平等である事はいい事だ。僕らは信じて疑わない。しかしどうだろう。現実として平等であるが故に有害になる事もあるのではないだろうか?例えば現日本における選挙。1人一票でその重みは基本的には同じである。ただ日本の人口を考えると、現役で労働をしている若い年代の人よりも、引退間近ないし定年した高齢者の方が圧倒的に多い。この状態で多数決で政治家を決めようとすれば当然、若者向けの政策は後回しになる。この状況が長く続いた結果、子供は親にとっての高級品となり、今を生きる子供は少数派として厳しい立場に置かれるのだ。

未来を作るのは老人ではない。金色のモビルスーツ乗りも言っていた様に、血気盛んな若者が大人になるつれて文明を発達させてきた。そして大人達が若者を見守りながら次の発達の機会を与える。さながら生物の新陳代謝の様に入れ替わってきたのである。古い細胞ばかりが残る生物はやがて死に絶える様に、社会もまた限界を迎える。今の日本社会においてはこの状況で正しい方向に政を動かせるだろうか?個人の意見ではあるがこのままだと日本は災害を待たずに沈没するだろう。これはあくまで極端な例であり、実際はもっと複雑怪奇なので話半分で心に留めてもらいたい。

話を戻そう。この1人一票のシステムは平等であるかもしれないが、社会に対して悪影響を与えうる。平等であるが故に歪みが生まれる事を個人的に「悪平等」と呼んでいる。僕達の社会にはこんな悪平等が潜んでいて、それに気付かないか見て見ぬふりをして不利益を被っている事も多いのではないだろうか?一度平等という善人面した概念の真偽を議論ないし考察してみてはいかがでしょうか?


今までの話とまったく関係のない話だけど、概念に名前を付けるのってなんかカッコいいよね。くらいの感覚で考えました。後悔はしていない。