- 2章 ベツレヘムの家畜小屋でのイエスさまの誕生。イエスさまの歓迎:天使たちが主の誕生を羊飼いたちに告げる。羊飼いたち、家畜小屋を訪問する。イエスさまの割礼と、マリヤのきよめ。シメオンに関する宮でのできごと。アンナに関する宮でのできごと。ナザレへの帰還。イエスさまが12歳のときの、ヨセフ、マリヤ、イエスさまのエルサレム訪問。 -
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※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問
イエスさまは、生後8日たって、モーセの律法に従って割礼を受けさせるために宮につれて来られました。ギリシャ人たちの務めは、明らかに主イエス・キリストが来られるための準備の一部でした。このことが、その当時の考える人たちに、人類を解放し完璧なものにするためには、人間の理性が(たとえそれが、もっとも完全に発達していても)いかに至らないものであるかを感じさせ、告白させることを強要しました。そして、この働きを達成することのできるだれかを待ち望ませました。
ギリシャ語は、神さまのみことばの伝達の手段になりました。福音は世界にギリシャ語で伝達されたのです。神さまはアレキサンダー大王を使ってそれを可能にされました。「彼は、アジアの端の海岸に無秩序に横たわっていた文化と言う名の網を取り、彼がすばらしい遠征で横切ったすべてのほかの国々の上に広げた。東と西は突然一緒になった。」
(ルカ2:1-2)「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。」
ルカがシーザー・アウグストの名前を出しているのは偶然ではありません。この男、アウグストは、その当時のすべての世界が課税されるようにという命令に署名したのです。彼は、自分の広大な帝国を支配するための陸軍をたてあげ、自分自身も贅沢な生活をするために、資金繰りをする必要があったのです。
(ルカ2:3-7)「それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
皇帝アウグストは、自分を神にしようと試みました。彼は礼拝されたかったのです。彼は、ナザレに住む農民であったひとりの女性とひとりの男性を、登録のためにベツレヘムへ行かせる課税命令に署名しました。その女性は、神さまの御子を身ごもっていたのです!これはすばらしいことです!この皇帝アウグストは自分を神さまにしようとしましたが、今日彼を崇敬する人も彼に税金を払う人もいません。でも、マリヤの胎内にいたあの小さな赤ちゃん・・・私たちの多くのものが今日彼を礼拝し、救い主と呼んでいます。皇帝アウグストは預言を成就するための、神さまの御手の中にある道具にしか過ぎませんでした。
(ミカ5:2)「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」
(ルカ2:8)「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。」
たくさんの人々が、「イエス・キリストはいつ生まれたんだろう?」という質問をします。真冬ではありえません。そうでなければ羊飼いが彼らの羊と一緒に野宿しているはずはないでしょう。聖書には主が“何日に”十字架にかけられたかは書かれていません。大切なのは、主が私たちの罪のために死なれた、ということなのです。
(ルカ2:9-11)「すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』」
主は、ご自分の神性を、ではなく、神性にともなう特権を脇へ置かれたのです。主は小さな赤子として来られました。幾人かの羊飼いと御使いだけではなくて、もっとたくさんの人たちが主を迎えるべきでした。すべての被造物がそこにいなければならなかったのです。
(ルカ2:12)「『あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』」
ルカはもう一度主の人間性を強調しています。主はこの世に人間として来られたのです。主は私たちの弱さに触れられたのです。神さまは人類のことをご存知です。神さまはアナタを、そして私をご存知です。神さまは私たちを理解してくださいます。なぜなら、ご自分が人間としてこの世に来られたからです。
(ルカ2:13-14)「すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」
私たちは邪悪な世界に住んでいるのです。私たちはサタンが支配する世界に住んでいるので、そこには平和がないのです。でもそこには、御心にかなう人々に平和があります。もしアナタがキリストのもとに行って、主を救い主として受け入れた人々のひとりであるなら、アナタはこの神さまの平和を知ることができます。
(ローマ5:1)「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
(ルカ2:15-16)「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。」
羊飼いたちはおそらく最初に幼子のイエスさまを尋ねた者たちだったことでしょう。事実、賢者たちがついに主イエスを探し当てた頃には、主は家に住んでおり、おそらく何ヶ月もの時が過ぎていました。
(ルカ2:17-20)「それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」
主は人間の家族に入られ、モーセの律法のもとにお生まれになったので、律法に従われました。
(ルカ2:21-22)「八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。」
モーセの律法によれば、女性は子どもを産んだあと、40日の間けがれていると見なされていました。マリヤは罪人として、主にいけにえを持って行かなければなりませんでした。自分でそう言ったように、彼女には救い主が必要だったのです。
(ルカ2:23-24)「──それは、主の律法に『母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない』と書いてあるとおりであった──また、主の律法に『山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽』と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。」
マリヤとヨセフは山鳩をいけにえとしてささげました。これは彼らが貧しかったことの証拠です。いけにえはマリヤのためであって、御子のためではありませんでした。私たちが知る限り、イエスさまは一度もいけにえをささげてはおられません。
(ルカ2:25-28)「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。」
神さまはシメオンに、彼が神さまの救いを“見る”と約束しておられました。彼が見たものは何だったでしょう?彼は小さな赤ん坊を見たのです。救いは人物であって、何かする“こと”ではありません。救いは人物であって、その人物は主イエス・キリストです。アナタは主を持っているか、もっていないかのいずれかです。アナタは主を信頼するか、信頼しないかのどちらかです。 “アナタは”今日、主を持っていますか?
(ルカ2:29-32)「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」
これは、人生の展望が限られた人から出てきた、すばらしいことばです。私の言わんとしているのは、彼は地理的に特定の地域に限られていた、という意味です。それでも彼は“世界”の救い主となるべき方を見たのです。これは私にとって、神さまのみことば、特に新約聖書の驚くべきことです。
(ルカ2:33-35)「父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。『ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。』」
マリヤは救い主をこの世にもたらすために、ものすごい代価を支払いました。彼女は、主イエスの十字架の下に立って、主が死なれるのをその目で見るために、とんでもない代価を支払ったのです。キリストの十字架は多くの人々を動かしました。芸術家は絵を描き、歌を作る人々は十字架についての音楽を作り、作家や説教者たちはそのような瞬間をことばで描写してきました。主の死に、同情的にとどまってしまう危険性がそこにはあります。
キリストは誰かの同情をかうために死なれたのではありません。主はアナタの同情を求めてはおられません。主はアナタの信仰を求めておられるのです。彼女は主の母親として苦しんでいたのです。そしてそのときにシメオンの預言は成就しました。剣が彼女の心さえも刺し貫いたのです。
(ルカ2:36-38)「また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」
彼女のメシヤであるご自分の御子を見分けることができるすばらしい洞察力を与えておられました。彼女の歌そのものは記録されていませんが、その歌は賛美の歌でした。
(ルカ2:39-40)「さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。」
ルカは完全な人を提示しています。ルカは産科の医師の目を通してだけでなく、注意深い小児科医の目を通して、少年である主を見ています。主イエスは、成長し(肉体的)、強くなり(霊的)(訳注:英語ではwaxed strong in spirit で、直訳すれば「霊において強くなり」となります)知恵に満ちて(精神的)いきました。神さまの恵みがこの少年イエスとともにあり、主は肉体的、霊的、そして精神的に成長したのです。ルカがこの記録を書いたのは、彼が小児科医として、大人である主と同時に少年としての主にも興味があったからでしょう。
(ルカ2:41-45)「さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。」
主はただ、普通の少年でした。当時、人々は大勢で一緒に旅をしました。ヨセフはきっと言ったことでしょう。「イエスはどこだい?」 そしてマリヤは答えます。「あなたと一緒だと思いましたわ。」彼らはすべての知り合いの間を探し回り、主がおられないことが分かると、エルサレムに引き返しました。彼らはイエスさまを三日の間探し、そしてどこで主を見つけたと思います?主は宮におられました。
(ルカ2:46-50)「そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。両親は彼を見て驚き、母は言った。『まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。』するとイエスは両親に言われた。『どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。』しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。」
マリヤとヨセフが宮でイエスさまを見つけたとき、主は当時の教育のある博士たちの真ん中に立って、彼らの話を聞き、また彼らに質問をしておられました。見たところ、主は彼らが答えられない質問をしておられたようです。そして彼らは主の答えに驚愕しました。主はたった12歳だったのですよ!マリヤとヨセフは、主のことで少し憤慨していたのは明らかだと思います。
イエスさまの答えは、主が父の家にいて父の働きをしていなければならないことに彼らが気づいていないことに対する驚きを表しています。主の父は、ヨセフではありませんでした。主は、ご自分の天の父の働きのことを話しておられたのです。この時点では、マリヤは必ずしも主が誰であるか、主の働きが何を含んでいるのかを認識してはいませんでしたが、彼女はこれらのことを心に留めておきました。
(ルカ2:51-52)「それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」
イエスさまは両親に従われました。これは、今日の若者たちが、反抗し 自分の意見が聞かれることを強く要求するという事実の光の中で見ると、とても興味深いことです。この少年、イエスさま、神さまの御子が両親に従い彼らに従属したというのは、顕著なことです!ルカはイエスさまが大人になろうとするときの、これら沈黙の時代の報告を私たちに与えてくれます。主は知恵に進み(精神的)、背丈も大きくなり(肉体的)、神さまに愛され(霊的)人に愛されました。(社会的)すべての領域において、主イエス・キリストは完全な人間に育っていかれました。
※ 是非、引き続きブログテーマ「ルカの福音書」をお読みください。
是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください!
神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。
※ 約12分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。
救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。
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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。
~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~





