キリストの携挙―8・滅びの子が現れなければ主の日は来ないのです
 

前回の「キリストの携挙―7・天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます」からの続きです。

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クリスチャンのみなさんはⅠ・Ⅱテサロニケ人への手紙を読んでなにか感じたことはありませんか?

教会では、テサロニケ人への手紙は具体的な「携挙の預言」が書かれていて携挙に関する説教のとき牧師が単発的に一部分しか語らないのでみなさんあまり気がつかないかもしれませんが、実は、テサロニケ人への手紙は明らかに、どう読んでも、どう考えても、

携挙を待っている信徒への手紙

ですよね?

この投稿を読み終えた後、Ⅰ・Ⅱテサロニケ人への手紙をサ~と読み返してみてください。両方合わせて8章の短い文章ですから直ぐ読み終わります。「携挙」というワードを意識しながら読んでいくと「なるほど、これ、携挙を待っている信徒への手紙だわ」と納得すると思います。

テサロニケ人への手紙はとにかくパウロのテサロニケ人の信徒への「称賛」で埋め尽くされています。パウロがテサロニケ人の信徒を褒めて褒めて褒めちぎっていることがよく分かります。非難する言葉は一つも出て来ません。最上級の言葉でパウロが褒めちぎっています。以下は手紙に書かれいるパウロのテサロニケ人の信徒への褒め言葉です。

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■ パウロのテサロニケ人の信徒への褒め言葉 ■

Ⅰテサロニケ人への手紙
1:4 神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。

1:6 あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。
1:7 その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。

2:8 あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。

2:13 こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。

2:19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。
2:20 あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。

3:6 ところが今、テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました。また、あなたがたが私たちのことを、いつも好意をもって思い起こし、私たちがあなたがたに会いたいと思っているように、あなたがたも私たちに会いたがっていることを知らせてくれました。
3:7 こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました。あなたがたの信仰による慰めです。
3:8 あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちの心は生き返るからです。
3:9 あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。

・あなたがたが神に選ばれていることを知っています。

 

・あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。

・あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。

・あなたがたが私たちの愛する者となったからです。

・あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。

・ 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。

・あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。

・ところが今、テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました。

・こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました。あなたがたの信仰による慰めです。

・あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。

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Ⅱテサロニケ人への手紙
1:4 ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。

2:19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。
2:20 あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。

・ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。

・私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。

・あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。

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ここに挙げた文章から分かるように、テサロニケ教会の信徒に向けてパウロは最上級の言葉で褒めて褒めて褒めちぎっています。

・あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。

・私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。

・あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。
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この箇所はパウロが彼らの信仰に酔いしれて陶酔しきっていいます。

パウロが書いたテサロニケ人への手紙から分かることは、テサロニケの教会は正にパウロが理想としてた混じり気のない「純粋な信仰者が集まった教会」でした。

そしてテサロニケ人への手紙の文章は携挙を匂わせる、思わせる、連想させる、ワードを中心に書かれています。
以下に挙げます。

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■ 携挙を匂わせる、思わせる、連想させる、ワード ■

Ⅰテサロニケ人への手紙
1:10 御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。

・御子が天から来られるのを(キリストの携挙を)待ち望むようになったかを、・・・

・やがて来る御怒り(サタンを裁く大患難時代)から私たちを救い出してくださるイエスです。

2:15 ユダヤ人たちは、主であるイエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、すべての人と対立しています。
2:16 彼らは、異邦人たちが救われるように私たちが語るのを妨げ、こうしていつも、自分たちの罪が満ちるようにしているのです。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで極みに達しています。

・終末のユダヤはイスラエルに第三神殿を再建して神殿に反キリストが立ったときに頂点に達した神の御怒りが神殿に下ります。イスラエルによって第三神殿が再建されたときがユダヤの「罪が満ちるとき」です。二千年前にキリストを十字架で処刑した罰として第二神殿がローマによって滅ぼされたように、終末の第三神殿も神の御怒りで滅ぼされます。

2:19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。

・私たちの主イエスが再び来られるとき(キリストが携挙に来られるとき)

3:3 このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。
3:4 あなたがたのところにいたとき、私たちは前もって、苦難にあうようになると言っておいたのですが、あなたがたが知っているとおり、それは事実となりました。

・このような苦難の中にあっても、・・・私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。

(ダニエル70週預言の終末の前半の「教会艱難時代の三年半」の苦難、またエゼキエル預言の教会苦難が終末のキリスト教会に定められています)

 



3:13 そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン。

・主イエスは旧約時代の信仰者、新約時代の携挙前の天に帰ったクリスチャンたちとともに携挙に来ます。「聖徒たちとともに来られる」というのは天に帰ったすべての信仰者たちの魂を引き連れて携挙のときに「キリストの甦りのいのち」によって信仰者が甦って地上の墓から出て来る、という意味です。天から直接アブラハム、モーセ、ヤコブたちと一緒にやって来る、という意味ではありません。

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Ⅱテサロニケ人への手紙
1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。

・主イエスは燃える炎の中で(戦争、教会の苦難の中で)力ある御使いたちとともに天から現れて携挙に来ます。使徒2:19 の「血と火と立ち上る煙」の時代に来ます。

1:8 主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。
1:9 そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。

・神を否定する者や教会を迫害する者は携挙で地上に残されてサタンとともに神の怒りの大艱難時代で裁かれて永遠の滅びという刑罰を受けます。

1:10 その日に主イエスは来て、ご自分の聖徒たちの間であがめられ、信じたすべての者たちの間で感嘆の的となられます。そうです、あなたがたに対する私たちの証しを、あなたがたは信じたのです。

・その日(携挙の日)に主イエスは聖徒たち、信じたすべての者たちを携挙しに来ます。

2:1 さて兄弟たち。私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いします。

・私たちの主イエス・キリストの来臨(携挙)と、私たちが主のみもとに集められることに関して(マタイ24:31御使いたちによって天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たち・クリスチャン・が集められて主のもとに携挙されます)

2:2 霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

・主の日(携挙)がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

(携挙に関する様々なデマが終末の世界に蔓延します。しかも「私たちから出たかのような手紙によってであれ、」と書かれていますから、キリスト教会から聖徒でも信じてしまうような巧妙に細工された偽りの携挙神学が喧伝されます)

 

2:3 どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。

・どんな手段によっても、(主の日・携挙が近くなるとネットや YouTube で「携挙は艱難前に来ます!!!」と多くの牧師によって語られますが)、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子(反キリスト)が現れなければ、主の日(携挙)は来ないのです。

2:4 不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。

・不法の者(反キリスト)は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるもの(イエス・キリスト)に対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮(終末のユダヤが再建したエルサレム神殿)に座ることになります。

2:5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話していたのを覚えていませんか。

・パウロはこの手紙を送る前にすでにテサロニケの信徒に向けてキリストの携挙の時期、方法、手段、手順を、具体的に教えていました。しかしまだ不法の者が現れていないのに「不法の者(反キリスト)が現れる前に、教会が苦難に入る前に、携挙が来る!!!(現代の艱難 前 携挙説のルーツ)」と
すでに存在していた偽りの教会や信仰者たちが偽の携挙神学を喧伝していたので、偽りの携挙神学に流されないように心配してもう一度、前にパウロが教えた正しい携挙神学を思い起こさせながら、純粋な信仰者の集まりのテサロニケ人の教会にこの手紙を送りました。現代のネットや YouTube で盛んに喧伝されている「艱難 前 携挙説」は二千年前の使徒の時代にすでに偽の教会によって作られて喧伝されていました。パウロははっきりとⅠテサロニケ人への手紙3章3節で

 

 

「このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。」

「私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。」

 

と言って教会が「艱難時代」を通過することを教えています。パウロが教えている「不法の者」イエスが教えた「荒らす忌まわしいもの」が終末の再建されたエルサレム神殿の「神の宮」に座ったときに、キリストの携挙が来る!!!と教えています。

「教会の艱難時代」とはダニエル70週預言の終末の前半の「三年半」の期間です。携挙が終わった後半の「三年半」がサタンを裁くための「大患難時代」です。「艱難 前 携挙説」はこの「教会の艱難時代」とサタンを裁く「大艱難時代」をごちゃ混ぜにして「七年を大艱難時代」と定義して七年の大艱難時代の前に携挙が来る!!!と教えています。

 

Ⅰテサロニケ人への手紙

3:3 このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。

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2:6 不法の者がその定められた時に現れるようにと、

・イエスがマタイ24:15で預言された「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見る時」が不法の者がその定められた時です。

2:6 ・・・今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。

・「不法の者」についてすでにパウロから聞いているからテサロニケの信徒は「知っています」

2:7 不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。

・不法の者はすでに現代の地上に存在して秘密裏に世界的立場に就くための準備をして自分の出番を待っています。

2:8 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。

・その時(携挙の時)になると、不法の者(反キリスト)が現れますが、(サタンを裁く大艱難時代に入ってから)主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされ、ヨハネの福音書1章5節の「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」が成就されます。
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この続きは次回の投稿になります。ぜひ最後までお読みください。

冒頭で申し上げたように、

テサロニケ人への手紙は明らかに、どう読んでも、どう考えても、

携挙を待っている信徒への手紙

です。

 

テサロニケ人への手紙は二千年前の当時に起こった教会の出来事を通して携挙がいつ来てもいいように人類の終末のキリストの携挙の預言が時代を越えた「普遍的メッセージ」という形で書かれています。テサロニケ人への手紙をなぞるように終末のキリストの携挙は来ます。


クリスチャンのみなさん、この投稿を読み終えた後、Ⅰ・Ⅱテサロニケ人への手紙をサ~と読み返してみてください。両方合わせて8章の短い文章ですから直ぐ読み終わります。「携挙」というワードを意識しながら読んでいくと「なるほど、これ、携挙を待っている信徒への手紙だわ」と納得するはずです。
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次回の「キリストの携挙ー9」に続きます。
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引用・聖書 新改訳2017 © 新日本聖書刊行会
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