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「2024 統治体からの話2」のお話を聞いたみなさまはどうお感じになりましたか
私は、なんだかなぁ~~です…
ノルゥェー裁判で敗訴したので、少しでも印象を良くするために(お金のために)こんな変更になったのかな
オランダの話も出てきているそうですね
参考にさせて頂きました、ありがとうございます
2024 統治体からの話(2) を詳しく書き起こして下さり感謝です
①これまでは委員会が悪いことをした人と話し合うのは普通1度だけでした。でも統治体は委員会がその人と複数回話し合うことにしてもよいと判断しました。
②バプテスマを受けた18歳未満の未成年者が重大な悪事に関わる場合はどうでしょうか。これまではバプテスマを受けた未成年者はクリスチャンである親と一緒に委員会と話し合わなければいけませんでした。これからは2人の長老が本人そしてクリスチャンである親と話し合います。長老たちはその子が心を入れ替えられるよう助けるために親がどんなことをしてきたかも確かめます。親がその子を助けようと努力していてその子も素直に応じているなら2人の長老はそれ以上対応する必要はないと判断するかもしれません。もちろん長老たちはその子をきちんとサポートしているかを時々親に確認します。ではバプテスマを受けた未成年者が振る舞いを改めず悪いことを続けるならどうなりますか。その場合長老たちから成る委員会がクリスチャンである親と一緒にその子と話し合います。
③(排斥の話)長老たちはその人を会衆から除くことにするとしても二度と戻ってこれないという印象を与えないようにします。それで委員会は会衆に戻るために何が必要かただ説明する以上のことをします。いったい何でしょうか。長老たちは数カ月後にまた話し合いたいと思っていることを伝えます。その人が心を入れ替えたかどうか確かめるためです。本人がその話し合いの場に来るなら長老たちは生き方を改めて会衆に戻ってくるよう温かく勧めます。では以前に排斥された人、もしかすると何年も前に排斥された人はどうでしょうか…統治体は長老たちにはそういう人を訪ね、一緒に祈り、会衆に戻ってくるよう温かく勧める責任があると判断しました…本人が望むなら長老たちはその人が会衆に復帰していなくても聖書レッスンを受けられるよう取り決めます。もちろんその人が会衆に戻りたいと願っていなければいけませんし、そういう聖書レッスンは必ず長老たちが取り決めます。
④排斥された人が集会に来たらどうしますか。これまでは会衆から除かれたその人にあいさつすることはありませんでした。でも統治体は会衆から除かれた人が集会に来たとき、簡単なあいさつをしたり、歓迎したりするかどうかは伝道者それぞれが聖書の教えによって整えられた良心に沿って決定できると判断しました。もちろん長く会話したり、交友を持ったりすることはしません。そうだとしてもその人を無視する必要はないということです。
⑤(ヨハネ第二9-11について)統治体は…使徒ヨハネがここで言っているのは、背教者や悪いことを奨励する人のことだと結論しました。ヨハネはクリスチャンがそういう人たちから悪い影響を受けないようにあいさつの言葉を掛けてもいけないと強く指示していました。それでもし排斥された人が背教していたり、悪いことを奨励していたりするなら長老たちがその人を訪ねることはありません。クリスチャンはそういう人にあいさつすることも会衆の集会に来るよう勧めることもしません。
⑥統治体は姉妹たちが伝道するとき、あるいはクリスチャンの集会や大会に出席するときスラックスを着用してもよいと判断しました。姉妹たちがそういうときに着用するスラックスはカジュアルなものではなく上品で慎みの表れたその場に合ったものであるべきです。姉妹たちがプログラムに参加するときはそれがその地域で一般的ならスカートを着用するべきです。もちろんプログラムに参加しない姉妹の中にもスカートを着用したいと思う人がいるかもしれません。さらに兄弟たちは伝道するとき、あるいはクリスチャンの集会や大会に出席するとき、ネクタイやジャケットを着用しないことにしても構いません。兄弟たちはそのようなときに、ネクタイやジャケットを着用しない場合もカジュアルではなく上品で慎みの表れたその場に合った服装をするべきです。兄弟たちがプログラムに参加するときは、それがその地域で一般的ならネクタイやジャケットを着用するべきです。もちろんプログラムに参加しない兄弟の中にもネクタイやジャケットを着用したいと思う人がいるかもしれません。ベテルを訪問するときはそれがその地域で一般的なら兄弟たちはネクタイやジャケットを着用し、姉妹たちはスカートを着用するのが望ましいでしょう。
⑥についてはどうなんでしょう?ものみの塔らしい言い回しなので、今後の現役さんたちの様子を見たいですねぇ~
①②は、めちゃくちゃ不公平じゃありませんか
今まで既に排斥された本人だけではなく、まだ現役の家族たちはどう思うのでしょう
③ね~~、長老に、行けって言ったり行くなって言ったり、また行けと
長老もおかしいと思って下さい
④の排斥された人が集会に来た時の対応についても、ものみの塔らしい言い回しですね
今までさんざん集団無視させといて、いまさら伝道者それぞれが聖書の教えによって整えられた良心なんて笑えます。その整えられた良心で集団無視してきたんでしょ
とりあえずは集会に参加した時の話、それ以外では排斥された人と話が出来るのは長老だけ
長老と話がしたいんじゃないんですよ、家族と話したいんです
ヨハネ第二 9-11
キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っているのです。この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし+,あいさつのことばをかけてもなりません。その人にあいさつのことばをかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです。
キリストの教えにとどまっていないのは ものみの塔・統治体ですから、信者たちの方が邪悪な業にあずかっていることになります、残念ですが
私が特に滑稽だと感じたのはここです。
私たちはコリント第一5:11に書かれている通り、会衆から除かれた人とは「接するのをやめ」ます。そのような人とは「一緒に食事をしてもなりません」とも書かれています。これは会衆から除かれた人とは交友を持ってはいけないという意味です。とはいえこれはクリスチャンが排斥された人を会衆の集会に招待してはいけないという意味ではありません…3月24日日曜日に記念式を祝うことになっています。1年で一番大切な集会を控えた今この調整がなされるというのは本当にいいタイミングだと思いませんか。
接するのをやめなさい、でも排斥された人を会衆の集会に招待してはいけないという意味ではありません
接するのをやめなさい、でも3月24日日曜日の記念式に招待するために訪問するんですか
これからもどんどんおかしな理解の調整をして下さいませ、信者が目覚めるためにも