黒々とした靄がかかったように思い出せないことがある。
いつの日からだろう、眼に映るもの全てにモノクロのフィルターがかかったように色が無くなったのは。
欅での活動は楽しい。
普段思っていること、言えないことを表現することでみんなに伝えることが出来るから。
でもある日を境にそれも変わった。
足りないのだ。
楽しいはずなのに何か大きなものが欠けている。
まるで完成間近のジグソーパズルのように、小さいけれども大きな何かを、私は失くしてしまった。
しかし夢の中だけでは、違う。
誰かが埋めてくれるから。
眠りの淵に落ちた瞬間に黒い靄を吹き飛ばすほどの…
そして彼女は私の目の前に来てそっと微笑んだ。
この感じ…なんだっけ。
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ツン、と鼻をつく消毒液の匂い。
眼を開くと眼前に広がるのは薄暗い天井。
またか、と私は小さな溜め息をついた。
息苦しさから逃げるように酸素マスクを引っ剥がし、むくりと起き上がった。
あと五分もすれば看護師たちがやって来てこう言うのだろう、疲れから来る貧血です、安静にしていれば治るでしょうって。
だって、これで何回めだろうか。
流石に可笑しいだろう。手首に付いている管を眼で辿る。
安定剤、か。
あの薄笑った眼の奥に一体何を隠しているのだろうか。
正直に言ってくれればいいじゃないか。
どうやら身体ではなく心の方に異常がある、って。
ブー、ブー…
サイドテーブルに置かれたスマホが震える。
無視をしようかと思ったが一向にバイブ音が止まらない。
仕方なく私は通話ボタンを押した。
「…はい」
「ちょっとてち、また倒れたの?」
「ああ、うん。てかなんで知ってるの」
はあ、と彼女はわざとらしい溜め息をついた。
「そりゃ、メンバーからLINEが来るから。正確には連絡させてるんだけどね。でさ、てち…」
「ああ、ごめん。心配かけて」
「いや、それは今更よ。私たちの仲でしょ。でね…」
心配、させていたのか。
もう彼女はいなくなったのに。欅というグループから巣立って彼女にも彼女の道があるというのに。
「私、強くならなきゃね」
「ははは、」
こっちは真剣に話しているのにもかかわらず、彼女は楽しそうに笑った。
いつもそう。でもなんか、少しだけ心が軽くなった気がする。
「そんなに深く考えるなって。成るように成るもんだよ。気楽にいきな。でさ、私今どこにいると思う?」
「え、」
何、この感じ。
黒い靄が一瞬にして取っ払われて、景色に色がついた。
眩しいほどの、白。
突然ひやりと頬が冷えるのを感じた。
ひたり、と手を当ててみればどうやら私は泣いているようだった。
「うぅ、」
「え、泣いてるの?」
「何でも、ない」
「ちょっと待って、」
バタバタと慌てる音がする。
彼女らしいが、全く何をしているのだろうか。
ガラガラ___
「…え、」
「だーかーらー、心配で来ちゃったって言おうとしてるのになんで毎回言葉遮るのよ。このクソガキ」
独特の口の悪さに似合わない、暖かな笑顔。
「ぴっぴ…」
ピースが次々とはまって、黒い靄が去っていく。
ああ、やっぱり足りないのは…
了