「おえかき」
そう言っててちが持ってきたのは私のレッスンノートとボールペン。
「絵が描きたいの?」
うん、と満面の笑みで頷く彼女に安全を考えてボールペンの代わりに先の丸い鉛筆を手渡した。
「ありがと」
そしてグーで握りしめるように鉛筆を握ってノートの空白を存分に使い何やら円を書き始めた。
「理佐、片付け終わったよ」
濡れた手をキッチンペーパーで拭いながら愛佳がひょいとドアから顔をのぞかせた。
「ありがとうね、わざわざごめん」
「いーや、私が散らかしたんだから。…あれてち。今度は何を始めたの…ってプッ!!」
思わず吹き出し肩を震わせる彼女に私は軽く彼女の肩を叩いた。
「ごめんって」
そうヘラヘラと笑う彼女にまた泣き出したらどうしてくれるんだろうか…と小さな怒りが収まらない私をよそに彼女は積極的にてちに話しかけていた。
「てち、これはなぁに?」
「りしゃとぴっぴ」
そう言って小さな手でノートを目一杯開き、私たちの方へ向けてくれた。
「画力が全く変わってないってどういうことよっ、」
そう言われれば、この間見せてもらった似顔絵と大差ないクオリティに思わず吹き出しそうになってしまった。
「ねぇ、もっといっぱい描いてよ。…カワウソ描いて!」
てちは、愛佳の提案に嬉しそうな表情を向けた。
「いいよ」
そう言ってまた彼女はノートと向き合った。
その集中力は半端ではなく、途中愛佳が何回か出したちょっかいも総スルーだった。
「ちっ、」
飽きたのか彼女を見つめることに専念した愛佳。
その優しげな横顔にどきん、と胸が高鳴ったのは勘違いだろうか。
「ねえ愛佳」
思わず、彼女の名を呼んでしまった。
「んー」
「もっと、会いたい」
私の唐突な自白に驚いたのかジッと瞳を見つめられる。
再びどきんと胸が高鳴って、てちに目線を移すと、カワウソにヒゲをこれでもかという程生やしている。
「理佐それって、」
彼女は告白?とでも言おうとしているのだろうか。そんな大層なものではない。そんな大きなことではなくてもっと単純に…
「もっと、もっと話したい」
ただ側にいて欲しい。
本当はそう言いたかった。
しかしあまりにも欲張りかな、と思い留まってしまった。
彼女は私の気持ちに気付いたのだろうか。
「理佐、」
_ゴツンッ、
「?!」
突如響き渡った鈍い音に私たちは慌てて彼女を見やる。
「…ちょっと」
鉛筆を固く握ったまま、机に突っ伏すようにして寝息をたてていた。
「これ、寝てる…の?」
「まだ5時間経ってないけど」
そう言って愛佳はちょんちょん、と人差し指で彼女の頬を突いた。
「友梨奈ちゃん?」
反応は無い。
何か薬のせいで意識を失ってしまったのだろうか、と背筋にヒヤリと冷たい汗が流れる。
我慢できずに肩を揺さぶろうとしたその時、
「んっ!」
彼女が弾け飛ぶように机から身を起こした。
「てち大丈夫?!」
心配する私たちをよそに、彼女はゴシゴシと両手で目をこすっている。
「え、可愛いんだけど?!」
愛佳が至近距離で彼女の顔を見、目を輝かせている。
「ねむいー」
そんな愛佳にてちは、やや焦点の合っていない瞳でそうふにゃりと微笑んだ。
「んっっっ、」
「愛佳大丈夫ぅ?」
あの表情は私でもヤラレるわ…とドキドキと早まる心臓を落ち着かせようと深い深呼吸をした。
「やばいね…」
そう言って頭を抱える彼女から、てちに視線を移した。
柔らかく開かれている瞳が、今にも閉じてしまいそうだ。
「眠いのかな?」
「てち、寝る?」
愛佳が再びてちの顔を覗き込んで聞いた。
「…ねりゅ」
そう言ってぎゅう、と彼女の手を握るてち。
「愛佳懐かれてんじゃん」
「まぁ茶碗蒸し効果かな」
なにそれと鼻で笑った後、1つの考えが私の頭に浮かんだ。
「あー、私だけじゃ不安だから愛佳も泊まってってよ」
正確には、もっといっしょにいたい。そう言いたかったのだが。
「もちろんだよ、てか泊まるつもりだったよ」
ふぅ。安心して力の入ってる肩の力を抜いた。
「ほんと?良かった。ベッド1つしかないから布団敷いてくる」
それだけ言って、私は寝室へと向かった。
_
「平手真ん中でいい?」
「うん」
あれから本格的に寝入ってしまったてちをそっと布団に横たわらせた。
すう、すう、と規則正しい寝息が聞こえる。
きっと朝には元の平手友梨奈に戻っているのだろう。
そう思うと、安心するとともにどこか寂しくなってしまう自分がいた。
「じゃ、平手起きちゃうから電気消すよ」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
パチリ。
小さな音とともに辺りは暗闇に包まれた。
「理佐」
「っん?!」
ボーッとその暗闇を見つめていた私は、返事が遅れて思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「これからも、よろしくね」
“ これからも ”
側にいてくれるんだな。
私が今一番求めていた言葉だった。
「こちらこそ」
ふふ、と微笑む愛佳の声が聞こえた。
再び暗闇を見つめると、なんだか星空のようにキラキラと輝いているようだった。
_
「これ効果切れてるよね?」
「どうみても切れてるでしょ。これは17歳の平手友梨奈だから」
てちは元から幼い顔立ちだが、まさか違いに気づかないのかと愛佳の顔を見ると慌てたように手を顔の前で振った。
「いや分かってるけど。目、覚ますよね。」
「…怖いこと言わないでよ。」
「ごめんごめん。微動だにしないからさ」
確かに。
しかし寝息とともになだらかに上下する胸が、確かに彼女が生きているという確たる証拠だった。
ピクリと小さく震える瞼。
少しの間の後、ふるふると睫毛を震わせて彼女は目を覚ました。
「良かった…」
隣から、愛佳のホッとした声が聞こえた。
数回瞬きを繰り返し小さく伸びをした後、自分はずっと私たちに顔を覗き込まれるような状態だということに気づいたようだ。
少々戸惑ったような声で彼女は言った。
「…お、はよ」
「おはよう」
そう言う私と一回大きく頷いて見せた愛佳。
突然苦しそうに顔をしかめ、「痛てて」とこめかみを抑えるてちに愛佳が「どうした?」と慌てて抱き起こした。
「いや…私めっちゃ寝た気がする…」
てちは起き上がり、ぼうっとした表情で宙を見つめている。
「そりゃあね」
思わず声に出てしまった。
そんな私をジッと見つめるてち。
そして恐る恐る、という表情で私たち二人の顔を見て言った。
「あの、私昨日の記憶が夕方から途切れてるんだけど…何かやらかしましたか」
「まぁ自業自得でしょ」
「え、やっぱり私何かした?」
「まあ、ね?」
そう、ふふ、と微笑む愛佳に「ねえ?」と微笑み返した。
「ちょっと!二人してなに隠してるの!」
そう慌てる彼女にあの事は私たち“3人”だけの秘密にしてもいいのではないだろうか。
そんなことを頭のどこかで考えていた。
了