今日はついにこころの電話相談に電話してしまいました。
まだ小学校くらいの頃、家が商売だったので母と車に乗って精神病院に食品を届けに行っていました。
その当時、食品を買ってくれるのは、精神病院が多かったんです。体の病気の人よりもたくさん食べるから。
あの頃、「こういうところに入っちゃうとなかなか出れないのよね」と母が言っていたのを覚えています。「つらいだろうなあ」と子供心に思ったものでした。
しかし、それから10年も経たないうちに俺は不登校になって、精神病院に入院する寸前まで行ったのです。
あの当時は精神病院というと偏見が激しくて、あんなところに入ったら、一生傷物になると思っていたのですが、不登校に対する理解はなく、もう病院に入るしかないというところまで追い込まれたのでした。
毎日が針の筵でした。
結局、入院しようとしたその日、担当の先生がたまたま居なくて、入院はできなかったのですが、それでも近所の人たちからの白眼視は続きました。
その後、どうにか大検に受かって、19歳の時に京都の大学に入りましたが、今度は同じクラスの子達からの白眼視が始まりました。
本当につらかった。
その後、大学院に通っていた頃はほとんど奨学金と母からのわずかな仕送りで暮らしました。
そして、29歳の時にやっと少し仕事ができるようになりました。
30歳になって、仕事の量が増え、多少お金は稼げるようになったものの、それまで引きこもっていた俺が上手くいくわけもなく、再び病院通いが始まったのです。
でも、この頃から徐々に精神科ではなく、心療内科と言われるようになり、偏見は減ってはいったものの、まだまだ大っぴらにすることはできないという時代でした。
最近は学生の中に、心療内科通っているんですとみんなの前で大っぴらにいう子がいます。
だいぶ偏見がなくなってきて、大人でもうつ病や強迫症、パニック障害の人が増えてきて、今となっては心の悩みを抱えた人を偏見の目で見たら、そっちのほうが意識の低い人だと思われるでしょう。
だけど、昔の日本人は本当に考えが幼稚だったんですよね。
今日、こころの電話に電話したのはこの頃不眠で、つい多めに薬を飲んでしまうことを打ち明けるためでした。
俺が今もらっている薬は眠剤のみです。一時期は抗うつ剤や強迫症の薬ももらっていましたが、10年ぐらい前から眠剤のみでどうにかなるようになりました。
今通っている心療内科は32歳の時から通っているところで、先生も高齢のベテランの先生ですし、俺のことをちゃんと知っているので、多めに飲んでも大丈夫な量の薬しか処方しないでしょうし、俺がもらっている薬は貯めて、大量に飲んだにしても、死なないとは聞いています。
ただ、もう30年も眠剤のお世話になっているから、これがなかったら絶対に眠れないからすごく神経質になっています。
これまでお世話になってきた眠剤には感謝しています。
眠れなかったら、仕事に差し障りますからね。
前に「部屋とワイシャツと私」という歌がありましたが、「心配と眠剤と俺」という感じです笑