花組のトップは甲にしき退団で松あきらと瀬戸内美八が一旦Wトップとされて以降、相手役も含めて落ち着かない状態が続いてきた。それが松・順騒動で頂点に達したようだが、この騒ぎの後に高汐巴がトップに立ったことで花組の体制は漸く落ち着いたものとなり、その後“ダンスの花組”として名を上げる基礎が固められることとなった
高汐が一旦は雪組に行きながら急遽花組に呼び戻されることになった際に、ある劇団関係者が『こんな風に何度も動かされるのは可哀そうかな』と漏らしたところ、それに対してある記者が『トップになれない方がもっと可哀そうだ』と応えたとか。新人時代に峰さを理、寿ひずると3人組で売り出されたものの、当初2人に比べて若干地味な感があった高汐だったが、トップになったことで2人とは異なる魅力を開花させることとなる。1983年(S58年)「紅葉愁情/メイフラワー」が披露公演となり相手役に若葉ひろみ、二番手に大浦みずき、三番手に朝香じゅんという体制となった。
高汐は何とも独特な個性の人で歌・踊り・演技のどれかで特別秀でていた印象はなく、ダンスは大浦に歌は朝香に任せて自らはセンターでゆらゆら揺れているだけの様でありながら、何故かちゃんと舞台の中心になって全体をまとめる存在感を見せていた。またコメディセンスにも恵まれて、最近で言えば紅ゆずるが何となく近いイメージかもしれない。1984年(S59年)「琥珀色の雨に濡れて」では若葉・大浦と見事なコンビネーションで魅せ、またマダムのエヴァを演じた美野真奈の妖艶な姿も印象的だった。この時併演されたレビュー「ジュテーム」が、演出家岡田敬二のロマンチックレビュー・シリーズの第1作となった。
1985年(S60年)「愛あれば命は永遠に」で若葉は退団となった。この作品は劇団創立100周年で上演された星組公演2014年(H26年)「眠らない男」と同様にナポレオンとジョセフィーヌの物語だが、有名な戴冠式の絵を舞台上で再現したのを思い出す。最近も未だ時々見かけるけれど、2000年以前の公演では「愛あれば…」の様にやたら長い文章形で助詞止めのタイトルが結構見受けられた。前述の「友よこの胸に熱き涙を」たら、「我が愛は山の彼方に」「この恋は雲の涯まで」等々。あんまり長いと言うのも書くのも言うのも面倒臭くなって、「愛あれば…」は「愛永遠」と略されていたよう。若葉は退団後にミュージカル「アニー」に出演することになり、その宣伝のための街頭キャンペーンに出くわして握手してもらったのだけど、間近で見ると舞台上の艶やかさとは異なる清楚な姿が印象的だった。
若葉の後に高汐とコンビを組んだのが秋篠美帆だった。秋篠は以前平尾昌晃とデュエットしてレコードデビューしたことがあり、当時『マーちゃん第二の畑中葉子か!』と話題になったこともあったが、畑中葉子のその後の経緯を考えると“第二”にならなくて本当に良かった。また、ある時帝国劇場に観劇に行った際に隣の席にとんでもない美人が座っており、よくよく見たら秋篠様だった!!! 間近で見たら舞台上よりも迫力ある美人だったのに圧倒されてしまい、その時筆記用具も紙類も何も持っていなかったので劇場中を走り回ってペンと紙を調達してサインを貰ったが、結局隣席ばかりが気になってその時何を観たのかすら覚えていないお粗末。
高汐・秋篠コンビの披露公演となった1985年(S60年)「テンダー・グリーン/アンドロジェニー」は野心作というか問題作として結構話題になった。「テンダー」は数百年後の地球が舞台となるSF作品で、登場人物は基本テレパシーで意思疎通が可能という設定で台詞はぶつ切り状態、客席はかなり呆気に取られていたそう。後で演出家正塚晴彦の大劇場デビュー作と知り、さもありなんと納得。ただし主題歌「心の翼」は大浦追悼の際などに今も歌い継がれている。 「アンドロ」は岡田敬二のロマンチックレビュー・シリーズの第2作で、“両性具有の美”がテーマという多分30年は早すぎた作品。1986年(S61年)「メモアール・ド・パリ」のパッシーの館の場面は衣装のスカートデザインに驚かされたが、後でMGMのレビュー映画「ジークフェルド・フォリーズ」からの引用だったことに気付いた。
1987年(S62年)「あの日薔薇一輪/ザ・レビュー・スコープ」で高汐・秋篠同時退団となったのだが、それに先立って秋篠は劇団から、高汐が辞めた後も劇団にいても良いけれど次のトップの相手役としては残れないとの趣旨を聞いて退団を決めたと耳にして、残念な気持ちになったのだった。