死後の世界―2・死んだ人々と生きた人々


前回の「死後の世界―1」からの続きです。
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はじめに申し上げます。
このブログに投稿されている「天地創造シリーズ・死後の世界シリーズ・キリストの携挙シリーズ」の三つのテーマはお互いつながっています。リンクしています。三つのテーマがお互いを補完しています。天地創造を読んでいて死後の世界で書いた場面が出て来たり、死後の世界を読んでいてキリストの携挙で書いた場面が出て来たりと、三つのテーマはつながってリンクしながらお互いを補完し合っています。元々聖書はそのような書物です。ジグソーパズルのように旧約39巻のピースと新約27巻のピース合わせて全66巻のピースが綺麗に組み合わされてはじめて「神の世界」が完成されます。そのことを留意しながら、このブログをお読みいただければと思います。
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ヨハネの黙示録20章
20:1 また私は、御使いが底知れぬ所の鍵と大きな鎖を手にして、天から下って来るのを見た。
20:2 彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、
20:3 千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。
20:4 また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。
20:5 残りの死者は、千年が終わるまでは生き返らなかった。これが第一の復活である。
20:6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。
20:7 しかし、千年が終わると、サタンはその牢から解き放たれ、
20:8 地の四方にいる諸国の民を、すなわちゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海の砂のようである。
20:9 彼らは地の広いところに上って行き、聖徒たちの陣営と、愛された都を包囲した。すると天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。
20:10 彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。
20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
20:12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
20:15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。

ヨハネは20:11で「大きな白い御座とそこに着いておられ方」を見ました。そして地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなりました。ですから「大きな白い御座」はそれ以前の天と地でもない、また新しい天と地でもない、領域、空間に在ります。今現在の天と地でない、また黙示録21:1で出てくる「新しい天と地」でもない、領域、空間に、「大きな白い御座」は在ります。「大きな白い御座」は人が永遠の新しい天と地に行くのか?それとも永遠の地獄に行くのか?を、一人一人裁判で「数々の書物」と「いのちの書」によって判決を下す神が設けた厳かな特別な場所です。そしてこの「大きな白い御座の法廷」に集められるのが黙示録20:12 に出て来る「死んだ大きい者と小さい者の人々」です。

20:12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。・・・

「死んだ人々が大きい者も小さい者」とは地上で生きている間のあらゆる身分の高い低い、階級の上下、偉い普通、功績勲章、天才凡才に関係なくすべての人が平等に裁きを受ける、という意味です。そして「死んだ人々」とは

黙示録20:5の「第一の復活」で千年が終わるまで生き返ることが出来なかった「死んだ人々」です。「生きている人々」に対義して「死んだ人々」がいます。

クリスチャンと旧約時代の信仰者は携挙でキリストの花嫁となって天に入り黙示録19章で「子羊の婚礼」を経てそのまま黙示録20章の「千年王国」に入ります。携挙が終わった後の大艱難時代に地上で救われたクリスチャン(救われたイスラエルの民と異邦の民)も再臨(子羊の婚礼)を経て千年王国に入ります。

クリスチャンと旧約時代の信仰者は携挙でキリストの花嫁となって、また、大艱難時代に救われたクリスチャンたちも
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黙示録19章で「子羊の婚礼」を経て
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黙示録20章の「千年王国」に入ります。

ですからクリスチャンと旧約時代の信仰者と大艱難時代に救われたクリスチャンは「生きた人々」として千年王国に入ります。
そして携挙の後の大艱難時代に救われたクリスチャン(救われたイスラエルの民と異邦の民)の中でキリストの信仰のために666の反・キリストによる迫害で殉教していったクリスチャンたちが黙示録20:6の「第一の復活」に与って黙示録20:4の「生き返って生きた人々」となって千年王国に入りキリストと共に携挙されたクリスチャンたちと千年王国を治めます。
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20:4 また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。

20:6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。
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「生きた人々」だけがキリストと共に千年王国を治めます。
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20:5 残りの死者(第一の復活に与れなかった人々)は、千年が終わるまでは生き返らなかった。・・・
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残りの死者
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20:12の「死んだ人々」
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20:12 また私は、死んだ人々(第一の復活に与れなかった人々)が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たち(第一の復活に与れなかった人々)は、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
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という流れになります。

20:12の大きな白い御座に居る「死んだ人々」は20:4の「第一の復活」に与れなかったノン・クリスチャン、旧約時代の不信仰者たちだけです。「生きた人々」となっているクリスチャンと全人類の信仰者はこの時点ですでに千年王国から黙示録21章の「新しい天と地」に移されています。

ですから「大きな白い御座の裁きの法廷」にクリスチャンはいません。居るのは「ノン・クリスチャンと旧約時代の不信仰者」だけです。つまり、「大きな白い御座の裁き」はノン・クリスチャンを含めた全人類の不信仰者だけを裁く専用の裁きの法廷です。そして裁判の審理の中で「数々の書物」と照らし合わせながら「いのちの書」に名前が書かれているノン・クリスチャンだけが、次の「新しい天と地」に入ることが出来ます。「いのちの書」に名前が書かれていないノン・クリスチャンは残念ながら第二の死が待っている「火の池」に投げ込まれます。

20:12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
20:15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

問題は、「いのちの書」にはいったい何が書かれているのか?ということです。
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20:13に「海はその中にいる死者を出した。」と書かれています。この意味は、死者で「お墓が無い人々」という意味です。

二千年前の陸上交通の手段は「馬」が主流です。現代のような車も電車も飛行機もありませんから遠くに行くときには馬に乗って出かけます。戦も馬に乗って戦います。聖書には白い馬、赤い馬、青白い馬、黒い馬と表現された馬が所々で出て来ます。そして海をまたいだ国々との交易は「船」です。腕で漕いでマストのセールに風を受けながら海を進んで行く「帆船」です。帆船に人や荷物を積んで海を渡りながら交易をする時代です。そして現代のような気象衛星や雨雲レーダーなんて無い時代ですから気象によって海が荒れて船が難破して遭難することが多くありました。パウロをはじめ使徒たちも度々乗っていた船が難破しそうになって命拾いしたことが使徒の働きその他書簡に書いてあります。手動力と風任せの帆船での航海は気象に影響される出たとこ勝負です。静かな航海になるか荒れた航海になるかは運に任せるしかありません。ですから海で遭難したらまず命は助かりません。海での遭難で多くの命が亡くなっています。当時は船が遭難したら現代のように海上保安庁、自衛隊が航空機と捜索船でやって来て空と海から最新のレーダーや望遠カメラ、ソナーや水中カメラを駆使して捜索することなんてありませんから、海で亡くなれば遺体の収容は困難です。ほとんどの遺体が海の中に沈んで消えていきます。遺体が収容出来なければ亡くなった人をお墓に入れることが出来ません。そういった「海で亡くなってお墓に入ることが出来なかった人々の魂」が、海から出されて「大きな白い御座」に集められて裁きを受けます。だから

20:13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。

と書かれています。「死とよみも、その中にいる死者を出した。」については後で解説します。

また、これは現代でも同じですが

拉致、誘拐などの犯罪によるものなのか?自己都合による家出なのか?分かりませんが、いわゆる「行方不明、消息不明」でそれっきり家族と会うことなく一生安否不明のまま終わってお墓に入ることが出来なかった人々も海から出て来た死者と同じように「大きな白い御座の裁き」に集められます。
戦争で戦地で亡くなってやはり遺体が収容出来ないでお墓に入れなかった人々の魂も「大きな白い御座」に集められます。

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次回の「死後の世界―3」に続きます。

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引用・聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
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