジェニーは今でこそ楽しめるようになったが、王のいない時間と空間を寂しく感じ、我慢する日々が過去にはあった。
 王妃が大きなため息をつき、ジェニーに引きつった笑いを見せる。
「あれはたしか、闘技大会の少しあとよ。晩餐を終えて部屋を出たところで、私は、王がサンジェルマンから何か手渡されたのを見たの。――ええ、あなたからの手紙。王は緊急用件だと思われたのか、急いでそれを開いたわ。そして、私は見たの。それを読まれているときの、王のなんてお幸せそうな顔……!」
 その場面を思い出して感極まったのか、王妃は両手で顔を押さえてしゃがみこんだ。ジェニーは同じようにしゃがみ、彼女の震える背中に手を伸ばしかけ、思い直して手を止めた。王妃にむやみに触れることは失礼にあたり、彼女に同情していると取られたくもない。ジェニーは彼女の細く小さな背中を見つめた。

 数分後、ジェニーは躊躇いながらも王妃に声をかけた。やっと顔をあげた王妃は泣いてはおらず、涙を流した形跡もなかった。
「あなたが死んでしまったらいい、と思ったのは、そのときよ……」
 ジェニーが驚愕すると、王妃は鈴の音のような軽い笑い声をたてた。
「自分でも、そんなことを思った自分にびっくりしたの。人の死を願うなんて神に背くことよ、私は自分を責めたわ。ずっと苦しかった。……でも、その思いは頭からずっと離れなくて……」
 王妃は床に手をついて立ち上がり、しゃがんだままのジェニーを見下ろした。窓から入る日差しに照らされた王妃の顔は、まったくの無表情に見える。
 ジェニーは不意に感じた恐怖をひた隠し、王妃を見つめ返した。それから、彼女を刺激しないように、ゆっくりと床から立ち上がる。
 ジェニーが王妃の前に立つと、彼女はジェニーの背後にちらりと視線を動かした。ジェニーは王妃から目を離したくなかったので、音だけで背後の様子をうかがったが、特に気になる物音はしなかった。王妃が口を開いた。
「あなたが過去に遭った毒殺未遂は、私とは関係ないの。本当よ。……ごめんなさいね、それは私の侍女たちがよかれと思って、私に無断で実行したことだったの」
 ジェニーは死んだコレットを思い出し、無念さに胸をつかれた。
「あのお菓子を食べて亡くなった、コレットという者がいるんです。ご存知でしたか?」
「誰か死んだの? まあ……。主人の身代わりとなったのね……」
 王妃は、彼女の侍女が勝手にやったこととはいえ、仕方がない結果だったとでも言いたげな口調だった。お気の毒に、と王妃は目を伏せたが、巻き添えとなって死んでしまった者の命を悔やんでいるようではない。ジェニーは、これまで王妃に抱いていた、親切で人のよい人物という彼女への印象が急に揺らぎ始めるのを感じた。
「でも」と王妃は袖についた波状の飾りに手を触れ、ジェニーに言った。「……死ぬのはジルじゃなくて、あなたの方だったのよ」
 ジェニーは王妃の言葉にあまり驚かなかった。
「あの近衛が狙ったのは、実は王じゃなくて、私だった――ということでしょうか?」
「いいえ」
 王妃は笑い、ゆっくりと首を横に振った。
「ジルが飛び出して行ったとき、私はてっきりあなたのところへ行くものだと思ったの――私は以前から彼に、『あなたがいなければ私の人生は違ったかもしれない』とよく話していたから。でも、たぶん彼は、最初から王を襲うつもりだったのね……。
 私の侍女たちは、私を正妃としてたててくださる王に、あまり不満を抱いていなかったわ。でも私は……辛かった。ジルは、親身になって私の話をよく聞いてくれたものよ。でも彼は、責めを負うのはあなたではなく王で、王は私をないがしろにしている、とよく言ったわ。王の近衛兵という立場で、とても許される発言ではないわ。だから、私は彼をその都度いさめたけれど……私は、私の苦しみを解ってくれる味方がいる事が、本当に嬉しかった」
 王妃は、これまで見せてきた以上に幸せそうな微笑をジェニーに投げかけた。ジェニーはその笑顔を見ると、逆に、彼女が耐えてきた孤独と苦痛を見せられた気分になる。喉の奥が絞りあげられたように痛く、息が詰まるように感じた。
「でも、もしそうであれば――」ジェニーがかすれた声で言うと、王妃はジェニーから顔をそむけ、窓から空を見上げた。
「私が、王の暗殺未遂に関わっていない、とおっしゃりたいのね」
「はい」
 そうね、と王妃は肯定とも否定ともつかぬ返答をする。ジェニーは王妃に一歩近寄った。
「王妃様、事件に関与していないのなら、どうしてそう話さなかったんです? 王の暗殺は重罪です、たとえ王妃でもその罪から免れることは……できないかもしれません」
 王妃は振り向き、ジェニーの瞳をまっすぐに見つめた。
「知っているわ。先王妃のように処刑されるかどうか――それはまだ分からないけれど、私が遠隔地にある牢に搬送されることだけは知っているわ、王がそう言っていたから……。でも、それでいいの」 
「無実の罪をかぶって? そんなの、だめです……!」 
 王妃はジェニーの反応に驚いたようだったが、静かに、いいのよ、ともう一度繰り返した。
「よくありません」
 ジェニーがなおもそう主張すると、王妃は困ったように微笑み、また窓の外に目を向けた。王のことを想っているのか、ジェニーに説明を試みようと考えを整理しているのか、何かを思案しているようだった。

「ねえ、ジェニー」
 王妃に友人のように呼びかけられたとき、ジェニーは、興奮して胸につかえていた息を長々と吐き出しているところだった。
「はい」
 ジェニーの注意を引くと、王妃はジェニーに両手を伸ばし、ジェニーの手を取った。
「知っていた? 王は私の手をあまり取ろうとしないのよ。でも、あなたと王はいつも手を繋いでいるでしょう? ――実は、ときどき小城に見に行ったのよ。王は、あなたといつでも繋がっていたいのね」
 そう話しながら、王妃はジェニーの手を感慨深そうに見つめ、両手でそれを握る。王妃はジェニーの手を通じて王を思い出しているのか、大事そうに触れる王妃の両手を見て、ジェニーは彼女に何も言えなかった。
「ジェニー、私はあなたが嫌いではないけれど……できれば、王の近くにいてもらいたくなかった。あなたも同じようなことを、たぶん、私に思っていたでしょう?」
「――いえ」
 ひと呼吸の言いよどみを、王妃は好ましく思ったらしい。王妃は頬をゆるませた。
「あなたとはいつか……いいお友達になれたのに」
「私でよければ、いつでも」
 ジェニーは王妃の瞳を見上げながら同意したが、王妃は静かに首を横に振り、そっとジェニーの手を放した。
「……無理よ。私がしたことを聞けば、あなたは私をきっと許せないわ」
 王妃の口調があまりにも自信に満ちていて、ジェニーは不審に思う。
 ジェニーが王妃を許せないとしたら、何が理由になるのだろう? そして、ジェニーはふと、思い当たった。
「――王に何かしたんですか?」
 王妃が再び、ジェニーの後ろに視線をそらした。今度はジェニーも背後を振り返ったが、室内には誰もいない。扉は入室したときと変わらずに細く開いているものの、隣室にも人の気配は感じられなかった。
 ジェニーが王妃に視線を戻すと、それを待っていたように彼女は言った。
「私は、結婚した夫婦には愛情が通い合うと思っていたの。それが国の決めた相手でも、毎日一緒にいれば、いつかはそうなるものだとずっと……ずっと思っていたの。でも、私がどんなにがんばっても、王は私に……見向きもしない。さっきも言ったけれど、私は、王に深く愛されているあなたが本当に羨ましかった。私は王の妃だけれど、自分が王と結婚しているなんて、いつも思えなかった」
 王妃はため息をつき、力なく笑った。
「闘技大会での事件のあと、侍女たちはあなたを救出しようとしなかった王の姿勢を讃えたわ。でも、私はもっと別のことを思って憂鬱になったの。あの男たちは、あなたの命が危険に晒されれば、王を従わせることができると考えたのよ。王妃の私を狙わなかった。あんな……あんな者たちにまで、王が愛するのは妃でなく、あなただと知れ渡っているの……?」
 王妃が口にするのは、王への愛を裏打ちする内容ばかりだ。彼女の想いにあらためて驚かされたが、ジェニーは口を挟まなかった。
「王があなたからの手紙を読む姿を見たのは、その少しあとのことよ。私はジルにその話をしたの。彼は王に憤慨していたわ。……それから少し経った頃、ジルが解任されて――あの事件が起こったの。ジルが死んでしまうなんて、今でもまだ信じられないわ。あの血だらけの死体が、ジルだなんて……!
 彼の変わり果てた姿を見たときの私は、正気でなかったかもしれない。でもあのとき、私は王があなたの手を掴んでいるのを見たの。私がたった一人の友人を永遠に失ったというのに、王とあなたの絆は永遠に続きそうに見えた。私は王から、一度も妃としてみなされないのに……」
「……王はいつも、王妃様をヴィレールの王妃として見ていました」
「ああ、私は王に私のことを想ってもらいたかったの、あなたを想うように強く! でも……無理な願いだった……!」
 王妃は窓枠の上からショールを掴み取り、その下に現れた本を手で振り払った。分厚い本はジェニーの足に当たり、床に転げ落ちていく。ジェニーがそれを拾おうと手を伸ばすと、すかさず、王妃の手がそれを阻んだ。
「王妃様?」
「ライアン副隊長からジルとの仲を疑われたとき、王のお母様のことが頭に思い浮かんだの。王は、先王妃に強い思いを抱いておられるわ。それは憎しみだけかもしれない、でも……私がもし先王妃を彷彿させるような人間であれば――そうすれば、王が先王妃を思い出すときは必ず、私のことも思い出す。そうでしょう? 私がかつて妃だったことが、王の心にずっと残るの」
 それから王妃はジェニーを一瞥し、そのために先王妃の呪いの噂が必要だったの、とさらりと呟いた。ジェニーは自分の唇や頬が強張ったことを自覚した。ジェニーの喉が震えていた。
 王妃がジェニーの横から床に手を伸ばし、落下した本を拾い上げる。ジェニーは、王妃が背を伸ばし、本を窓枠に置き直すまで、まともに呼吸ができなかった。

 ジェニーが怒りを抑えきれず、嗚咽のような声を漏らすと、王妃が同情したように表情をくもらせた。
「王が私のことをいつまでも覚えているなんて、あなたはいい気分がしないでしょう?」
「そんなこと、どうでもいいんです!」
 喉から滑り落ちるように出た声を、ジェニーは抑えられなかった。
「王が先王妃のことで苦しんだ過去をご存知なんでしょう? なのに、どうしてそれを蒸し返すようなことをするんです? 王を愛しているならなおさら、どうして王が苦しむようなことをするんです!」
「……あなたに……王に愛されているあなたには、解らない。私が耐えてきた孤独と愛されない苦しみが、あなたに解るの? 少しだけよ……ほんの少しでいいから、王に私のことを想ってもらいたいだけなの。好きな相手に自分のことを考えてもらいたいと思うのが、そんなにも悪いこと?」
「ずっと苦悩してきた王をまた苦しめたいんですか? そんなの身勝手です! 王が来たらすぐ、事件への関与を否定してください……!」
 ジェニーの意思に背いて、涙が流れ落ちた。泣くつもりなどなかった。でも、王が苦悩した過去が、王の注意をひくための道具として利用されたのが、ジェニーには口惜しく、許せなかった。
 ジェニーは奥歯を噛み締めながら涙を我慢したが、無駄な努力に終わった。熱い涙は、豊富な源泉のように、あとからあとから湧き出て止まらない。王妃は、予想以上に興奮したジェニーの反応に茫然としているようだった。
 ジェニーが頬の涙を拭い、王妃にもう一声かけようとしたとき、隣室から大きな物音が聞こえてきた。二人は見つめあい、それから、開いている扉を見る。
「王妃様!」女の声が叫んだ。「王がお見えです!」
 それに引き続き、ジェニーが聞きなれた、王の足音が近づいてくる。



 王妃は王に何も告げなかった。王は、ジェニーに何も語らせなかった。王はジェニーの赤い目に気づいたはずだが、その理由を尋ねなかった。
 ジェニーを連れ、王は執務室のある棟の二階にある、広い部屋に入った。部屋の壁際には、重厚な趣の箪笥が二つ据えられている。部屋の中央寄りに置かれた丸テーブルと二脚の椅子。ほかに、家具らしき家具は置かれていない。丸テーブルの上には、光沢のある半透明のクリームが塗られた、甘い匂いを放つ丸いケーキが用意されていた。王はテーブルの前にある椅子の一つに座り、ジェニーを目で隣に呼び寄せた。
「……ここはあなたの部屋?」
「殺風景だと言いたいか?」
 ジェニーが小さく笑うと、王は彼の後ろにある幅広の扉を示し、にやりと笑った。
「寝室はもっと装飾品であふれておる。あとで見せてやろう」
 ジェニーが頷くと、王は満足そうに深く頷いた。
 それから、王は腰帯から短剣を取り出すと、それを使って器用にケーキに切れ目を入れていった。ケーキの生地に作られる細い筋を眺めていると、ジェニーはなぜか無性にむなしくなり、唇を噛んで俯いた。
「――妃と話しても、どうにもならぬと言うたであろう」
 王の何気ない口調に、ジェニーは顎を上げる。
「あなたは、何もかも知っていたの?」
「何もかもとは、何のことだ?」
 王は、切り分けたケーキの一つに短剣の先を突き刺し、持ち上げた。「これは、王である俺が最初に食べる」
 ジェニーは、王がケーキに直にかぶりつく様子をぼんやりと見つめた。
「あなたは私に何も訊かないのね」
 口に含んだケーキをのみこんでから、王は眉を寄せ、ジェニーに言った。
「訊いたところで何が変わる? おまえが何か証言したとしても、妃が何も語らぬのであれば、事態は一向に変わらぬ」
「だけど、あなたが――」
「ジェニー、おまえの涙は何のためだ?」
 王は指でジェニーの涙を拭い、短剣に突き刺していたケーキを皿の上に置いた。
「俺は今回の件で、それほどの痛手を被ってはおらぬ。噂に惑わされることもない。先王妃と今回の事件を結びつけて考えることもない。……いや、結びつかぬこともないぞ。両者とも、実際には夫を殺そうとしなかったという点では」
「……えっ?」
 王は、ひとさし指を唇の前に立てた。
「事実は必ずしも真実とは限らぬ。おまえが手紙に書いたとおりだ。だが、真実が明かされる方がよいとも限らぬ。真実を伏せておいた方が、幸せな場合もある」
 ジェニーが王妃の震える眉を思い出し、重いため息をつくと、王がジェニーの涙の跡を指でなぞった。
「おまえは、俺のことを思うがゆえに、そうやって気に病むのか?」
 ジェニーは少し考え、それを否定した。
「あなたの気分が滅入らなくていいように、代わりに私が沈んでるの」
「おまえはまた……変わった考え方をする」
 王は呆れたように笑ったが、決してばかにした笑いではない。
 王がジェニーの背に手をまわした。ジェニーが王に体を預けると、彼がさっき食べたばかりの、甘く香ばしい菓子の匂いがした。
「もう泣くな。俺を思い、俺のために涙を流すことはない」
「うん」
「俺の代わりに涙を流そうと思うな」
 ジェニーは頷かなかった。
「だが――」
 ジェニーが顔を上げると、王は焦ったように瞳を揺らし、ジェニーの頬に顔をくっつけて言った。
「だが、それをするおまえだからこそ、俺はこの世で……おまえをいちばん愛しいと思う」