昨日、私はものすごく、心のザワつきが落ち着かなかった。原因は分かっていても、頭では理解していても、心を支配するザワつきはおさめる事が出来なかった。


娘を乗せて運転中、娘が聴きたい曲が流れる。


YouTuberの今までも散々聴かされていた曲だが、昨日は、あまりにそれが非常に不快だった。


彼女が車に乗ると、1000%で彼女が曲を支配する。


私は1人の時に、充分聴いてるし、、、でいつも譲ってあげていた。


が、昨日は、ザワつきが辛すぎた。

YouTuberの曲があまりにも死にたいレベルに不快に感じた。


すぐに、「ママの曲聞いていい?」


が、出てこない自分がいた。


圧倒的強さで、毎日車の中の音楽を支配している彼女に言えなかった。


娘なのに。


私は結婚してから、「我慢」という鎧を10年以上着続けていた。


2年前に脱ぐ決意をして、今本当の自分を生き始めた所だ。


軽々しく、たかが、今、この曲が聴きたいすらも言えない自分がいた。


しかし昨日の自分は苦しかった。辛かった。


きっと「本音で生きる」をし始めたら、不快が異様に敏感に感じ出すのだと思った。


雨上がりの夕焼けの光と共に、cold play のyellow

がどうしてもどうしても聴きたくなった。


悩んだ挙句、「次ママのでいい?」


勇気を出して言えた。


「ああ、これ終わったらね。」


彼女は至って普通なんだ。


それも分かっていた。


言えば、普通に対応してくれる。


たかが、こんな事。


なのに、こんなにも言えないくらいに、毎日の当たり前の空間が言っちゃいけないを作り出す。


自分が本当にその時聴きたい曲をずっと我慢して遠慮をし続けていた結果だ。


yellowを聴きながら、夕陽の光が私を温かく包んでくれた。


その温かさを感じた瞬間ザワつきは、静かに消えていった。


こうやって自分で自分を満たす方法を知れたのは、本当につい最近だ。


しかし、まだまだ外側に愛を渇望する自分が顔を出す。


それでまた、苦しむ。


それが悪いわけじゃない。


苦しんでるね。苦しいね。


ただそんな自分を受け止めて認めてあげる。


苦しみながらもまた毎日を生きていると、抜けれる瞬間が訪れる。


これを繰り返す。


それが魂の成長なのだと。


人は何で生きているんだ。


そう考えだしたら、追求がずっと止まらないが、


魂の成長のためなんだ、それを経験したかったんだ。


だからこんな毎日を私たちはもがきながらも生きている。