広島平和公園にある

『原爆の子の像』のモデルにも

なっている佐々木禎子さんが

白血病の闘病中に折った

折鶴がブラジルのサンパウロ

州議会で常設展示が始まった

そうです(NHKニュースより)



 寄贈された折鶴はこちらです


禎子さんは2歳の時広島で

被爆して12歳で白血病を発症し

健康を祈り1.5cm程のセロハンを

ピンセットなどを使って丁寧に

折っていたそうです


折鶴は禎子さんの写真とともに

病床で書かれたノートの複写

なども一緒に展示されています







現在ブラジルに移り住んで

自身も禎子さんと同じ年の

被爆者渡辺淳子さんがきっかけに...



2010年ニューヨークで行われた

NPT(核拡散防止条約)会議に

禎子さんの兄である

雅弘さんが出席していました


会議に出席した雅弘さんに

淳子さんが面会し

それをきっかけに

折鶴が寄贈されました




禎子さんは1943年に生まれ

2歳の時に広島で被爆します


爆心地から1.7キロに住んでいて

自宅で爆撃にあい外に投げ出されます

ふしぎなことに無傷でした

(爆心から半径2キロは

原子爆弾の閃光に焼き尽くされて

跡形もなく壊滅しました)

その後死の雨ともいわれる

黒い雨にも打たれています






禎子さんは元気で活発な少女に

育ちますが突然10年後に白血病と

診断されます



広島は原爆投下から3日後には

がれきの中を広島電鉄が走りだした

そんな街です


路面電車が走るということで

いっきに復興に向かったんだと思います




そんな終戦から10年後です

元気に学校へ通いたいと

入退院を繰り返し病と闘います


病床に贈られた千羽鶴を

きっかけに自らも鶴を折るように

なります




禎子さんはとてもかわいらしい

女の子です

広島原爆資料館では

短くてそれでもとても濃い

禎子さんの年表が掲示されています


原爆投下で名前も知らない

多くの方が亡くなっています

そんななか禎子さんは写真も残っていて

お顔もわかります


12歳という年齢で戦争で命を

落とさなければならなかった

運命


戦争法案がどうとか言う前に

戦争とはどういうものなのか

知らなくてはと思います








今回禎子さんの折鶴を

きっかけにブログを書きましたが

実は今月広島原爆資料館に

はじめて訪れました

あまりにも重い事実に

追悼や怒りの気持ちから

どう書いていいのか

思いあぐねていました


これからも

感じたままに

書いて行こうと思います


最後まで読んでいただいて

ありがとうございます