匠ひびきの愛称“チャーリー”は音楽学校生の頃、街を自転車(チャリンコ)で疾走する姿から名付けられたとか。生徒の愛称は本名や芸名又は雰囲気が似てるキャラクターに由来するものがほとんどだが、時々このようにユニークなものがある。古い話になるが麻月鞠緒の“ブチ”は、若手時代に髪を染めたところ斑なぶち模様になってしまったからだとか。矢代鴻の“シビ”はある時胸に赤い吹き出物ができて、それが“谷間のともしび”のようだったからとのこと。

 

 元花組組長の宝純子の“レモン”は、音楽学校の時に九重佑三子(初代コメットさん、二代目は大場久美子)のヒット曲「レモン片手に」を唄ったところ、それがえらく可愛かったから。高汐巴の“ペイ”については少々回りくどくて、高汐の本名が“ヨシコ”だったのだが、昭和40年代当時大人気だった初代林家三平師匠の有名なギャクの一つに“よし子さん”と言うのがあって、そのギャグと本名を引っ掛けて“三平”から“ペイ”になったとか。みさとけいの“ピンちゃん”も本名が桃子で、桃色=ピンクから転じたそう。貴城けいの”カシゲ”は首を傾げる癖によるものらしい。

 

 愛華みれの二番手として活躍していた匠だが、2000年に専科へ移動し2001年改めて愛華の後継トップとされた。元々ダンスが得意で"ダンスの花組"の後継者となるのかと思ったら、同期の絵麻緒ゆうと同様に“ワン切り”という事で2001年ドラマシティ公演「カナリア」の後、大劇場披露の2002年「琥珀色の雨に濡れて/Cocktail」にて退団となってしまった。大鳥れいが残ってコンビを組み二番手春野寿美礼、三番手瀬奈じゅんという体制になったが、大劇場公演の後に病気により予定されていたドラマシティ公演と東京公演の前半も休演せざるを得なくなり、春野が代役となった。ところで「琥珀色」で登場するシャルルは色敵的なキャラなのだが、この時演じた組長の夏美ようの演技が怪演と言われるほどかなり強烈で、一部で"変態的演技で夏美に敵う者なし”と言われるほどになったとか。

 

 その頃の“ワン切り”や最近話題になることが多い“二番手切り”について、当人はどの様に感じているかはまったく分らないが、無責任に外野席から見ている分には、たとえ一回でも“トップスター”として大羽根を背負って舞台に立てば、芸能界での活動に際して“元宝塚トップ”の肩書が付きOGイベントでの扱いも違ってくる。ファンの“ワン切りは酷い”という気持ちも理解できる一方で、一度もセンターに立てないよりはずっと良いのではという気持ちも沸いてしまったのだった。

 

 二番手での退団についても、大多数の生徒はあの大羽根どころか銀橋やフィナーレ大階段の真ん中で歌うこともかなわないわけで、それを思えばそのような立場になるということだけでも限られた人しかできない凄いことを成し遂げたことになる。トップに到達できなかったことに対しての嘆きや出来なかった理由をあげつらうよりも、出来た事を称えて送り出してあげるべきではないかと個人的には思っていた。


しかし瀬戸かずや、鳳月杏が二番手羽根を背負ったことで少々風向きが変わったよう。最近はトップにはなれなかったがベテラン生徒の一つの到達点として二番手が評価されるようになってきているようだ。しかし昨年末で退団した愛月ひかるは、専科から星組へ移動となった際に退団を決めていたとの事で、残念とご苦労様が半々な感じだろうか。