-  ローマ人へ手紙1章4節 人生において最も大切な真理(神の恵みの福音) -

※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問

 

※ YOUTUBEバージョンです。

 

 

(ローマ1:4)「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

 

 神の御子なるお方、主イエス・キリストは、全人類のための救い主です。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ三:一六)
 

神は世人を愛して、御子イエス・キリストを十字架の上につけられました。
 

「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ三:一七)
 

 神は御子をイスラエルの民ばかりでなく、世界に遣わされたのです。それは、御子によって、世界中の民の中の信じる者がすべて救われるためでした。ですからイスラエルの民でも、異邦人でも、

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ三:三六)

のです。


「神はこのイエスをよみがえらせました。」(使徒二:三二)


「ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」(使徒二:三六)

「皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。‥‥‥‥この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒四:一〇、一二)


 主イエス・キリストの復活こそ、キリスト信者の唯一の土台であるのです。「なぜあなたはキリストを信じているのですか。」と質問されたなら、すべてのクリスチャンは「主イエス・キリストが復活されたからです。」とのみ答えるべきです。それ以外の理由はキリストを信じるための理由としては薄弱です。「人生に不安を感じたから。」「心の平安が欲しかったから。」「心に重荷があったから。」「生きる目的が無かったから。」「罪に悩み、良心の苦しみに耐えられなかったから。」等々は、神を信じる動機としては非常に大切であり、また必要なきっかけでしょう。だがそれらはキリスト信者が、キリストを信じている根拠ではありません。私たちが、いのちをかけてイエス・キリストを信じなければならない理由は、主イエス・キリストが、歴史上の事実として復活されたからです。

 

 主イエスの復活を歴史上の事実として信じる必要の無いキリスト信仰というものは、教会の初代から現代に至るまで、殉教者らが血を流しながら守ってきた信仰ではありません。それはサタンが造りだした偽信仰であり、のろわれるべきものです。近代主義者、偽神学者やモルモン教、エホバの証人、統一協会等の異端者らが説く、愚かな白痴的な「この世の幼稚な教え」であり、だましごとの哲学です。


 ――――一九六〇年代に、私が禅宗の石黒某という僧侶ととりかわした会話です。
「あなたは禅宗を真理であると心から信じておられるのでしょうね。」
「もちろん、そうです。」
「ですからあなたは、いのちをかけて禅宗をやっておられるのですね。」
「そうです。」
「禅宗を真理であると確信しておられるのでしょう。」
「はい。」
「真理はすべての者が知らなければいけません。すべての者が信じなくてもよいものは真理ではありません。禅宗が真理であるならば、私も知らなくてはいけません。ぜひ私にも、あなたがいのちをかけて信じている真理を教えてください。あなたは私が、今から五分後に死ぬと思って、真剣に語ってください。私も、五分後に死ぬと思って真剣に聞きますから。これだから禅宗は真理であると明確に示してください。」
「よろしい。私は人生の無常を知り、人間社会の不条理を見て、仏陀の教えを研究し、・・・うーーん。うーーん。」
「???―― (二、三分後)すみません。私、あと二、三分しかないのです。真理はこれだ、というものを教えてください。」
「それは無理だ。私が三十数年かけて悟った真理を五分間で説明することはできない。」
「三十年かかっても、四十年かかっても、今あなたが真理を知っているならば、それを説明できるはずです。私もその真理を信じなければなりませんから。」
「無理です。」
「どうしてですか。私は真理を知らなくてもいいのですか。真理はすべての者にとって真理であるはずです。あなたにとって真理であるものは、私にとっても真理であるはずです。あなたはその真理を伝えるためにお坊さんになっておられるのではないのですか。」
「真理は自分で会得するものです。」
「そうかも知れません。しかし私にはその時間がないのです。私はその真理を知って死にたいのです。どうか私に教えてください。」
「できません。」
・・・しばらくの沈黙の後に、私は言いました。
「ひょっとして、あなたは真理を説明できないのではなく、真理を知らないのではないのですか。」
「いや、知っている。」
「知っているならば説明できるはずです。説明してください。」
「では君はできるのか。」
「あなたがそう言われることは、ご自分には真理がないと言うことの表明になりますよ。それではあなたには真理がないとして、私があなたに私が知っている真理を説明いたしましょう。」
「ではやってみい。」


「この全宇宙、全世界をお造りになった神が存在されます。人間はこの神によって創造されました。ところがあなたはその神を信じず、神を神と認めていません。それは神に対する反逆です。それは罪です。あなたはやがて死にます。あなたは死後、その罪の刑罰を受け、地獄に行かなければならないはずです。が、神様はあなたを愛しておられるので、あなたをさばきたくありません。神様はすべての人を愛しておられます。それで、神はご自分の御子をこの世界にお遣わしになり、処女マリヤを通して人間とならしめられました。この御方がイエス・キリストです。神の御子イエス様は、私たちの罪のために、私たちの身代わりとなって十字架の上で死んでくださいました。イエス様は私たちの罪のための完全な贖いを成し遂げてくださいました。そしてイエス様は、死後三日目に復活されて、死の力を打ち破られ、その後四十日間、五百人以上の弟子たちの前にご自身を現わされて、ご自分の復活の確証をお与えになり、オリーブ山の上から復活されたおからだを持ったままで天の御国に帰られました。神はだれでも、御子を信じる者の罪をすべて赦し、救ってくださいます。これが真理です。」


「一度死んだ人間が復活したなんてばかばかしいことを信じているのか。」
「あなたがそれを、馬鹿々々しいと思うか思わないかは問題ではありません。それが事実であるならば、たとえ、あなたがそれをばかばかしいと思っても、事実として認め、信じなければなりません。それが歴史上の事実であるか、ないかが問題なのです。」
「あなたがたクリスチャンは、キリストが復活したと本当に信じているのか。」
「そうです。そのあなたにとってばかばかしいことのために第一世紀の多くのクリスチャンが迫害を耐え、殉教していったのです。キリストの復活が事実でないならば、復活もしなかったキリストを信じ、天国へ行けると信じて死んでいった第一世紀のクリスチャンほど馬鹿な人間はいなかったのです。しかし、もし彼らが正しくて馬鹿でなかったならば、あなたが馬鹿になります。とにかく、今から約二千年前にそのような馬鹿な人間が大勢いたことは歴史上の事実です。彼らが十字架の上にはりつけにされて殺されたイエスという人物を神、また救い主と信じたことは歴史上の事実です。この事実から少なくともキリストが十字架の上で死なれ、墓に葬られたが、その墓が三日目に空になったことが歴史上の事実であることを認めなければなりません。では、なぜその墓が空になったのかについて考えてみましょう。それは、キリストの死体が
盗まれたのか、それとも事実として復活されたのかのどちらかです。キリストを十字架につけた者たちがキリストの死体を盗んで、キリストの復活をねつ造する手助けをするはずがありません。では弟子たちがそれを盗み出して復活の嘘を作り、その嘘を宣伝したのでしょうか。しかし嘘のために死ねる人は、たといひとり二人いても、数百人はいません。第一世紀のキリスト信者たちが真実に、真心からキリストを信じ、崇めていたことは事実です。彼らがキリストの死体を盗んだのではあり得ません。唯一の正解はキリストが歴史上の事実として復活されたことです。この事実はあなたがばかばかしいと思っても、あなたがばかばかしいと思うほど驚くべき神の奇蹟の御業であるのです。キリスト様こそ人となられた神であり、真の救い主です。キリストによる以外に救いはありません。これが真理です。私はあなたに対する、心の底からのお願いとして言います。真理でない仏教を捨てて、主イエス・キリストを信じ受け入れてください。」
その人は沈黙してしまいました。それでその会話は終わりました。


 パウロは、この御方こそ、私たちの主です、と告白しています。それは「すべての道はローマに通じる」と言われた時代でした。すべての若者は、ローマを目指していたことでしょう。ローマで成功し、有名になり、名誉を獲得しようと彼らは必死に努力したことでしょう。しかし、その当時のローマは、今は廃墟です。その当時、ローマにあったもので、今に至るまで残って、生きて働いている唯一のものがあります。
 

 それはパウロが語ったイエス・キリストの福音です。

 

 そしてパウロのように、イエス・キリストを主と仰いで、主イエスに仕えたクリスチャンたちの信仰です。現在も、人々は金、名誉、地位、権力を求め、それらに仕えています。そして、彼らも昔のローマ人と同じように空しい生涯を終えて、滅んで行きます。彼らの主は彼らの欲望です。彼らは自分の欲に仕え、欲の奴隷となっているのです。

 

 だがクリスチャンは違います。クリスチャンの主はイエス・キリストです。クリスチャンは主イエス・キリストに仕えています。真実なクリスチャンの読者の方々。あなた方は何に仕えておられますか。神を知らぬ世人と同じように欲に仕えておられませんか。それとも、明確に、「イエス・キリストは私の主です。」と告白できますか。もしあなたが、主イエス・キリストを真実に信じていながら、主イエスを実際的に主とせず、また主イエスに仕えておらず、金持ちになろう、地位を得ようとしているならば、あなたは主イエスを真実に愛しておられません。あなたは救われていますが、あなたの生涯は空しく、無意味であり、無駄です。どうか、私たちのすべてが、心から、イエス・キリストこそ私の主です、私は主イエスのために生きています、とはっきり、何も躊躇することなしに告白できる者でありますように。

 

※ 是非、引き続きブログ「いのちのみことば」をお読みください。

 

― 特別聖書集会のご案内 香川県高松木太キリスト教会 -

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6月3日(金) ① 19:30~20:30

6月4日(土) ② 14:00~15:00  ③ 19:30~20:30  

6月5日(日) ④ 10:00~11:00  ⑤ 14:00~15:00

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

※ 約12分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。

 

 

 

是非これを読まれた方が主イエス・キリストを信じ救われることを心より願っております。罪のゆるしについて、死後のさばき(永遠の地獄)からの救いについて、真剣に考えたい方、話を聞きたい方は是非プロフィールクリック→メッセージください。あなたがどうすれば救われるのか一緒に考えさせてください。

 

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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。

~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~