-  1章 福音書の目的。ガブリエルがザカリヤに現れ、ヨハネの誕生を告知する。ガブリエルがマリヤに現れ、イエスさまの処女降誕を告知する。マリヤ、エリサベツを訪問する。ヨハネの誕生。 -

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※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問

 

 ルカ医師はほかの共観福音書よりも歴史的な前から福音書を始めます。黄金の祈りの祭壇のところでバプテスマのヨハネの誕生を告げるために御使いガブリエルが突然現れるまで、天は400年余りに渡って沈黙していましたルカはヨハネとイエスさまの誕生と同時に、その背景を書いています。

 

(ルカ1:1-4)「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。」

 

 事実、ルカが言わんとしているのは、「私たちは実地検査をした目撃者であり、私はあなたに私たちの発見したことを書いています」ということなのです。ルカが使っている第二の大切なことばは、“みことばに仕える者”この章の最初の4つの節は、すばらしい始まりです。ルカは、人々に主イエス・キリストについての確信と保証とを与えるためにこの福音書を書いたのです。本当に神さまのみことばを知っているなら、アナタは信じるでしょう。聖書について無知な人々には問題があります。問題は、聖書の中にあるのでも、主イエス・キリストにあるのでもありません。私たちのうちにあるのです。

 

(ルカ1:5)「ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。」

 

 神さまは、400年の沈黙を破られます。年代順には、ルカが新約聖書の始まりです。ルカはバプテスマのヨハネの誕生、御使いガブリエルがヨハネの父親が宮で仕えているところへ現れた場面にさかのぼります。ヨハネの両親はザカリヤとエリサベツです。 “ザカリヤ”という名は「神は覚えておられる」そして“エリサベツ”は「主の誓い」という意味です。いっしょにすると、彼らの名前は「神さまはご自分の誓いを覚えておられる」という意味になります。神さまはいつ誓われたのでしょう。詩篇89:34-37に神さまの誓いが記録されています。神さまは、ダビデに彼の子孫のひとりが永遠に治めると言って誓われました。キリストがその子孫です。

 

(ルカ1:6)「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。」

 

 彼らは自分たちが罪人であることを認め、必要ないけにえをたずさえて行っていたのです。彼らの歩みは、彼らの救いを賞賛していました。彼らが罪を犯したり間違いを犯したときに、彼らは的確ないけにえを持ってきていました。

 

(ルカ1:7)「エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。」

 

 子どものいない、老夫婦がいます。子どもがないことは、ヘブル人の女性にとってはほとんど恥辱でした。エリサベツには子どもがなかったのです。レビ族に属していたザカリヤは、宮で奉仕していました。

 

(ルカ1:8-12)「さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、」

 

 ザカリヤは祈りの場所である、金の香壇のところで仕えていました。夕方のいけにえの時間で、特にこの奉仕では、彼は香を香壇にくべました。突然、主の使いが現れました。もし御使いを見たら、アナタならどうしますか?アナタの反応はきっとこの人と同じであったことでしょう。不安と、恐怖を覚えるでしょう。

 

(ルカ1:13)「御使いは彼に言った。『こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。』」

 

 ザカリヤは息子を祈り求めていました。エリサベツも息子を祈り求めていました。私は、たくさんの人たちが息子を祈り求めていると思います。どのようにして私は彼が息子を祈り求めていたと分かるか、ですか?なぜなら、御使いが「あなたの願い(訳注:英語では祈り)が聞かれたのです」と言ったからです。

 

(ルカ1:14-15)「『その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、』」

 

 エリサベツとザカリヤの息子は、ナジル人になるべき人物でした。ナジル人の誓いのひとつは、強い酒やぶどう酒を飲まないということです。その人は聖霊さまと神さまとのうちに喜びをみつけなければなりませんでした。それがエペソ人への手紙5:18でパウロが次のように言っている理由です。アナタの喜びは酒瓶からではなく、神さまから得てください。私たちは神さまの聖霊は私たちが人生に直面する力を与えてくださることを認める必要があります。

 

(ルカ1:16-17)「『そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

 

 ヨハネは、父たちの心を子どもたちに向けさせます。彼はジェネレーション・ギャップの橋渡しをしなければなりませんでした。今日の私たちの問題は、大人と若者の間のギャップよりも、大人と神さまの間にギャップがあるということです。もしも大人たちが神さまとの正しい関係を持っていたら、今あるような若者たちとの間の問題はなくなることでしょう。

 

(ルカ1:18)「そこで、ザカリヤは御使いに言った。『私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。』」

 

 アナタはそんな祈り方をしたことがありますか?神さまに何かを求めて祈りますが、でも本当は、神さまがそれをアナタにくださるとは信じていないのです。これは、私たちが祈りの答えを得ない理由のひとつです。私たちにはまったく信仰がありません。この男、ザカリヤはなかなか人間的な人物で、私は彼を笑わずにはいられません。なぜなら、私もときどきそんな祈りをしているからです。

 

(ルカ1:19)「御使いは答えて言った。『私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。』」

 

 神さまのみことばには、神さまの印章が押されています。神さまのみことばは、権威を持っています。ヴァーノン・マギーが言うことは大切ではありませんが、神さまのみことばが言うことは大切です。神さまはご自分のみことばを通して私たちに語られます。

 

(ルカ1:20)「『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。』」

 

 とてもよくしゃべっていたザカリヤは、しばらくの間口がきけなくなります。不信仰はいつでも愚かです。つまり、愚かさにはメッセージがないのです。もし、何も言うことがないのなら、静かにしているべきなのです。神さまを信じて、何か言うことのある人にしゃべらせなさい。

 

(ルカ1:21-22)「人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。」

 

 この箇所も、おかしい箇所ですね。400年の沈黙のあとに、神さまが壁を破って人類に話しかけましたが、神さまがコミュニケーションされたその当の本人が神さまを信じていないのです。そして今、彼は口がきけなくなりました。自分が口がきけないことを人々に説明しようとしている彼を、想像できますか?

 

(ルカ1:23)「やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。」

 

 休みのときが来ても、彼はまだ静かにしていなければなりませんでした。ですから、彼は家に帰って、エリサベツに耳を傾けたんだろうと思います。

 

(ルカ1:24-25)「その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。『主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。』」

 

 エリサベツは、自分の健康状態のゆえに数ヶ月引きこもりました。彼女はその間ザカリヤに長話をして彼を閉口させ、常に彼に「ザカリヤ!私たちに息子が生まれるのよ!」と言って思い出させたのではないかと思います。

 

(ルカ1:26-27)「ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。」

 

 さて、私たちは今、エルサレムからナザレへ移ります。御使いガブリエルは、ザカリヤに現れてから6ヶ月たってマリヤに現れました。私は、未信者が処女降誕を信じない、というのには反対しません。でも、その人が“聖書”はそんなことは教えていない、と言ったら私は反対しますね。このようなことを言う人は、彼の知力がなにかおかしいか、鳥たちとミツバチについて無知なのです。(訳注: (鳥たちやミツバチのこと)というのは、初歩の性教育をさす決まり文句です)ルカが医師であること、そして彼がもっとも詳しい処女降誕の記事を書いていることを覚えておかなければなりません。

 

(ルカ1:28)「御使いは、入って来ると、マリヤに言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。』」

 

 この節には彼女が神さまから高く好意を得ている(訳注:highly favored は日本語では「おめでとう」と訳されているようです)ことが書かれています。でも、それと同時に、彼女は女たちの“中でamong”恵まれたのであって、女たちを“超えてabove”恵まれたのではないことを言わせていただきましょう。(訳注:英語では、「あなたは女たちの中で祝福されている」となります。)彼女は女たちよりも上にあげられたのではなく、彼女が女性であることを引き上げたのです。それが、彼女が果たした役割でした。女性が罪をこの世に持ち込んだ、といいやすいですが、でも、忘れないでください。男性ではなく、女性が救い主をこの世にもたらしたのです。

 

(ルカ1:29)「しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。」

 

 マリヤは御使いが言ったことにとまどいました。超自然が自然に触れるとき、いつでもそこに恐れを造りだします。アナタが御使いを見たときには、怖がる権利がありますよ。私も、もし見ることがあったら、きっと怖がることでしょう。

 

(ルカ1:30-33)「すると御使いが言った。『こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。』」

 

 処女降誕を否定する人たちは、主が主の父ダビデの王位につかれることも信じません。見たところ、ルカが書いていることは文字通りだと理解されていたようです。処女の胎は文字通りで、ダビデの王位も文字通りです。

 

(ルカ1:34)「そこで、マリヤは御使いに言った。『どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。』」

 

 マリヤが処女降誕に疑問を投げかけた最初の人物でした。彼女は「どうしてそのようなことになりえましょう?」と言いました。これは今も良い質問です。ルカは御使いガブリエルのことばを引用して、私たちに答えをくれます。

 

(ルカ1:35)「御使いは答えて言った。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。』」

 

 イエス・キリストの誕生には、どんな男も何の関わりもありませんでした。レビ記において、子どもを産むことは女性をけがれたものにしたと学びました。なぜなら、彼女は罪人をこの世にもたらしたからです。マリヤは、この世に罪人をもたらすのでは“ない”と言われています。この赤ちゃんは聖なる赤ちゃんなのです。男性と女性が結ばれて生み出すことができるのは、罪の性質を持った子どもだけです。処女降誕だけが、神さまがその「聖なるもの」を人間の種族の中に入れることができる方法でした。アナタはなぜこの赤ちゃんが神さまの御子と呼ばれるようになるか、ご存知ですか。なぜなら、この方は、“ほんとうに”神さまの御子だからです。

 

(ルカ1:36-37)「『 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。』」

 

 「神にとって不可能なことは一つもありません」という御使いのことばはすばらしく、昨今私たちがすがる必要のあることばです。神さまがそれをするとお決めになったとき、神さまにとって不可能なことはひとつもありませんが、私たちが不可能をお願いしたときに、神さまが必ずしもそれをされるとは限らないのです。

 

(ルカ1:38)「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』こうして御使いは彼女から去って行った。

 

 この節には、神さまのみこころに対するマリヤの服従が示されています。キリストのよみがえりは、主の処女降誕を証明します。(キリストがよみがえられる)ときまで、処女降誕には疑問が持たれていました。アナタは処女降誕を否定しておいてよみがえりを信じないとか、またその反対もできません。処女降誕とよみがえりは手に手を取っているのです。

 

(ルカ1:39-41)「そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。」

 

 ここで起こっていることは奇蹟です。この女性は聖霊さまに満たされ、赤ん坊は胎内でおどります。

 

(ルカ1:42)「そして大声をあげて言った。『あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。』」

 

 これがルカの福音書で最初の歌で、この歌は麗しいものです。ルカは、私たちにすべてのクリスマスの歌をくれた、詩人でした。これが最初の歌であり、エリサベツの歌です。

 

(ルカ1:43-45)「『私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。』」

 

 彼女は、夫のザカリヤが持ち合わせなかった信仰を持っていました。彼は不信仰によって口がきけなくなりましたが、エリサベツは違いました。彼女は神さまを信じました。エリサベツは神さまとともに何年も歩んできて、マリヤに示されたことが実現することを彼女に保証します。そしてマリヤにはエリサベツがあげることのできる励ましが必要だったのです。

 

(ルカ1:46-48)「マリヤは言った。『わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。』」

 

 今度は、マリヤが歌を歌います。これはマリヤの賛歌として知られています。私たちはマリヤを女神にして彼女の前にひざまずくようなことはしませんが、彼女を祝福された者、と呼ぶ必要があります。神さまの御子をこの世にもたらすためにその母となったことは、栄光ある特権でした。それを軽く見てはいけませんが、盛んに宣伝するべきでもありません。彼女はすばらしい人物であり、彼女が神さまに選ばれたのは神さまの確かな決定であり、神さまは間違いをされることはないのです。

 

(ルカ1:49-55)「『力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。』」

 

 イザヤ書53:1で、預言者は言いました。イザヤは世の罪を取り除く神さまの小羊のことを明らかにし始めます。神さまはご自分の御腕の強さを示し、ご自分の力と愛とを人類にくださった救いの中にそれを明らかにされました。

 

(ルカ1:56)「マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。」

 

 この章の残りには、バプテスマのヨハネの誕生とザカリヤの歌が記録されています。いくつかのハイライトをあげましょう。

 

(ルカ1:57-60)「 さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。近所の人々や親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになったと聞いて、彼女とともに喜んだ。さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、母は答えて、『いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません』と言った。」

 

 最初彼らは父親の名前を赤ん坊につけました。でも、エリサベツはきちんと、その子がヨハネという名で呼ばれなければならない、と言いました。

 

(ルカ1:61-64)「彼らは彼女に、『あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません』と言った。そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。すると、彼は書き板を持って来させて、『彼の名はヨハネ』と書いたので、人々はみな驚いた。すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。」

 

 この子はもうすでに、神さまに命名されていたのです。そのときにいた人たちはその名前にびっくりしました。彼はあんまり信仰はありませんでしたが、赤ん坊が生まれたとき、神さまにあって喜ぶことができました。神さまが私たちのような弱い聖徒のために祈りに答えてくださるのは、私たちが何か喜ぶことができるようにではないかと思うときがあります。一般的に、弱い聖徒たちはあまり喜ぶことをしません。もっと信仰の深い、もっと強い聖徒たちは、すべての状況の中で喜びます。

 

(ルカ1:65-69)「そして、近所の人々はみな恐れた。さらにこれらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体にも語り伝えられて行った。聞いた人々はみな、それを心にとどめて、『いったいこの子は何になるのでしょう』と言った。主の御手が彼とともにあったからである。さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。『ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。』」

 

 彼の歌は、預言です。ザカリヤはダビデの家系ではありませんでしたが、マラキとイザヤが予告したように自分の息子がイエス・キリストのさきがけとなることを確かに認識しています。ヨハネはメシヤの来られることを告知する者になるはずです。さきがけがいるということは、メシヤがすぐそのあとに来られるということです。主はもうすぐ来られるのです。

 

(ルカ1:70-75)「『古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。』」

 

 神さまはアブラハムにこれらの約束をされました。マリヤとエリサベツとザカリヤはアブラハムに約束されたことが成就することをそのときも信じていました。

 

(ヨハネ1:76-80)「『幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。』さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。」

 

 ヨハネはいと高き方の預言者と呼ばれるべき者でした。彼は主の前に行き、主のために道を整えなければなりませんでした。ヨハネは、メシヤは彼らの只中におられることを知っていました。バプテスマのヨハネはとても変わった人物でした。彼は神さまのために特別の務めをするために整えられたのです。

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「ルカの福音書」をお読みください。

 

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神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

※ 約12分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。

 

 

 

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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。

~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~