昔々、都の近くに大きな桜の木がありました。
その桜は見る者を魅了し、満開の夜桜見物には帝も足を運んだと言います。
ある年、皇太子が皇居に桜の木が欲しいというので、帝は大きな桜の木を都に移すよう男たちに命じました。
男たちはどうにか桜を移すことに成功しましたが、どういうわけか次の日には桜の木は最初にあった場所に、何事もなかったかのように生えてありました。
帝は、男たちを処分しました。
それから何人もの男手を使い、何回も桜の木の移植を試みましたが、たとえ幹を切り倒しても翌日にはまた元にあった場所に生えているのです。
帝は、桜が元に戻るたびに男たちを処分しました。
やがて、桜の木の異常さに気づいた帝は桜の木を燃やすことを決め、皇太子が自ら名乗り出ました。
結果として桜の木は跡形もなく燃えてしまいましたが、その最中皇太子は甲高い悲鳴のようなものを確かに耳にしました。
その翌春、皇太子は気が触れたように嗤いだし、死んでしまったということです。
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「……これが、私の気になってる『深紅桜の怪談』です」
「はぁ…………」
どう評価したものか、俺――舛見 蓮也(マスミ レンヤ)は頭を抱えた。
目の前に立つ彼女はまだ若い。
教師になりたての卵、そういった具合だ。
教師になって早々、先輩教師に自分が興味ある事柄を否定されたら……気力は削られるだろう。
それは自分としても望むところではなかった。
とりあえずは賛同しておいてやろう。
「えっと……木島 桃香(キジマ モモカ)先生」
「はい」
再び言葉に詰まる。
まだ22歳とは思えないほどの落ちついた清楚な雰囲気
腰まで届く豊かな黒髪にしなやかな肢体。
思わずドキッとするほど美しい。
「舛見先生?」
「ああ、すみません」
つい一瞬見とれてしまっていた。
先輩である自分がこれではどうするんだと、首を振って気持ちを切り替える。
「えーと、木島先生は怪談に興味が?」
「はい。怪談というか、昔話が好きで。まぁ文学的ではなく文化的としてですけど」
「だから社会科の先生になられたんですよね。昔話を読むのが好きなだけなら教師になるとしても国語科の教師になりますよね」
「古典も英語も嫌いではないんですけどね。歴史って知れば知るほど奥が深い気がして。それが魅力に思えて」
「分かります。まぁ僕は世界史派ですが。日本史専攻だったんですよね」
「はい。特に平安時代が。この深紅桜の怪談もその頃と言われているんです」
会話を続ける木島先生は、大きく表に出ていないものの、とても楽しそうだ。
俺ははっきり言って怪談や怖い話の類を一切信じていないので興味もなかったが、彼女にとっては興味が尽きないのだろう。
人間十人十色だなと、ぼんやり思った。
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「――――それでこの平安京のモデルは、当時の中国である唐の都である長安城と言われております。遷都の理由としては主に…………」
ほぅ、と俺は思わずつぶやいた。
偶然授業が空いたため、木島先生の授業を覗きに来たのだが、なかなか上手いものだった。
主に教科書に沿った授業をしていながらも、(おそらく彼女が個人的に調べたのだろうが)当時の暮らしや政策に対するうんちくを適所に挟んで飽きさせないようにしている。
彼女の持つ空気もあるのだろうが、普段は授業中もうるさい生徒たちも真面目に板書をノートに写している。
教師歴の長い俺でも手放しで称賛できるレベルだ。
「…………」
しかし、と俺はチラリと彼女の横顔を見て不思議な違和感に襲われた。
何故だか、彼女の眼や顔をずっと見続けていたいという、感じたことのない欲求が頭をもたげる。
キーンコーンカーンコーン……
終業のチャイムが鳴る。
同時に俺は水面から顔を上げたような解放感を感じた。
終業の挨拶を済ませて、木島先生が教室から出てくる。
「あれ、舛見先生。見ていたんですか?」
覗きなんていい趣味じゃありませんよ、と呆れたような目をされる。
慌てて弁明する。
「いやぁ、丁度授業も空いてたしどんな授業をされるのかと思いまして」
「なんだ、別に教室に入ってきても良かったんですよ?」
いいんですかっ?
言葉が勝手にこぼれるよりも先に無理矢理口を動かした。
「急に入ってきたら生徒も集中が切れるでしょう。木島先生に変に気を使わせるのも申し訳ないので」
「大丈夫ですよ。そんな簡単に私は揺らいだりしませんから」
ふふっと微笑みながら答える先生。
どうしてだろうか、彼女から目が離せない。
むしろ、その眼の中に引き込まれていきそうだ。
あまりに俺が黙っているからだろうか、先生は目の前で手をヒラヒラと振った。
それが魔法の解除かのように俺はようやく視線を外すことができた。
「す、すみませんっ!はしたない真似を……」
「いえ、それは構いませんが、舛見先生はお疲れではないですか?さっきからボーっとしておられますが」
「し、心配には及びません。僕は全然元気ですっ」
自分でも分かるくらい過度に明るく笑ってみせる。
それに気づいたのか、木島先生は俺の隣でクスクス笑った。
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「ごめんなさい。終電逃してしまって…………」
「いえ、別に構いません」
困った
実に困った
ここは、木島先生の自宅だ。
飲み会が長引いて電車を逃してしまい、思わず甘えてしまった。
「…………」
……ヤバい
全然落ち着かない。
清楚な木島先生のイメージ通りな、しっかり整頓されたワンルーム。
そして、アロマでもたいているかのような、不思議な匂いが充満している。
「これがうわさの…………」
「どうかしましたか?」
台所から木島先生がお茶を持ってきてくれた。
なんでもないよと言いつつ、お茶を受け取り、口に運ぶ。
「……うん、独特の苦みがあるね」
「京都から取り寄せた、古くからあるお茶なんです。お口に合えばいいんですけど」
「京都ってお茶有名だもんね。古いってことは、深紅桜の怪談の時代にもあったりして?」
酔いがよく回ってる頭だ。
普段あまり興味のない事柄にも反応してしまう。
「舛見先生も深紅桜に興味を持たれたのですか?」
「ん? いやぁ、ちょっとね」
「そして、正解です。当時の皇太子様がよく飲んでいたみたいです。つまり、平安時代からあったってことですね」
「平安時代からってことは、1500年以上は前ってことですよね。現代まで生きてるってすごいなぁ」
「ええ。そうやって歴史の変遷をたどってみるのも醍醐味のひとつですね」
楽しい。
酒が入っているので、普段は後輩・女性として距離を推し量っていた先生ともスラスラ会話ができる。
それに、この部屋には俺一人だ。
木島先生の眼には、俺しか映っていない。
この黒髪も
この瞳も
この笑顔も
すべて俺のものだ――――
そこで、俺は気を失った。
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「…………ん?」
酔いが居残る頭を働かせる。
俺は眠る前まで木島先生の部屋にいたはずだ。
酔い覚ましにもらったお茶を飲みながら楽しく喋っていたはずだ。
なのに、これはどういうことだ。
俺は裸で木の幹にもたれかかっていた。
空は真っ暗で周りは何も見えない。
風も吹かなければ、音すらしない。
それに、直に触れている木の幹が、人肌のように熱を持っている。
ごつごつした感触と生ぬるい温度が気持ち悪い。
何故、俺はここにいるんだ?
木島先生はどこだ?
首を回してみても、何も見えない。
目も、いつまで経っても暗闇に慣れてくれない。
「お待たせしました、先生」
すっと、蝋燭を持った木島先生が現れた。
鮮やかで重そうな、平安時代の貴族のような十二単を纏っており、普段よりも艶やかに見える。
だが、俺の体は危険を知らせるように全身の毛が逆立った。
何かがおかしい…………
目の前にいる人は、何かがおかしい…………っ!
「喜んでください舛見先生、今あなたがもたれかかっている木が深紅桜ですよ」
「……・深紅桜はおとぎ話ではなかったか?」
「舛見先生、私は怪談とは言いましたが、フィクションとは一言も言っていませんよ?」
トクン
その時、弱々しいが明らかに鼓動と思える音が聞こえた。
他でもない、その「深紅桜」からだ。
ひっと怯える俺を、木島先生は優しく見つめる。
「先生は覚えてますか? 深紅桜の移動に『失敗』した男たちはみんな処分されたことを」
「あ……ああ。君が確かにそう言っていたが」
「その処分の方法知ってますか? 帝は自分の思い通りにならないものを非常に嫌いました。逃げようとする男たちを弓で殺した後で体を細かく斬り刻み、当てつけのように桜の周囲に撒いたんです。おかげで桜の周囲からは終日腐臭が立ち込め、花見にくる者は誰もいなくなったんです」
「でも、不思議ですよね。桜は腐るどころか一層鮮やかな花を咲かせたんです。そして、年を追うごとに花弁が紅くなっていった」
話だけでも身の毛のよだつ話だ。
震える俺を見ずに、先生は桜を愛おしそうに撫でる。
「桜の移設は計5回行われ、『処分』された男は100人に上ると言われています。それだけの人の血肉を吸い続けたら、桜の花弁はどこまで染まるでしょうね?」
深紅
とっさにその言葉が浮かんだ。
深紅桜の意味を悟って胃の中の食べ物が逆流しようとする。
必至に抑えながら俺は言った。
「だが、桜は燃やされたはずでは………?」
「本当に愚かで傲慢ですよね。あれだけの人を殺して撒いておいて、最期は火葬よろしく灰に帰そうとしたんです。そんな程度で身勝手な理由で殺された男たちの未練は晴れません」
因果応報という言葉を、彼らは知らなかったんです。
そこで、先生はゆっくりと俺の方を向いた。
蝋燭を足元に置き、袖から長い何かを取り出す。
「先生……何を?」
「ここまで聞けば、ある程度察せますよね先生?」
その通りだ。
何となくは理解できている。
しかし、それを理解することを体が全力で拒絶している。
先生が握っていたのは、太くて異様に長い針だった。
俺の体をしっかりと幹に押し付けると、俺の肩に針を思い切り突き立てた。
幹ごと貫通し、肩からあふれる血が針を通して木に染みていく。
「ああああああああぁぁぁぁあああああぁああっっ!!!!」
「まだ死なないでくださいね舛見先生。あまり早く亡くなられると、血が濁ってしまいますから」
俺の血が………桜に吸われてる…………っ!!
「桜は燃やされた。けど、根っこまでは燃えなかった。人々の憎悪を吸い続けた桜は形を変え、再び甦るために血を求め始めた。また美しい花を咲かせるために」
木島先生は肩から針を抜く。
それをそのまま、俺の左胸に突き刺す。
「あああああぁぁぁぁ・・・・・・ぁぁぁあああああああああああ!!!!」
「痛いですか? それが桜が、彼らが受けてきた痛みです。いっぱい味わってください。あなたの痛みや憎悪も私達が吸ってあげます」
もはや感覚が吹き飛ぶ中で、幹が大きく鼓動を轟かせる。
空腹のときに餌をもらったような、狂気じみた喜びを感じる。
痛みの中で、消えていく意識の中で
俺は確かに見た。
真っ暗な空の中に、血の雫を垂らしたような鮮やかな紅が
花弁が咲き始めている。
ああ、どうしてだろう
何故花弁と先生が重なるのだろう――――
自分の血を吸って咲いた深紅色の桜は、どこまでも綺麗だった。
そう、いつまでも見ていたいと思えるほどに…………
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桜の木の前で泣き崩れる女がいました。
彼女には夫がいましたが、帝の命令により、処分されてしまいました。
女は泣きました。
何日も、何ヶ月も泣きました。
そのうちに彼女は、桜の木に夫の面影を重ね始めました。
皇太子が桜を燃やす直前、女がひとり、宮中に侵入し、皇太子を殺そうとしました。
大きな針で皇太子を殺そうとしたそうです。
怒った帝は桜ごと少女を燃やすように指示しました。
桜に縛られて燃やされた時、彼女は泣くのではなく嗤いました。
その声は、幾重にも重なって悲鳴のように聞こえたそうです。
皇太子が発狂して死んだとき、傍らにいるはずのない女の影が見えたということです
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お久しぶりです、銀城ですドーモ
今回も尊敬する作家仲間の一人・藍雨さんとの合作で「深紅の桜」をテーマに書かせていただきました。
読んでもらえると分かると思いますが、和風ホラーをイメージにしています
ええ、人生初ホラーです
夜中に書きながら「呪われないかな……」とブルブルしながら書いてました
読了感を意識して書いたので、何とも言えない感じ(表現できない)を抱いて頂ければ嬉しいですね
第二弾となった藍雨さんとの合作ですが、次はどんな作品が出来上がるのか今から楽しみです!
それでは、銀城蘇芳でした( ゚д゚)ノシ
藍雨さん作品ページ↓
http://ameblo.jp/syosetsu-unknown/