社会人になったら読んでほしいブログ

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社会人生活も20年目。20年間の雑言プラス転職2回に海外赴任2回の経験をつらつら書きます。若い社会人の方の役にたてば良いと思います。そのほかは住んでいるシンガポールネタなどを書いていきます。

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2017年は前年に作った拠点を法人化するプロジェクトに取り組んだ年だ。

簡単に言えば会社を作った。

事業計画の作成から当局申請までを行ったわけだが、今の会社には海外でゼロから会社を作ったノウハウが残っていなかった。会社としてサポートする体制がないのだから、自然と自分の部署を中心に立案・推進する形となった。

一部だけコンサルなども利用はしたが、基本は自前。

会社の設立プロセスや、設立後にどのような準備をしなければならないか、僕には前職時代のノウハウがあった。

その当時所属していた部署は新規事業を推進する部署の元、いろいろなバックグラウンドの人が集まっていたが、いわゆる管理系は僕一人。

誰も知らないのだから僕が決めて進めるしかなかった。

全社的なサポート体制がなかった分、個人プレーで関連部署の人とのコミュニケーションをとりながら、諸々の手続きを進めていった。

タバコ部屋でのネットワークや前職のネット―ワークが本当に役にたった。

よく言えば柔軟な会社、悪く言えば体制が整っていない会社だ。

でも、動き出した歯車を止めてはいけない。

そうしてバタバタしながらも、6月には会社を作っていた。

僕は創業者だが、東京側からプロジェクトをコントロールする立場であって、この時点でも赴任の機会はめぐってこなかった。

会社の人事はいい加減なもので、深く考えもせずに、その時にシンガポールにいたメンバーを横スライドさせた。

この頃は、その立場に満足していたし、親会社の立場で引き続きプロジェクトをコントロールするほうが良いという思いになっていたので、自分が赴任できなかったことはショックなことではなかった。

しかし、この後、プロジェクトマネジメントの難しさを知ることとなる。

タンジョンパガープラザにあるシェフヤマシタさんでケーキを買ってきました。
久しぶりのケーキで嬉しいのと、こんなに近くに日本人パティシエが作るケーキ屋さんがあることを知りませんでした。
 
イチゴのショートケーキは甘すぎず、スポンジもふんわりとろけておやつにいただきました。
 
もう一つはマロンケーキ。なんですが、ベリー系の入ったロールケーキの上にピンク色のマロンクリームがのっていて、甘さと酸味がとてもバランス良く口に広がります。
 
最近全くケーキを食べていなかったので大満足の1日となりました。
 

 

 

駐在員あるあるかもしれないが、日本に帰りたい気持ちが日々強くなっている気がする。

当たり前に出来ていたことが出来なくなると人は余計に欲しがるものなのだろう。

日本に帰りたい気持ちが強くなる一方で、事情があって自宅に帰れないので、帰ったところで居場所がないなと思うところもある。

一人暮らしは楽。でも、年を重ねてくると一人暮らしはなかなか寂しいものだなと感じる。

少なくとも15年前に中国にいたころと比べるとそう。

シンガポールは日本のテレビも見ようと思えば見れるし、日本食だって日本レベルのものが普通に食べられる。

ドンキホーテや伊勢丹、東急ハンズなどがあって、日本のものが普通に買える環境。

ローカルフードだって美味しいものはたくさんある。

でも、やっぱり何か違うなぁと思ってしまう。

生活面に加えて仕事面でも、日本では大人数で取り組めることも、ここでは少人数で取り組む必要があったり、自分自身が様々なエリアをカバーしなければいけなかったり、個人ごとのタスクがはっきりする分、悪く言えばさぼれないし、周りを頼れない。

職位が上がれば上がるほどそのような面はあるし、英語でのミーティングだって負担じゃないといえばうそになる。

外から見ると華やかな反面、そういった辛さは確かにある。

以前はできるだけ長く海外で働きたいなと思っていたけれど、僕は日本にいながら海外と関わる仕事ができる方が自分としては良いのだろうなと思っている。

そういう意味では、海外にはやはり若い時にチャレンジした方が良いような気がしている。

日本に帰れる日が待ち遠しい。

 

 

 

秋の始めごろに、米国の先進企業を訪問して、時期役員候補の部長さん方に学びを得ていただくプロジェクトを担当することとなった。

担当といえば聞こえは良いが、先方のアポ取りに始まって、ホテルの予約、移動の手配、要するにロジ担当だ。

時差もあり、会ったこともない相手。

前もって取り組むものの、なかなかスムーズに進まなかった記憶がある。

なんとかロジも固まって無事に成田からニューヨークに到着。

しかし、ニューヨークにつくと、頼んでいたタクシー2台のうち1台が来ないトラブルが発生。

結局1時間ほど待つこととなった。

翌日、約束の企業へ街を散策しながら徒歩での移動を予定していたが、朝から大雨。

急遽タクシー移動に切り替えて予定を消化。

お昼は狙っていたイタリアンに移動して無事に食事をするも、ホテルまでの距離がそれなりにあるので、レストランへの迎えに変更した。

これが間違いで、当日はニューヨークで国連総会が開催されていて、道路の閉鎖が相次いでおりピックアップ場所の確認がきちんとできなかった。あげくの果てにタクシー会社から英語が通じない人に車を回せないと言われる始末。。

結局徒歩でホテルに戻り、急ぎニューアーク空港へタクシーで向かった。

無駄にレストラン前でタクシーを待ったため、ニューアーク空港にはフライト30分ほど前でぎりぎりチェックイン。

ミルウォーキーに無事についてホテルまで移動したが、役員の人には怒られるし、夜の懇親会では悔し泣きする事態となってしまった。

周到な準備をしていてもこのようなことが起こることを反省したし、社内であっただけましだったと自分を慰める次第だった。

その後はセントルイスに移動したが、空港からホテルへのバスがなかなか来なかったり、翌日の訪問先から空港までの車が、訪問先からホテルまでとなっていたり、混乱続きの旅程となってしまい、ニューヨークに戻ったころには疲れ果てていた。

このような状況にも関わらず、優しい言葉をいただいた参加者のみなさんには感謝しかない。

みんなで共有した苦労は今でもネタになっていて仲良くしていただいていて、未熟な自分に優しく接してくださったことは一生忘れないだろう。

 

 

 

シンガポールのプロジェクトを実質的に率いる立場になって、当局や弁護士との折衝などをこなしつつ、社内の会議体を通して、シンガポールに拠点を設立する運びとなった。

同僚君が退職したことに伴って、自分にも海外赴任のチャンスがあるのではないかと思うようになっていたし、自分自身が行きたいと思ってプロジェクトに取り組んでいた。

しかし、現実はそう甘くはない。

最初の赴任者は部外から1名、部内から2名となった。

一旦駐在員を送り出せば、しばらくは交代もない。

次のモチベーション探しをしないといけないなと思っていたが、がっかりしたのもつかの間、米国の企業訪問プロジェクトと、オーストラリアでの事業提携の話が舞い込んできた。

当面バタバタする仕事が舞い込んだことで、一旦シンガポールへの気持ちはリセットして、気持ちは次の向かったのであった。