2017年は前年に作った拠点を法人化するプロジェクトに取り組んだ年だ。
簡単に言えば会社を作った。
事業計画の作成から当局申請までを行ったわけだが、今の会社には海外でゼロから会社を作ったノウハウが残っていなかった。会社としてサポートする体制がないのだから、自然と自分の部署を中心に立案・推進する形となった。
一部だけコンサルなども利用はしたが、基本は自前。
会社の設立プロセスや、設立後にどのような準備をしなければならないか、僕には前職時代のノウハウがあった。
その当時所属していた部署は新規事業を推進する部署の元、いろいろなバックグラウンドの人が集まっていたが、いわゆる管理系は僕一人。
誰も知らないのだから僕が決めて進めるしかなかった。
全社的なサポート体制がなかった分、個人プレーで関連部署の人とのコミュニケーションをとりながら、諸々の手続きを進めていった。
タバコ部屋でのネットワークや前職のネット―ワークが本当に役にたった。
よく言えば柔軟な会社、悪く言えば体制が整っていない会社だ。
でも、動き出した歯車を止めてはいけない。
そうしてバタバタしながらも、6月には会社を作っていた。
僕は創業者だが、東京側からプロジェクトをコントロールする立場であって、この時点でも赴任の機会はめぐってこなかった。
会社の人事はいい加減なもので、深く考えもせずに、その時にシンガポールにいたメンバーを横スライドさせた。
この頃は、その立場に満足していたし、親会社の立場で引き続きプロジェクトをコントロールするほうが良いという思いになっていたので、自分が赴任できなかったことはショックなことではなかった。
しかし、この後、プロジェクトマネジメントの難しさを知ることとなる。