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  - 【本文】 ヘブルへの手紙5章  ~ 祭司の定義。 ~ -

※太字は聖書からの引用です。

 

この章では、主が、ヘブル人たちにとってとても身近だったレビ族の祭司職よりもすぐれておられることを示しながら、大祭司であるお方としてのキリストという偉大なテーマが続きます。最初の10節には、祭司の定義が書かれています。私たちは、すべての技巧的なことや手段的なことを捨てて、単に神さまのもとに行く必要があるのです。

 

(ヘブル5:1)「大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。」

 

 この節は、私たちに祭司の定義を教えてくれます。その人は、人々の中から選ばれなければなりませんでした。それは、その人が“人”でなければならなかったことを意味します。お分かりのように、その人は代表者でなければならないのです。神さまに対して人間を代表します。祭司は、人間から神さまのもとに行きます。彼は神さまの御前に人間を代表します。預言者は、神さまから人間に、神さまのメッセージを持って来ます。

 

 さて現在では、主イエス・キリストだけが唯一の祭司です。神さまの御前に私たちを代表してくださるのは、主なのです。キリストは、天で私を代表してくださっています。私の敵であるサタンが、父なるお方の御前で私のことを訴えるとき、主イエス・キリストが私を代表してくださっています。主は私の大祭司です。祭司は、ささげ物といけにえの両方をささげることができたことに注目してください。著者は、これからとてもはっきりと語りますが、主は、何かささげる物を持っておられました。主はご自身をおささげになったのです。私たちを贖ってくださったキリストの尊い血に比べれば、銀や金など、鉛や泥のようなものです。

 

(ヘブル5:2)「彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。」

 

 主の弟子たちは、3年の間主とともにいました。そしてもしも何か間違ったことがあったのなら、彼らは知っていたはずです。主には非の打ちどころがありませんでした。主は罪を犯されませんでした。それでも、主はこの地上で人として生きられたので、私たちのことを理解してくださるのです。「無知な迷っている人々を思いやる」とは、知らないで犯した罪のことを指しています。

 

(ヘブル5:3)「そしてまた、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。」

 

 大いなる贖いの日には、アロンは最初に、いけにえをたずさえて来て、自分自身の罪のために至聖所に血を持って入らなければならなかったことを思い出されるでしょう。アロンは、民の代表となることができる前に、自分の罪の問題を最初に解決しなければならなかったのです。キリストのうちには、これに呼応するものはありません。

 

(ヘブル5:4)「まただれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。」

 

 さっきも見たように、キリストは祭司だったのです。なぜなら、主は神さまに受け入れられるお方だったからです。

 

(ヘブル5:5)「同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』と言われた方が、それをお与えになったのです。」

 

 主は、死から生まれられました。主の祭司職は、主が天に帰られたときに始まりました。そして、それは主のよみがえりを物語っているのです。

 

(ヘブル5:6)「別の個所で、こうも言われます。『あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。』」

 

 でも私は、メルキゼデクは、モーセによって与えられ、神さまによって保護された型であると信じます。彼はただ、どこからともなく現われどこへともなく去って行きます。

 

(ヘブル5:7)「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」

 

 主はエルサレムの町のために泣かれました。主はそのときにエルサレムのために泣かれたのですから、私は、主があなたや私が住んでいる町のために何度も泣かれたと確信しています。私たちの町は、主が泣かれるような多くの理由を確かに提供しています!預言は、主が十字架上で死ななければならないことを、とてもはっきりと語りました。詩篇22篇以上に、十字架刑のことを良く描いたものは、ほかにありません。十字架は、神さまの御子がご自分の血を流され、あなたの罪、私の罪のために代価を支払われた祭壇でした。祭壇であった十字架の上で血を流されました。

 

(ヘブル5:8-9)「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、」

 

 (ヨハネ6:29)「・・・『あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。』」

 

 キリストは、私たちと同じように人となられ、人として神さまに従われました。主は、「わたしは、わたしの父のみこころをおこなうために来ました。」と言われました。

 

(ヨハネ6:39)「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。」

 

ヘブル人への手紙の著者が、キリストはお受けになった多くの苦しみによって“従順”を学ばれたと言うとき、私には理解できません。単に自分が、主でさえも何かを“学ばれた”のだという神秘の前にいるのだと認識するだけです!

 

(ヘブル5:10)「神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」

 

 “となえられた”とは、「敬意を示す」ことを意味し、メルキゼデクのことを指しています。さてこれから、著者は、旧約聖書の中で主イエス・キリストの高貴な祭司職の型として、メルキゼデクが私たちに与えられている、キリストの祭司職のことについて話して行きます。

 

耳が鈍くなる危険

 

耳が鈍くなる危険があります。著者はこの章の残りを、もっぱらそのことにささげます。なぜなら、次の章でもうひとつの危険信号のあとに、彼は、メルキゼデクの位に等しい私たちの大祭司である偉大なキリストという主題を扱うからです。

 

(ヘブル5:11)「この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。」

 

 私がパウロだと思っているこの著者には、きちんと話すことができましたが、彼らがそれを把握することができなかったのです。この主題を理解するためには、鋭い、霊的な直感が不可欠です。人々が霊的に目覚めていて、神さまのみことばの知識を持っており、神さまのみことばに“近い”ことが要求されます。ここで指摘されているヘブル人の信者のSQ、つまり、IQ(知能指数)ではなく、霊的指数(spiritual quotient)は低かったのです。彼らは神さまのみことばを完全に殺し、自分自身の見解から何かを代用しています。そして、会衆はそのような種類の赤ちゃんことばが好きなのです。

 

(ヘブル5:12)「あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。」

 

 今日、多くの聖徒たちが、座って講壇から語られる赤ちゃんことばに耳を傾けていることを認めます。彼らがこのようなことを耐えなければならないのは悲劇ですが、彼らは確かに耐えているのです。(訳注:そのようなことに耐えているべきではないという含みがあるようです。)「初歩」は、「根本の成分」を意味するギリシャ語のことば、つまりクリスチャン生活のABC です。彼らは、教師や、成熟した聖徒になっているべきなのに、まだ、誰かにげっぷをさせてもらわなければならない小さな赤ん坊のままなのです。

 

(ヘブル5:13)「まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。」

 

 もしあなたが神さまのみことばを学んでおらず、どのようにみことばを扱うかを知らないなら、あなたは小さな赤ん坊です。小さな赤ん坊なのに教会の役職についているというのは、悲劇です。

 

(ヘブル5:14)「しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」

 

(I コリント3:1-2)「さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。」

 

(I ペテロ2:1-2)「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」

 

※このブログは マギー博士の残したいのちのみことばメッセージを引用しています。

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「ヘブル人への手紙」をお読みください。

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

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