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  -  ヘブルへの手紙3章  ~ :キリストはモーセよりもすぐれておられる。 ~ -

※太字は聖書からの引用です。

 

 今、私たちは主がモーセよりもすぐれておられることを見て行きます。

 

(ヘブル3:1)「そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。」

 

 “兄弟たち”ということばは、パウロがそうであったようにヘブル人である人たちのことを意味しています。パウロは肉にあってはヘブル人でした。彼はユダヤ人たちを、肉にある自分の兄弟たちと呼びました。彼らは、この節の中で「聖なる」兄弟たち、と呼ばれています。彼らがおこなったことによってそう呼ばれているのではありません。なぜなら、“聖なる”ということばは、「分離された」ことを意味しているからです。彼らは、神さまのために分離されました。彼らは神さまに属していたのです。

 

 イスラエルに与えられた旧約聖書のすべての約束は、この地上に関係していました。これらヘブル人のクリスチャンたちに当てはめるのでない限り、「天の召しにあずかっている」という言い回しは、全く意味がなくなってしまうでしょう。私たちは、このことばが、注意深く、真剣に、長期に渡ってこの方のことを考えるべきであるということを意味しているということを認識する必要があります。イエスさまは、神さまからこの世に遣わされたのです。

 

 さて、イエスさまは私たちの大祭司です。今日、栄光の中に人なる方がおられ、この方は天で私たちを代表しておられます。主が天におられることを、私はとても嬉しく思っています。なぜなら、主は私たちのための弁護人であられると書かれているからです。主は私たちを弁護してくださいます。.私たちの味方なのです。イエスさまは、まさに私がどう感じたかを理解しておられるのです。

 

 今日、主イエス・キリストは、“あなたが”どのように感じているかを理解しておられます。私たちは、このことを考える必要があります。真剣に考え、注意深く注目するのです。私たちには、神さまのもとから来られた使徒である方がおられ、この方が神さまの御前に帰られて、今日あなたと私のためにそこにおられる、大祭司なる方なのです。

 

(ヘブル3:2)「モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。」

 

 これから数節の間に、“家”ということばが7回出て来ます。これが誰の家であるかを見きわめることがとても重要です。(訳注:英語では、his house「彼の家」となっているので、これが誰の家であるかをはっきり示していません。日本語では「神の家」と訳されています。)モーセの家でしょうか?そうではありません。神さまの家です。私たちがだれであるか、主が私たちに与えてくださった働きが何であるかに関わらず、私たちは忠実であるべきなのです。神さまが、“あなた”のことを、「この人は忠実であった。」と言ってくださるのを聞くのは、すばらしいことだと思いませんか?

 

(ヘブル3:3)「家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました。」

 

 モーセは神さまの家の中で忠実でしたが、主イエスはこの家をお建てになった方なのです。主は創造主です。モーセは被造物です。そこには、違いがあるのです。

 

(ヘブル3:4)「家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。」

 

 「すべてのものを造られた方は、神です。」と書かれています。主イエスは神さまであられ、創造主であられます。モーセは一度もそのような主張をしたことはありません。

 

(ヘブル3:5-6)「モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。それは、後に語られる事をあかしするためでした。しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。」

 

 キリストは神さまの“御子“です。家の中では、その家の息子とその家のしもべの間には、大きな違いがあります。ですから、キリストはふたつの点でモーセよりもすぐれておられます。キリストは創造主であられ、また、御子であられるのです。このことを理解することは、とても大切です。言い換えれば、もし私たちが神さまの子どもであり、もし私たちが天の召しにあずかっている者であるのならば、私たちは“確かに”忠実で、しっかりと確信を持ち続けるのです。それが、私たちが神さまの家であることの証拠です。

 

(I ヨハネ2:19)「彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。」

 

 カルトが、神さまのろ過器の働きをします。あなたが神さまの子どもであることの証拠は、あなたが信仰にとどまることです。もし、ある人が本当に神さまの子どもであるなら、その人は神さまのみことばにとどまります。そして、彼は神さまのみことばを愛するようになります。なぜなら、彼は自分の父なる方が自分に語られるのを聞きたいと願うからです。キリストの倫理的な要求は、主イエス・キリストの死とよみがえりの中にある救いの恵みを離れては、私たちには希望のないような高い規準のシステムを提示しています。

 

 主は神さまでした。そして、十字架上での主の死によって、この世に神さまの“恵み”が流れ落ちてきたのでした。私たちはこの書簡の中で、主のことを考えるべきです。そして私たちには、主を私たちにとって現実のお方としてくださるために神さまの御霊が必要なのです。

 

(ヘブル3:7)「ですから、聖霊が言われるとおりです。『きょう、もし御声を聞くならば、』」

 

 すでに語られたことを考慮すると、預言者によって語られたことばと、御使いたちによって語られたことばと、そしてモーセによって語られたことばがそんなに大切なのですから、イエスさまによって語られたことばはどれほど重要であることでしょう。私たちは、主を疑うことについてはとても気をつける必要があるのです。「きょう、もし御声を聞くならば」は、詩篇95:7-11の引用の始まりです。

 

(ヘブル3:8-11)「『荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。』」

 

 主は、ここ詩篇95編には確かにおられます。イスラエルの、エジプトから出て来た世代は神さまを疑いました。そして彼らの疑いのゆえに、彼らは決してカナンの地に入ることはありませんでした。「決して彼らをわたしの安息に入らせない。」と書かれています。

 

(ローマ6:4)「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」

 

 今、私たちは生けるキリストにつなぎ合わされました。そして、私たちがカナンの地を楽しむことができるためには、キリストにつなぎ合わされていなければならないのです。唯一主の近くにとどまることができる方法は、神さまのみことばの近くにとどまることなのです。そして、あなたや私が、ぶどうやその地の実りを楽しみ、その地の美しさと喜びを体験するのは、神さまのみことばを学ぶことによってのみ可能です。

 

 このヘブル人への書簡の著者は、救われはしたもののクリスチャン生活の祝福の中に入っていない人たちのことを語っています。彼らは神さまを疑うので、その結果として荒野の経験をしているのです。あなたが主イエス・キリストを自分の救い主として受け入れるだけでなく、信仰によって主とともに歩み、自分の人生を主におささげするまでは、カナンの地の喜びについて何ひとつ知ることはないのです。安息の本当の意味を知らない多くの信者は決してその安息に入ることはありません。彼らは信仰によって入らなければならないのに、その信仰がないからです。

 

(ヘブル3:12)「兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。」

 

 彼らの罪とは何だったのでしょう?殺人ではありませんでした。盗みでもありませんでしたし、うそでもありませんでした。何だったのでしょう?彼らは神さまを“信じる”ことをしなかったのです。それが彼らの大きな罪でした。

 

 

 

13 「互いに励まし合って」とありますが、私たちはお互いを励ましあうべきなのです。そして、人々には、本当には彼らをキリストから引き離す知的な問題などないことを学んで来ました。でもその代わりに、彼らには確かに罪の問題があるのです。

 

(II コリント3:6)「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」

 

 律法は私たちを罪に定めますが、聖霊だけが私たちにいのちをお与えになることができるのです。あなたの心がその罪を捨てる準備ができた瞬間にあなたの「知的な」問題は解決します。主があなたの覆いを、あなたの知性から取りのけられて、あなたはキリストのもとに行って救われることができるのです。

 

(ヘブル3:14)「もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。」

 

 さてこの部分では、もし私たちがキリストを信頼しているのなら、“安息”は私たちのものであるということを強調しています。聖書には、五重の安息が示されています。

(1)創造の安息

(2)カナンに入ること(の安息)

(3)救いの安息

(4)聖別の安息

(5)天国の安息です。

 

ここで著者は、神さまに完全に信頼することの安息について語っています。その信頼は救いに関しての信頼だけでなく、毎日の生活のための信頼です。

 

(ヘブル3:15)「『きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。』と言われているからです。」

 

 旧約聖書からの引用は、詩篇95篇の引用をもって終わります。これはすでに見ましたが、詩篇95:7と8です。明らかに、著者はこの真理が過去だけのためのものではなく、今日の私たちのためのものでもあることを読者に思い起こさせるために、この箇所を繰り返しているのです。

 

 もしあなたが「先生。あなたの人生の大きな罪は何ですか?ほかの何ものよりもあなたをためらわせたのは何ですか?」と訊かれるなら、私は、それは“不信仰です”と認めざるを得ません。そして今日、私がほかの何よりも願うひとつのことは、神さまを“信じる”ことです。私は、自分の人生を完全に神さまにおささげし、すべてを神さまにお渡ししたいと願っています。

 

(ヘブル3:16)「聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。」

 

 “御怒りを引き起こした”ということばの中には、神さまが彼らのことをとても不快に思っておられるという考えが表わされています。なぜなら、彼らは聞いたのに信じなかったからです。彼らには、エジプトから出てくるだけの信仰はあったのに、そこどまりでした。

 

(ヘブル3:17)「神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちをではありませんか。」

 

 もう一度、神さまをあんなに嘆かせた彼らの罪は何だったのでしょう?不信仰でした。きっと彼らもそうだったと思いますが、私たちは、神さまのみことばを疑うことがそのように深刻な罪であるということを認識しません。

 

(ヘブル3:18)「また、わたしの安息に入らせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。」

 

 さて、神さまは誰について話しておられるのでしょう?信じなかった人たちのことです。彼らは子牛を礼拝したことと、偶像礼拝の罪のせいで、神さまの祝福が受けられなかったのではないのです。彼らが神さまの祝福を受けられなかったのは“不信仰”の罪のせいでした。ああ、不信仰は私たちから祝福を奪うだけでなく、ほかの罪にもつながって行くのです。

 

(ヘブル3:19)「それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。」

 

 あなたの聖書のこの箇所にアンダーラインを引くことをお勧めします。これが、あなたや私から多くの祝福を奪っているものなのです。それは“不信仰”です。

 

※このブログは マギー博士の残したいのちのみことばメッセージを引用しています。

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「ヘブル人への手紙」をお読みください。

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

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