私達は神に会いに教会へ行くんだ
周りからよく聞かれること。
教会で傷づいて、もう教会に行かなくなったり、教会を変えたり、
そうする人が多いって。
傷つけた人が牧会者なのか、兄弟姉妹なのか、知らないが、
あなたが一番気にしなきゃいけないことは人間関係じゃない。
私がその話を聞くたび、言うのは
私達は教会へ人に会うために行くのではない。
私達は神様に会いに教会へ行くの。
私達は霊である神様に礼拝しに、祈りに教会へ行くの。
それを忘れちゃいけない。
一番優先にすることは神様なのだ。
だから、あの人が嫌いだから、行きたくないと言わないで。
教会も世の中と違わない。
多様な人々が集まっているところである。
みんなの信仰レベルが同じでもない。
信仰的にも、人格的にも成熟な人がいれば、未熟な人もいる。
だから、すべての人が自分と気が合うとは言えない。
自分を含め、そういう人々を神様は少しずつ鍛錬させてくださる。
他の人と人間関係がうまくいかない時、
こう考えてほしい。
「この関係を通して神様が私に悟ってほしいことがあるから、
その人と付き合わせてくださるのだろう」と。
たとえ、あの人があなたに無神経で傷つけたとしても、
あの人のすることが気に入らなくても、
神はその人を見守って、そこからあなたに忍耐を持たせるように
そしてあなた自身のことも見直すように訓練させてくださるのかもしれない。
その人間関係があなたの信仰に影響を及ぼすようになるなら、
それを神様に任せて、ただ祈ってください。
あなたが持ってる問題を神様に全部吐いてください。
「私はこの人間関係について何もできません。あなたにすべてを任せます。
私に神の愛でその人を愛する心を、この状況を耐え忍べる忍耐をください。
神よ、私にこの人間関係から教えてほしいのは何でしょうか?」と。
神様はあなた自分で何か解決しようとするより、
神の愛で相手を愛するように努力しながら、
神様だけに頼り、全部任せるあなたを喜ばれるでしょう。
神はあなたのお祈りに応答してくださる。
相手の態度が変わって、悪かった仲が良くなったり、
その人を他のところに行かせたり、
神は何でもできる全能な方。
あなたにその愛の神を体験してほしい。
一度若手の養育に怠慢だった青年会担当の牧師のことで悩んで
他の牧会者に変えることを願い、祈っていたら、
その牧師が急に他の教会に行かれてびっくりした経験がある。
もちろんやさしい神様は彼を主任牧師として他の教会に行かせてくださったが、
その後、他の教会で牧師が結構苦労していると聞いたので、心が痛かった。
しかし、その牧師も信仰的に成長するため神様から訓練を受けているのだと信じる。
この場合はどっちも損したことがないので、良かったが、
お祈りも慎重にする必要があるってことが分かった。
ただ気楽になりたくて自分のために祈らないで、
どんな状況でもそこでの神の意は何か分かるように祈ってください。
所属教会で自分の居場所を守りながら・・・。
神様の時間と計画に合わせてあなたが現在の教会から出るべきなら、
神様が導いてくださるはず。
私も今の教会に移る前、神からOKサインが出るまで4年間も待っていた。
この証はまたいつか話す時があるでしょう。
教会で傷づいて、もう教会に行かなくなったり、教会を変えたり、
そうする人が多いって。
傷つけた人が牧会者なのか、兄弟姉妹なのか、知らないが、
あなたが一番気にしなきゃいけないことは人間関係じゃない。
私がその話を聞くたび、言うのは
私達は教会へ人に会うために行くのではない。
私達は神様に会いに教会へ行くの。
私達は霊である神様に礼拝しに、祈りに教会へ行くの。
それを忘れちゃいけない。
一番優先にすることは神様なのだ。
だから、あの人が嫌いだから、行きたくないと言わないで。
教会も世の中と違わない。
多様な人々が集まっているところである。
みんなの信仰レベルが同じでもない。
信仰的にも、人格的にも成熟な人がいれば、未熟な人もいる。
だから、すべての人が自分と気が合うとは言えない。
自分を含め、そういう人々を神様は少しずつ鍛錬させてくださる。
他の人と人間関係がうまくいかない時、
こう考えてほしい。
「この関係を通して神様が私に悟ってほしいことがあるから、
その人と付き合わせてくださるのだろう」と。
たとえ、あの人があなたに無神経で傷つけたとしても、
あの人のすることが気に入らなくても、
神はその人を見守って、そこからあなたに忍耐を持たせるように
そしてあなた自身のことも見直すように訓練させてくださるのかもしれない。
その人間関係があなたの信仰に影響を及ぼすようになるなら、
それを神様に任せて、ただ祈ってください。
あなたが持ってる問題を神様に全部吐いてください。
「私はこの人間関係について何もできません。あなたにすべてを任せます。
私に神の愛でその人を愛する心を、この状況を耐え忍べる忍耐をください。
神よ、私にこの人間関係から教えてほしいのは何でしょうか?」と。
神様はあなた自分で何か解決しようとするより、
神の愛で相手を愛するように努力しながら、
神様だけに頼り、全部任せるあなたを喜ばれるでしょう。
神はあなたのお祈りに応答してくださる。
相手の態度が変わって、悪かった仲が良くなったり、
その人を他のところに行かせたり、
神は何でもできる全能な方。
あなたにその愛の神を体験してほしい。
一度若手の養育に怠慢だった青年会担当の牧師のことで悩んで
他の牧会者に変えることを願い、祈っていたら、
その牧師が急に他の教会に行かれてびっくりした経験がある。
もちろんやさしい神様は彼を主任牧師として他の教会に行かせてくださったが、
その後、他の教会で牧師が結構苦労していると聞いたので、心が痛かった。
しかし、その牧師も信仰的に成長するため神様から訓練を受けているのだと信じる。
この場合はどっちも損したことがないので、良かったが、
お祈りも慎重にする必要があるってことが分かった。
ただ気楽になりたくて自分のために祈らないで、
どんな状況でもそこでの神の意は何か分かるように祈ってください。
所属教会で自分の居場所を守りながら・・・。
神様の時間と計画に合わせてあなたが現在の教会から出るべきなら、
神様が導いてくださるはず。
私も今の教会に移る前、神からOKサインが出るまで4年間も待っていた。
この証はまたいつか話す時があるでしょう。
主の臨在の実践 3
眠りに就く前に、頭に浮かぶ最後の思いがキリストであるように気をつけなさい。
あなたの心からあふれる親愛の言葉を、主に語りかけていくことを止めてはいけません。
一日中、主と共に歩むことのできた日には、
主が夢の中への最も親しい道連れとなって下さるのが分かる。
そのような日は喜びの涙で枕をぬらし、額に神がそっと触れてくださるのを感じる。
何時も深い感情に浸るわけではないが、常に「人知を遠かに越えた平安」を持つことができる。
完全に主と共に過ごした日は、このように暮れるのである。
朝、日が覚めてすぐ、こう尋ねてみる。
「主よ、今起きましようか」ある人たちは朝、顔を洗うにつけ、衣服を着けるにつけ、
主に語り続けているのである。
どんな仕事でも、精神的な仕事または手を使う仕事などをしているその間にも、
主を心に留めて置くことができるということを、ある人たちは発見した。
それによってより幸せになり、また良い結果が表れるということを知った。
耐えられないはどの苛酷な試練の中にいる時でも、
見えない神という友が共におられるということが分かれば、新しい力が湧いてくる。
(もちろん人に害のある事をやっていたり、不誠実な事をしている者に、
神が共におられる事を期待することはできない)
大工の仕事をしている人は、一つ一つの仕事について神と静かに語り合うことで、
よりよい仕事ができる。それはイエスが大工であった時なされていたことである。
料理をしている間、皿洗いをしている間、掃除や縫い物をしている間、
子供の世話をしている間にも、キリストとの交わりを深めている婦人たちがいる。
彼女たちが発見した助けとなる方法は、神は喜んで助けて下さることがわかって、
どんな小さなことについても主に語りかけていたことである。
好きな聖歌をハミングして歌うこともあった。
学生たちは試験を受けている時でさえも、主の臨在を来しむ事ができる。
「父よ、私の頭をはっきりさせてください。学んだことの全てを思い出させてください。
次の問題にはどう答えたら良いでしょうか」
神は学ばなかったことには答えてくださらないが、あなたの記憶を鋭くしてくださり、
求めた時にあなたから恐れを取り除いてくださる。
主の臨在を実践する者に、またキリストのもとに近づく者に、困難や苦しみもやってくる。
しかしこれらは新しい喜びの経験に比べれば、たいした事とは思われない。
日毎に神と共に過ごす人は、ちょうどパウロの船が難破した時と同じように、
地震がやってきても、火事が起こつても、飢饉やその他の災害が襲ってきても、
恐がることはない。「完全な愛は恐れを取り除く」
あなたの心からあふれる親愛の言葉を、主に語りかけていくことを止めてはいけません。
一日中、主と共に歩むことのできた日には、
主が夢の中への最も親しい道連れとなって下さるのが分かる。
そのような日は喜びの涙で枕をぬらし、額に神がそっと触れてくださるのを感じる。
何時も深い感情に浸るわけではないが、常に「人知を遠かに越えた平安」を持つことができる。
完全に主と共に過ごした日は、このように暮れるのである。
朝、日が覚めてすぐ、こう尋ねてみる。
「主よ、今起きましようか」ある人たちは朝、顔を洗うにつけ、衣服を着けるにつけ、
主に語り続けているのである。
どんな仕事でも、精神的な仕事または手を使う仕事などをしているその間にも、
主を心に留めて置くことができるということを、ある人たちは発見した。
それによってより幸せになり、また良い結果が表れるということを知った。
耐えられないはどの苛酷な試練の中にいる時でも、
見えない神という友が共におられるということが分かれば、新しい力が湧いてくる。
(もちろん人に害のある事をやっていたり、不誠実な事をしている者に、
神が共におられる事を期待することはできない)
大工の仕事をしている人は、一つ一つの仕事について神と静かに語り合うことで、
よりよい仕事ができる。それはイエスが大工であった時なされていたことである。
料理をしている間、皿洗いをしている間、掃除や縫い物をしている間、
子供の世話をしている間にも、キリストとの交わりを深めている婦人たちがいる。
彼女たちが発見した助けとなる方法は、神は喜んで助けて下さることがわかって、
どんな小さなことについても主に語りかけていたことである。
好きな聖歌をハミングして歌うこともあった。
学生たちは試験を受けている時でさえも、主の臨在を来しむ事ができる。
「父よ、私の頭をはっきりさせてください。学んだことの全てを思い出させてください。
次の問題にはどう答えたら良いでしょうか」
神は学ばなかったことには答えてくださらないが、あなたの記憶を鋭くしてくださり、
求めた時にあなたから恐れを取り除いてくださる。
主の臨在を実践する者に、またキリストのもとに近づく者に、困難や苦しみもやってくる。
しかしこれらは新しい喜びの経験に比べれば、たいした事とは思われない。
日毎に神と共に過ごす人は、ちょうどパウロの船が難破した時と同じように、
地震がやってきても、火事が起こつても、飢饉やその他の災害が襲ってきても、
恐がることはない。「完全な愛は恐れを取り除く」
主の臨在の実践 2
始める方法
自分の好きな時間で、あまり込み入っていない気楽な時間を選びなさい。
その時間にどれだけキリストの事を覚えていることができるか、
また触れていることができるか、
少なくとも1分間に一度はできているかどうかやってみなさい。
つまり60秒間のうち、一秒はキリストを心(思い)にお招きするのである。
始めのうちはうまくいかないが、やり続けなさい。
しばらくすれば、ほとんど自動的にできるようになる。
このことをやり始めると、まもなくあなたは霊的には
まだ弱い幼児であることに気が付くだろう。
ベビーベッドの枠の中にいる赤ん坊は、
手当たり次第に何かをつかんで立ち上がろうとする。
そして数秒はぐらぐらと立っているが、疲れ果てて崩れてしまう。
何度もやっていくうちに、次第に少しずつ長く立つようになる。
あなたが主の臨在の中で、良い時間を楽しんだとしよう。
それではその後、仲間の友達といつもの会話をしているところにいるとしよう。
あなたはそこで1分間に1度主を思い起すということができるだろうか。
これはとても難しい。しかしここに幾つかの助けとなる方法がある。
その時自分の好きな聖歌をハミングするのである(人に聞こえないように)。
たとえば「御旨のままに、主よ、御旨のままに」と、心の内に囁き続けるのである。
「主よ、あなたは私の命です」または「あなたは私の思いです」
ここに助けとなることがすでに証明されている、幾つかの方法がある。
食事のテーブルについているときには、イエス様の言葉の
「私を記念するために食べなさい」を思い出すことである。
このことは普段の食事の時にも当てはまる。
一口ごとに、これはあなたのために砕かれた体である、と覚えるのである。
本を読んでいるときには今読んでいるページについて、神と絶え間なく対話するのである。
もしあなたが、背中をどこかにもたれながら考え事をしている時であるなら、
主のことを思い出すためにはどうしたらよいだろうか。
新しい習慣をつけることによってである。
考える時は黙って言葉を使っているのであり、心の中で話している時でもある。
それで自分にむかって話すのをやめて、キリストに向かって話す習慣をつけるのである。
このことをやってみた人たちがいて、これがとても素晴らしいので、
私たちはもう他の方法でやってみようとはもう思わない。
主を思う思いを持ち続けるのに、他のどんな方法もこれほどにはうまくいかなかった。
全ての思いを、神との対話にするのである。
どんな汚れた思いがやってきても、
「主よ、この思いはあなたと一緒に考えるにはふさわしくありません。
あなたが考えてください。あなたの御臨在によって、私の思いを新しくしてください」と
言うのである。
一人で外を散歩している時には、それほどの努力はしなくても、
1分間に1度は主を思い起すことができる。
人に聞かれない場所をぶらぷら歩いている時なら、
内なる見えない方と大きな声で話すことができる。
主が何を一番考えておられるのか聞いてみるとよい。
そして神様が答えてくださつたと信じることを大きな声で言ってみるのである。
もちろん何時も、これは神の答えだと正確に言い切れることはできないが、
それが確かにそうであると言える場合がいかに多いか、これは驚くべきことである。
しかし実際のところ、私たちの答えが正しいかどうかを確信することは、
さして必要ではない。
なぜなら答えが大事なのではなく、大事なのは神ご自身なのだからである。
神ご自身がその忠告や贈り物よりもはるかに重要なのである。
キリストと話すことができる、その最も重要な特権はキリストとの親密さなのである。
私たちは、栄光に満ちた天国の時の流れに身を置くことができる。
一人で散歩をしている時にも得られる、この人生の最も大きな喜悦を失うことは
何と愚かしいことであろう。最も素晴らしい発見と言えるものは、
「キリストが私の内に住み賜う」というパウロの言葉にある。
もし私たちが神のささやかれることに、一切を捨てて答えていくなら、
神は私たちの内に住まわれ、私たちの声を通して話されるのである。
血潮から ・ 何者も主に代わるものはない
韓国の教会でよく歌われる賛美歌2曲をご紹介。
ちょうど日本語で訳されたのを見つけたので、
ここに。
霊的戦いの時は
「イエス様の血潮」の賛美歌を歌うことをおすすめします。
また、家でもイエス様の血潮関連の賛美歌を聞く(流す)と良い。
血潮から
血潮から神のもとへ
血潮から御座のもとへ
血潮から神のもとへ
歩みをすすめる
主イエスの血潮
私を聖める
主イエスの血潮
生まれ変わらせる
何者も主に代わるものはない
なにものも主に
代わるものはない
どんな恵みも求めない
イエスだけが私の助け主
主を仰ぎ見行きます
主よ
愛します
心つくして
あなたの真実な
ともになりたい
デイビッド・ウィルカーソン牧師のメッセージ
この前ご紹介したデイビッド・ウィルカーソン牧師。
私はデイビッド・ウィルカーソン牧師のメッセージがメールで送られるように
購読申請をして置いたので、
サイトに行ってチェックしなくても簡単に牧師の貴重なメッセージに接することができる。
直接サイトに行けば、昔のメッセージまで読めるのでそれもいいけどね。
そして、この前も良いメッセージがあったので、あなたに伝えたくて、
ウィルカーソン牧師の説教やメッセージすべてを管理してるWorld Challenge, Inc.に
直接コンタクトし、リンクさせて頂くように許可を取った。
以前一回ウィルカーソン牧師のメッセージやサイトをブログに載せたが、
本当は著作権のことでリンクさせるのも許可を取らないといけないし、
リンク以外にメッセージをそのまま載せちゃ駄目らしい。
メッセージを紙にプリントして配るのは大丈夫だが、
ウェブサイトに乗せるのは著作権違反になるらしいので、
これからも良いメッセージがあれば、紹介し続けたいし、
それで、リンクだけでもちゃんと許可を取ってから紹介したかった。
なので、これからあなたとシェアしたいと思うメッセージはリンクしてご紹介するが、
もしあなたがデイビッド・ウィルカーソン牧師のメッセージを読み続けたいと思うなら、
できれば、あなたも購読申請をしてメールでもらえばいいと思う。
そして、教会とか友達に紹介したいなら、
メッセージをペーパーにプリントして使ってください。
メールでの購読は英語で申請しないといけないが、
私が今から紹介する「約束の地」のメッセージを読みに行けば、
メッセージの右側上端に
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簡単でしょう? これからあなたもメッセージがメールで読めます。
そして、今日のご紹介したいメッセージは「約束の地」。
読んでみてください。
こちらへ主の臨在の実践 1
今度ご紹介するフランクラバック著「主の臨在の実践」。
以前には日本で購入可能だったらしいが、
現在ネットで調べてもどこでも販売してない。
その中の一部ですが、かなり長くて、少しずつ分けて書き綴るので、
忍耐を持って読み続けてください。
主の臨在を実践するための実際的な助け
キリストにもっと時間を与えなければ、キリストのようにはなれない
先生を養成する大学では、3年間に週25時間の授業を学生たちに課している。
仮に、先生や弁護士を養成する学校が、
学生たちに週10分の授業しか課さないとするなら、
有能な先生や弁護士を育てることができるだろうか。
キリストの場合も同じである。
主は弟子たちに「3年の間、1日24時間、私のもとに来て、
共に歩き、共に食し、共に休みなさい」と言われた。
これが弟子たちの大学コースなのである。
「神が彼らを選ばれたのは、キリストと共におらせるためであった。」と聖書に書いてある。
週に168時間である!
このように、主と共にある生活を1ヶ月の間してみれば、誰でもその力を知る者となる。
それは生まれ変わるようなことであり、心の中から周辺に影響していく経験である。
このことをやってみようとするならば、誰でも全く変えられていくのである。
どのようにすれば男性でも女性でもこのことができるのだろうか。
本当に私たちは幼子のようにならなければ、このことに成功しないのである。
1分間に1度は、心はキリストを呼び求めるようにやってみると良い。
他の事を忘れたり、仕事の手を休めたりする必要はない。
ただ、あなたが話をしたり考えたりしている間にキリストをそこにお招きして、
それを一緒にするのである。
目が覚めている間、その全ての瞬間をキリストと共に過ごす方法を見いだすのに、
さまぎまな実験をした人たちがいる。
実のところ、この新しい習慣を身につけるのは、タイプの練習をするより易しいのである。
時がたてば、一日のほとんどの時何が、わずかな努力で主に明け渡されるようになる。
その努力は、プロのタイピストが手紙を打つ努力ほどもいらないのである。
臨在の実践のためには全ての時間が必要となるが、
だからといって必要な仕事のための時間を奪うことにはならない。
かえって毎日やっていることの中にキリストをお迎えしていくとき、
その仕事は一層うまくいくことになる。
神の臨在の実践は試験的なものではない。
すでに数えきれない聖徒達によって証明されている。
どのような時代の、霊的に偉大な聖徒達もこれを知っている。
その努力の結果は、1ヶ月もたてばはっきりと出てくる。
半年もすれば、更にもっと豊かな措果が得られる。
そして10年もたてば、栄光に満ちたものになる。
「倦むことなく、祈り続けなさい」
「全てのことで、あなたの願いを神に申し上げなさい」
「全て神の御霊によって導かれている者は、すなわち神の子である」とパウロは言っている。
誰もが自分自身に全く満足しているわけではない。
私たちの生活は光と陰、良き日と不満足な日とで織り成されている。
良き日や良き時は、キリストに近付いた時にやってくることを、私たちは学んだ。
そこから歴然としてくることは、良き日や良き時をもっと持てるためには、
話したり思ったりすること全てにおいて、もっとキリストに近付いていくことなのである。
これは立派な決意のみでは充分でないと、経験によって私たちは教えられている。
決められたやり方で、日々の生活は訓練されていく必要がある。
分刻みに絶えすキリストに日を向けるという方法が大きな助けになることを
私たちの多くが学んできた。
これはエノクが「主と共に歩んだ」とある時代からの古い方法である。
ほとんど誰もが知っていて、ほとんど誰もが無視しているやり方である。
プラザー・ローレンスの「神の臨在の実践」という本によって、
これが新鮮な方法であることを知った人たちもいると思う。
これれは喜びの経験であり、また気持ちを活気づけてくれる霊的な実践である。
しかし、それ以上のものがそこにある事が分かってくる。
それは暗い牢獄から抜け出て、新しく生き始める事のようだと言っている人もいる。
見える世界は全く変わらないが、しかし前と同じではない。
世界は新しい栄光にあふれた色彩を放ち、より深遠な意味を持つものとなるのである。
これは容易なことではあるが、何か一つの習慣を身につける時と同様に難しさを伴う。
あなたは今まで一週間のうち、数秒または数分だけは神に思いを向けるが、
残りの時間は全く神を忘れて過ごしていたかもしれない。
あなたは今プラザー・ローレンスのように、
目覚めている全ての時間を神と共に過ごそうとしている。
このように徹底して習慣を変えようとすると、始めのうちは実に大変な努力が要るのである。
以前には日本で購入可能だったらしいが、
現在ネットで調べてもどこでも販売してない。
その中の一部ですが、かなり長くて、少しずつ分けて書き綴るので、
忍耐を持って読み続けてください。
主の臨在を実践するための実際的な助け
キリストにもっと時間を与えなければ、キリストのようにはなれない
先生を養成する大学では、3年間に週25時間の授業を学生たちに課している。
仮に、先生や弁護士を養成する学校が、
学生たちに週10分の授業しか課さないとするなら、
有能な先生や弁護士を育てることができるだろうか。
キリストの場合も同じである。
主は弟子たちに「3年の間、1日24時間、私のもとに来て、
共に歩き、共に食し、共に休みなさい」と言われた。
これが弟子たちの大学コースなのである。
「神が彼らを選ばれたのは、キリストと共におらせるためであった。」と聖書に書いてある。
週に168時間である!
このように、主と共にある生活を1ヶ月の間してみれば、誰でもその力を知る者となる。
それは生まれ変わるようなことであり、心の中から周辺に影響していく経験である。
このことをやってみようとするならば、誰でも全く変えられていくのである。
どのようにすれば男性でも女性でもこのことができるのだろうか。
本当に私たちは幼子のようにならなければ、このことに成功しないのである。
1分間に1度は、心はキリストを呼び求めるようにやってみると良い。
他の事を忘れたり、仕事の手を休めたりする必要はない。
ただ、あなたが話をしたり考えたりしている間にキリストをそこにお招きして、
それを一緒にするのである。
目が覚めている間、その全ての瞬間をキリストと共に過ごす方法を見いだすのに、
さまぎまな実験をした人たちがいる。
実のところ、この新しい習慣を身につけるのは、タイプの練習をするより易しいのである。
時がたてば、一日のほとんどの時何が、わずかな努力で主に明け渡されるようになる。
その努力は、プロのタイピストが手紙を打つ努力ほどもいらないのである。
臨在の実践のためには全ての時間が必要となるが、
だからといって必要な仕事のための時間を奪うことにはならない。
かえって毎日やっていることの中にキリストをお迎えしていくとき、
その仕事は一層うまくいくことになる。
神の臨在の実践は試験的なものではない。
すでに数えきれない聖徒達によって証明されている。
どのような時代の、霊的に偉大な聖徒達もこれを知っている。
その努力の結果は、1ヶ月もたてばはっきりと出てくる。
半年もすれば、更にもっと豊かな措果が得られる。
そして10年もたてば、栄光に満ちたものになる。
「倦むことなく、祈り続けなさい」
「全てのことで、あなたの願いを神に申し上げなさい」
「全て神の御霊によって導かれている者は、すなわち神の子である」とパウロは言っている。
誰もが自分自身に全く満足しているわけではない。
私たちの生活は光と陰、良き日と不満足な日とで織り成されている。
良き日や良き時は、キリストに近付いた時にやってくることを、私たちは学んだ。
そこから歴然としてくることは、良き日や良き時をもっと持てるためには、
話したり思ったりすること全てにおいて、もっとキリストに近付いていくことなのである。
これは立派な決意のみでは充分でないと、経験によって私たちは教えられている。
決められたやり方で、日々の生活は訓練されていく必要がある。
分刻みに絶えすキリストに日を向けるという方法が大きな助けになることを
私たちの多くが学んできた。
これはエノクが「主と共に歩んだ」とある時代からの古い方法である。
ほとんど誰もが知っていて、ほとんど誰もが無視しているやり方である。
プラザー・ローレンスの「神の臨在の実践」という本によって、
これが新鮮な方法であることを知った人たちもいると思う。
これれは喜びの経験であり、また気持ちを活気づけてくれる霊的な実践である。
しかし、それ以上のものがそこにある事が分かってくる。
それは暗い牢獄から抜け出て、新しく生き始める事のようだと言っている人もいる。
見える世界は全く変わらないが、しかし前と同じではない。
世界は新しい栄光にあふれた色彩を放ち、より深遠な意味を持つものとなるのである。
これは容易なことではあるが、何か一つの習慣を身につける時と同様に難しさを伴う。
あなたは今まで一週間のうち、数秒または数分だけは神に思いを向けるが、
残りの時間は全く神を忘れて過ごしていたかもしれない。
あなたは今プラザー・ローレンスのように、
目覚めている全ての時間を神と共に過ごそうとしている。
このように徹底して習慣を変えようとすると、始めのうちは実に大変な努力が要るのである。
フランク・ラバック
Frank Laubach / フランク・ラバック宣教師
(1884‐1971、アメリカ)
「文盲人のための使徒」と呼ばれたフランク・ラバックは
ィリピン南部のイスラム教徒の中で宣教師として働き、
フィリピンで生を終えた。
1930年45歳の時から神の臨在にとどまるという訓練を始める。
フランク・ラバック宣教師は
彼が神の臨在を体験した霊的な日記を
「私はただドアを開けただけです。
それ以外のすべては神様が全部なさいました。」と
書き始める。
彼はそう言ってるが、実に彼が自分のドアを開けるまでには
多くの努力と訓練があった。
ラバック宣教師は神にお会いするために15分または30分ごとに
自分の行動が神様の意に適するかチェックする努力をした。
彼はそうするたび
「天の父である神よ、
私が何を言うことを願われるんですか?
今この瞬間私が何をすることを願われるんですか?」と聞き、
その中微かに聞こえて来る御声に耳を傾け続けたようだ。
彼はそうやって目を覚ましている間はいつも
応答、順従、鋭敏、温和しやか、そして、神を愛することを求めた。
彼は変わらない決心を持ち続け、神に近づいた時、
「私の魂の深い泉が新しく湧き出し、力が湧き上がるような気がした。
私は毎日が新しい発見でうれしいし、興奮している」と告白した。
もちろんこの時彼の経験が完璧ではなかった。
彼はこのような感激的な、言葉では説明ができない、
その瞬間を保つようにすごく努力をした。
彼は神との一時間の親密な交際をした後は、
「自分の魂の目が明るくなると感じる」と告白した。
しかし、彼が悟ったのは外部的な努力より
「自己放棄」だと言う。
自分の中の何かを諦める瞬間、
神様が近づいてくださるのだ。
それこそ、
心が溶ける神の臨在であり、父の優しい愛のささやきである。
今までこのような体験ができなかった理由は
自分を諦めることに失敗したからである。
「神とのお付き合いがすごく良かったので、
主を少しでも想わないと、主を捨てたような気がして、
自分の人生で何か一番貴重なものを失ったように感じる」と
告白したほどラバック宣教師は主と親しい関係を持っていた。
それにも関わらず、
神様に集中するのは決して簡単じゃないと告白した。
しかし、そう言った同時に神様に集中していれば、
他のことはそんなに大変なことにならないとも言った。
まず分からなければならないことは
神が私たちをクリスチャンとしてお呼びになったことは
私たちと常に一緒になることを願われるからだということ。
神と共にいるためにはまず子供のような心を持たなければならない。
そしてキリストを心の中に仕えようと努力すること。
それは他のことを全然しないでと言うことではない。
ただあなたがしていること、言う言葉、そして考えをキリストとシェアすれば良い。
主様との交際の段階は
初歩から始め、確証、豊か、そして栄光に繋がる。
これに関してはバウロの言葉を。
絶えず祈りなさい。
テサロニケの信徒への手紙一 5:17
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
フィリピの信徒への手紙 4:6
神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
ローマの信徒への手紙 8:14
Youth With a Mission
Youth With a Mission (通称: YWAM / ワイワム)
ユース・ウイズ・ア・ミッション
"to know God and to make Him known"
(神様を知り、神様を知らせる)
をモットーとして、
神様からのビジョンを持ったアメリカの牧師ロレン・カーニングハムにより
1960年創設された団体。
YWAM のDiscipleship Training School(通称:DTS / 弟子訓練学校)は
YWAMのエントリレベル・トレーニングで
神の御声を聞くこと、神の心を祈ることに関しての訓練ではかなり先駆者である。
YWAMには、世界171ヶ国に約1,100ヶ所のベースがあり、
16,000人のフルタイム・スタッフ全員は、ボランティアとして働いて、
年間25、000人の短期間ミッションのボランティアをトレーニングしている。
私は設立者であるロレン・カーニングハム牧師の本を読んで、
YWAMを知ることができ、YWAMのDTSを受けたかったが、
ハワイに半年も行ける余裕が無くて断念。
しかし、周りにはハワイのDTSや韓国、他の国で行われたDTSに
参加した若手が数人いるぐらい、結構知られてる団体である。
イエス様への熱情を持った青年で神の御声を聞くことに興味があるなら、
このYWAMのDTSを考えてみてもいいと思う。
残念ながら、 私の楽しく読んだ
「Is That Really You God?」(本当にあなた神様ですか?)、
「Daring to Live on the Edge」(崖のコーナーに立つ勇気)、
「Making Jesus Lord」(イエス様を主に)など
ロレン・カーニングハム牧師の本はまだ日本に出版されなさそうが、
日本にも26年前から大阪でYWAMジャパンが始まったよう。
YWAMジャパンから図書の購入が可能かも。
YWAMの基本理念はぜひ読んでほしい。
こちらへYWAMジャパン
http://www.ywamjapan.com
YWAM
http://www.ywam.org
あなたは霊的な存在である
あなたは自分が霊と魂を持つことを信じる?
人間は霊(Spirit)、肉(Body)、そして魂(Soul)的な存在。
動物は肉と魂。
犬も魂的な存在なので、
感情(Emotion)、知識(Knowledge)、そして意志(Will)を持ってる。
喜ぶ時は尾を振る。
誰が自分の主人なのか分かる。
主人に「来い」と呼ばれても行きたくないなら、主人に寄らない。
だけど、動物に無いのが霊。
人間と違って、
恋して、失恋して、心が寂しかったり、胸が痛かったりしない。
霊を持って無いので、神様を求めることも、神様との交際への希望も、
神様とお付き合いする能力もない。
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。
そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
創世記 1: 26
神である主は
御自分にかたどって人を創造されて、
土地のちりで人を形造り、その鼻に命の息を吹き入れられた。
それで人は生きものとなった。
人間は動物と違って神様のイメージで創られ、霊が与えられたのだ。
脳死状態の人でも涙を流す時がある。
これは人間が霊であるから。
なので、自分が霊的な存在だってことを意識してください。
肉体のことばかり考えないで、
自分の霊のことを考えてください。
神は霊である。
だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
ヨハネによる福音書 4:24
霊である神に礼拝するってことは
あなたの肉体ではなく霊で礼拝するってこと。
霊である神と会うってことは
あなたの肉体ではなく霊で会うってこと。
造られた人(アダム)は元々霊である神と交際をした。
しかし、罪を起こし、神との対話が断絶され、
それから人の霊は神との交際ができず、眠っていた。
聖書の中、モ ― セのように神に用いられて神と対面した人々もいるが、
ほとんどの人々の霊は眠っていた。
あなたが神と交際するためには
今まで眠っていた自分の霊を起こす必要がある。
神へ会いに行く通路であるお祈りを通して自分の霊を起こす必要がある。
あなたの霊が目を覚まし始めると、
霊で異言(天の言語)を語る。
霊で神様の御声が聞こえる。
御声が聞こえるから、預言ができたりもする。
霊で天のことが分かったりもする。
霊で神と親密な関係になる。
霊である神なので、あなたと「霊と霊」で会い、
色々なことを教えてくださるのだ。
そういう霊的な世界は確実にある。
それは肉体ではなく霊で分かる。
だから、キリストの秘密を分かるためには
神と親しい関係になるためには
あなたは霊的な人になる必要がある。
あなたが霊的な人になると、
聖書の中で今まで悟ることができなかったことも
なぜ前はこれを知らなかったんだろうと思うぐらい
新しく発見することが多くなる。
聖書が以前より読みやすくて、分かりやすくなる。
霊である神の御言葉を霊で分かるからなのだ。
自分に聞いてみてください。
私は今霊的な人であるか。
霊的な人になって神と交際をしたいと慕っているのか。
イエス・キリストの秘密を知りたがっているのか。
そうなら、これからもっと祈ってください。
自分の霊を起こすため、何より神様だけを求めて祈ってください。
そのため聖霊様の導きを求めて祈ってください。
そこから始まります・・・。
The Greatest Gift
The Greatest Gift(最高のギフト)
Written & Song by Matt Redman with Hillsong London
マット・レドマン
イギリス出身で現在アメリカのアトランタをベースとして活動する
作曲家であり、クリスチャン・ワーシップリーダー。
彼の作った音楽「The Heart of Worship」、 「Once Again」、
「Better is One Day」、 「Blessed Be Your Name」、 「you never let go」などは
とても有名で多様なワーシッパーに歌われてるので、
今日はHillsong Londonのアルバム「Jesus is」に収録された
この曲をご紹介。(もちろん上の曲のタイトルを押せば、その曲も聴ける。)
「非難から自由になる。
私の中での神の働きは最悪感と羞恥心から私を解放されてくれる。
あなたの十字架にその最悪感と羞恥心を残し、
この恵みで私は自由になる。
あなたの救いは最高のギフト、
私の中で効いてる」
・・・のような内容です。
マット・レドマンのサイトは
http://mattredman.com/