第5話 仇討ち(後編)
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「さ、山賊だあ~~。
誰か、助けてくれ~~~!」
あんなすさんだ街の近くには、兇賊も多いかもしれんな、とバルドが思いをめぐらせた矢先、そんな声がした。
ここは山中である。
もう日は陰りかけている。
谷川のほとりに降りて、食事とねぐらの支度をしようとしたところだった。
襲われている旅人は、行商人のようだ。
谷川で水を飲んでいたのだろうか。
一人の山賊が、山刀のようなものを振り上げて襲い掛かっている。
「これはいかん。
助けてやりましょう」
と、ゴドン・ザルコスが言った。
声がうれしそうに聞こえるのは気のせいだろうか。
二人が斜面を駆け下りようとすると、何かを振り回して投げる音がした。
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スリングかの?
自身も少年の日にスリングが得意だったバルドは、すぐにそう気付いた。
何かが盗賊の腹に当たったようで、盗賊は腹を押さえて足を止めた。
そこに三人の影が走り寄った。
三人とも何か武器を持っているようだが、距離もあり、薄暗くなっていることもあって、はっきり何かとは分からない。
だが三人が盗賊に飛びかかって攻撃すると、すぐに盗賊は倒れて動かなくなった。
そうか。
あの三人の姿が見えたから、旅人は助けを求めて叫んだのか。
ところが、旅人は三人に感謝するどころか、石を拾って投げつけ、荷物を抱え直して街のほうに逃げて行った。
あまりといえばあまりの仕打ちに、
「や、何ということをするのか!
命の恩人に対して、なんとけしからんやつだ。
それにしても、あの三人、連携の取れたよい動きでしたなあ」
と、ゴドンが言った。
バルドの思いも、まったく同じである。
バルドとゴドンは、三人に近寄った。
近寄ってみて、驚いた。
三人とも、ひどく年取っていたのだ。
男が二人と、女が一人。
三人とも、とても小柄だ。
やせ細り、顔も体もしわだらけで、骨が浮き出ている。
野人の着るような、毛皮を継ぎ足したぼろを着ている。
髪の毛は白く、ざんばらで、至るところで抜け落ちている。
栄養も足りないのだろう。
皮膚の色は黒くどろどろに汚れている。
三人は用心深く、近寄っていったバルドとゴドンを見ている。
「お前たち、よくやった。
今の旅人を助けてやったのだな。
よい動きだった。
だが、今の男はひどいな。
助けられた礼を言うどころか、石を投げつけて逃げて行った。
今の男とは何かあったのか?」
そうゴドンが話し掛けると、三人はほっとした様子をみせた。
「いえ。
わっしら、山ん中に住まいいたしおりやして、あん|男《しと》とは会うたこともございやせん。
こんななりでごぜえやすから、里の|者《もん》は、わっしらを見かけると、|山《やま》ん|爺《じい》が出た、|山《やま》ん婆《ばあ》が出たちゅうて、怖がっては石を投げよりますんです」
「それは難儀なことだな」
「いえいえ。
そんなではごぜえやせん。
わっしら、いつもはずっと奥の山ん中に住まいいたしおりやすから、それでよろしいんで。
里の|者《もん》が寄って来んで、逃げてくれたら、ありがてぇんで」
「ははは。
そうか、そうか。
ところで、その盗賊は死んだのか」
「へえ。
間違えのう死んでおりやすんで。
使える|物《もん》を剥いで、埋めてやりてぇんでやすが、よろしゅうござんしょうか」
「おお、それは殊勝じゃ。
われらも手伝おう」
バルドとゴドンは、盗賊の埋葬を手伝った。
三人の老人は、盗賊の武器とわずかな荷物は自分たちの物としたが、着物は脱がせなかった。
盗賊を埋めたあと、三人はひざまずいて手を合わせて祈った。
この者たちがどういう素性の者にせよ、死者の霊魂を拝むことを知っている。
と、バルドは思いながら、自らも死者の魂の安心を祈願した。
そのあと、バルドは三人の老人を夕食に誘った。
三人は、驚きながらも相談して、その誘いを受けた。
4
「こ、これが酒っちゅうもんでごぜえやすか?
何ともかんとも、うんめえもんで。
ありゃ。
なんやら、ええこんころもちになってきやした。
|大《おお》にい。
|小《ちい》にい。
お酒さんちゅなあ、おいっしいねあ」
「わっしも、酒ちゅうたらもん、初めて頂きやしたんで。
へえ。
何ともかんとも、不思議なもんで。
こりゃ、死に土産でやすなあ」
「こっちのんは、鹿肉のくんせい、いいましたか。
うんめえもんで。
うんめえもんで。
ああ。
ありがてぇあなあ」
ぱちぱちとはぜるたき火を囲んで、五人は夕食を取った。
鍋にかけたスープができるまで、バルドは荷から次々と食料を出して、老人たちにふるまった。
ザルコス家でたっぷり上等の保存食をもらったので、旅の途中にしては豪華な品ぞろえだ。
酒を振る舞ったところ、生まれて初めて飲むとのことで、ずいぶん楽しそうにしている。
三人は兄妹だったようだ。
妹の老婆など、ひどく小柄なこともあって、珍しい食べ物に目をくりくりさせ喜びはしゃいでいる様子は、まるで子どものように無邪気だ。
声もしわがれてはいるが、聞き慣れてくると愛嬌のある声だ。
老婆がとりわけ喜んだのは、干しぶどうだ。
ザルコス家は、三種類の干しぶどうを持たせてくれた。
一つは、薄緑色。
一つは、紫がかった赤。
一つは、少し赤みのある黒。
それぞれ味が違う。
甘くておいしい干しぶどうだ。
老婆は、一粒を口に入れては歓声を上げ、一粒を口に入れては兄たちに感激を語った。
「酒を初めて飲むだと?
その年になって。
信じられん。
農民でも祭りには酒を飲むだろうに。
その腰につけた水袋には、酒が入っているのではないのか?
えらく大事そうにしているが」
「へえ、お武家様。
違いやすんで。
これにはまあ、仕事で使う汁が|入《へえ》っておりやすんで」
鍋が小さいので、一度に五人分のスープは作れない。
ところが、三人の老人は、ひどく小食だった。
遠慮しているのではない。
いつも食べる量が少ないため、胃の腑が小さくなってしまったのだろう。
「それにしても、お前たち。
盗賊を攻撃した動きは見事だった。
武芸の修行をしたことがあるのか?」
「いえいえ、とんでもねえこって。
わっしら、山ん中で獣をはあ、追い回しよるばっかりで。
へえ」
と、ゴドンの問いに答えながら顔の前で振る手は、ひどく汚れて傷だらけだが、年のわりには大きく、しわもあまりない。
三人は早々に寝付いた。
三人身を寄せ合って眠りこける姿はほほえましい。
仲の良い兄妹だ。
若いときからずっとそうだったのだろう。
しかし、寝ていても警戒心は解けていない。
バルドやゴドンが動きをみせると、ぴくりと反応している。
翌朝、日が昇る前に三人は立ち去った。
バルドは目覚めていたが、寝ているふりをした。
三人は何度も何度もバルドとゴドンを拝んでから、トゥオリム領の方角に歩いていった。
5
ゴドンが起きると二人は出発した。
昼前にはガザに着いた。
ガンツに部屋を取って体を洗ってから食事を取った。
「それにしても、伯父御は気前が良すぎる。
あんなうまい物を次から次へと」
ゴドンは、妹夫婦が心づくしに持たせてくれた食料を、惜しげもなく老人たちに振る舞ったことが、やや不満なようだ。
「あの老人たちの風体にもびっくりしましたが、もう匂いのひどいことといったら!
鼻が曲がるかと思いましたぞ。
あんな匂いの近くで食べたのでは、せっかくのうまい物も台なしでしたな。
しかも、ご自分の器で飲み食いさせるとは!
気持ち悪くないのですか」
なぜあの老人たちに馳走する気になったのか、と自分の胸に聞いても、バルド自身はっきりした答えは持っていない。
助けた旅人から邪険にされるのを見たとき、ああ、気の毒にと思った。
せめてよくやったと声を掛けてやりたいと思った。
近づいて姿を見ると、まことにみすぼらしい老人たちだった。
人の心配などしている立場ではないような風体だった。
それが、自分たちの身を危険にさらして旅人の危機を救った。
金品が目当てだったのなら、旅人が殺されてから盗賊を殺せばよかった。
そうしなかったということは、三人の老人が義侠心から行動した、ということだ。
だがその行動には報いがなかった。
ならばせめてわしが腹一杯食べさせてやろう。
それが、この場にわしが居合わせた意味だ。
自分の心の動きをバルドはそのように整理したが、わざわざ口にしてゴドンに伝えることはしなかった。
「おいおい、た、大変だぜ!」
突然ガンツに飛び込んで来た男が大声を出した。
食事をしていた客たちの注目が集まる。
男は、ガンツの主人の知り合いらしく、主人のほうに近寄って、大声で告げた。
「隣のトゥオリム領の領主のやろう、とうとう殺されやがったぜっ」
客たちからどよめきが上がる。
一番大きく反応したのは、ゴドン・ザルコスだった。
何っ!と大声を発すると、飛び込んで来た男を無理矢理自分たちの席に座らせ、
「どういうことだっ。
詳しく話せ!」
と詰め寄った。
男はあたふたしながら、ガンツの主人が差し出した水を飲み干し、一息ついてから話し始めた。
「いえね、旦那。
|仇討《あだう》ちなんでさあ。
仇討ち」
「仇討ちだと?
材木商の息子がやったのかっ」
「ざ、材木商?
いえ、そうじゃねえんで。
エンバのガキどもなんで」
「エンバ?
誰だ、それは」
「六年前に殺された親分なんでさ。
人情に厚く、腕っ節の強い、そりゃあもう男っぷりのいい親分でしたねえ。
領主様の護衛に斬り殺されて、その女房なんかは、そりゃもうむごい目に遭わされたんですけどね。
十二を|頭《かしら》に三人の子がいやして、その子らが山ん中に逃げてたらしいんでさ。
それが、今日、街を見回ってた領主様の前に現れて、われら義人エンバの子、父の志を継ぎ無道の領主を討つ、ってたんかを切ったんだそうです。
あたしゃ、その場にはいなかったんですけどね。
そりゃもう薄汚い格好だったってことでさあ。
とんでもなくしなびてるんで、見たやつはてっきりじじいとばばあだと思ったって言ってまさあ」
「老人にみえる三人組だと?
そ、その三人が、あの護衛二人に勝ったのか?」
「いえ、そうじゃねえんで。
二人の老いぼれ、じゃなくて子どもが、それぞれ護衛に飛びつきやしてね。
しばらくしがみついて、動きを止めたんだそうですぜ。
そのあと切り殺されちまったんですけどね。
そのあいだにもう一人が領主様に斬りつけて。
その一人も殺されたけれど、領主様の手に傷を付けたんだそうで。
そしたら、領主様は、おっ死んじまったんだそうなんでさあ」
「では、護衛二人は生き残ったのか?」
「いえ、そうじゃねえんで。
組み付いた二人をすぐに引きはがして、ばさっと切り捨てたそうなんで。
そりゃもう、すげえ血しぶきが上がったってことで。
返り血を浴びた二人の護衛のお武家様は、苦しみだして、すぐに死んだそうでさあ」
そこまで聞いて、バルドの脳裏にひらめくものがあった。
昨日三人からただよってきた強烈な匂い。
その中に、何かは分からないが覚えのある匂いがあった。
そうだ。
あれは|腐り蛇《ウォルメギエ》の毒液の匂いだ。
目に一滴入れば目が潰れ、口に一滴入ればたちまち命を落とす猛毒。
魔獣の動きをさえ鈍らせる三つの毒の一つ。
その匂いだった。
あの水袋の中身は腐り蛇の毒だったのだ。
あの三人は、首に何かを巻いていた。
寒さをしのぐためだと思っていたが、そうではなかった。
あれは、よくなめした革に|脂《あぶら》か渋汁を塗り込んだ物だったのではないか。
相手が必ず喉首を浅く切ってくると分かっていたら。
そこを一瞬だけ守れれば、懐に飛び込むことができる。
さらに腐り蛇の毒液の入った袋を首に巻き付けておけば。
攻撃してきた護衛はその毒を浴びることになる。
領主に斬りつけたという武器にも、毒が塗ってあったはずだ。
そうか!
昨夜、三人は殺した盗賊を埋めた。
埋めなければ、毒で死んだ死体だと分かってしまう。
それはあと一日だけ秘密でなければならない。
だから埋めたのだ。
それにしても。
あの恐るべき手練れ二人に組み付いて、わずかな時間とはいえ動きを止めるというのは、たいしたものだ。
どれだけの修練を積んだら、そんなことができるのか。
武術も何も知らずに育っただろう十二歳の子どもと、その弟と妹は。
山にこもってどんな月日を送ったのか。
獣を相手にどれほどつらい修行を積んだのか。
人並みの楽しみを何一つ知ることもなく。
戦い方を教えてくれる人もなく、何らの武器も持たない身で。
三人は工夫に工夫を重ね。
宿敵を葬る方法を練り上げたのだ。
木の根をかじりながら、まるで百年も生きた年寄りにみえるほどの苦労をして。
しかも、何たる見事な口上か。
恨みのためとも、親の|仇《かたき》とも、三人は言わなかった。
父の志を継いで、無道の領主を討つ。
何という見事な物言いか。
バルドは身が痺れたような感動と言いようのない悲しさを覚え、ずいぶん長いあいだ身動きもしなかった。
ゴドンも同じだった。
やがて、少し湿った声でゴドンが言った。
「十八歳といえば、わが甥と同じではないか。
その妹といえば、わが姪と年も近かろう。
あんなつまらん物を、うまいうまいと。
死に土産だなどと大げさに喜びおって」
しばらくして、ぽつりと言い足した。
「もっともっとうまい物、たくさん食べさせてやりたかった」
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7月28日「月魚の沢」に続く