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  -  ヘブルへの手紙1章  ~ キリストは、預言者よりもすぐれておられる。 キリストは、御使いよりもすぐれておられる。~ -

 

 この書簡の最初の部分は“教理的”な部分です。最初の10章は、キリストが旧約聖書の制度よりもすぐれておられることを明らかにしています。この書簡の第二であり最後の部分は、キリストがよりすぐれた恩恵と義務とをもたらされることを示した“実際的”な部分です。この書簡は、ふたつの大きな制度(訳注:旧約聖書と新約聖書の制度)の交わる時点に立っていた、ヘブル人の信者たちに宛てて書かれたものであるということを念頭に置く必要があります。

 

 法の制度は終わりに来ました。一度はとても意味が深かった宮でのいけにえは、今、意味がなくなりました。この書簡がとても明確にしているように、神さまが以前に要求されたことを信者がおこなうことは、今は実際に“罪”となりました。この書簡が、ヘブル人の信者に対してヘブル人の信者のために書かれたものであることを念頭に置く必要があります。

 

(ヘブル1:1)「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、」

 

 ヘブル人への手紙の中で、(著者は、)創世記でと同じように、全く神さまの存在を証明しようとはしていません。どちらの書も、神さまがおられることを“想定”しています。聖書は、神さまが存在しておられることを証明しようという努力は全くしていないのです。

 

(詩篇19:1)「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」

 

と書かれているとおりです。もしも、神さまに造られた宇宙が、造り主についてあなたに何かを語っていないのなら、あなたの考えの中にはとんでもなく間違った何かがあるということです。この最初の節は、神さまがご自分のすべての真理をアブラハムにお与えになったのではなく、長い年月に渡って、さまざまな人たちを取り扱われるときに情報を付け加えられたのだということを私たちに語っています。

 

 そして、時が満ちて神さまはご自分の御子を送られました。聖書の中には、真理の進展があるのです。「いろいろな方法で」とは、神さまがさまざまな方法を用いて、コミュニケーションをされたことを意味します。神さまは、夢でアブラハムに現れましたが、モーセには律法をお与えになりました。のちになって、神さまはヨシュアと一定の約束をされました。

 

 神さまは、夢を通して語られ、律法を通して語られ、型を通して語られ、儀式を通して語られ、歴史を通して語られ、詩を通して語られ、そして、預言を通して語られました。神さまはこれらすべてのさまざま方法を、長い時間に渡って使われました。およそ45人の著者を使って、およそ1,500年に渡ってご自分のみことばを伝達されたのです。ヘブル人への手紙の著者は、この時点で、私たちになかなかすばらしいことを言ってくれています。あなたは、立ち止まって、何人もの著者がいることが聖書をすばらしい本にしているのだということを考えたことがありますか?

 

(ヘブル1:2)「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。」

 

 神さまはご自分の御子を通して語られました。もし神さまが、この瞬間に天から語られるとしたら、もうすでに言われたことを繰り返されることでしょう。なぜなら私たちは、イエス・キリストにあって、神さまがこの世に語られた最後のことばを持っているのだからです。“私たち”ということばは、とても重要です。これは、ヘブル人の信者たちのことです。

 

(マタイ17:5)「・・・『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい』・・・」

 

 父が、ご自分の最後のことばを主イエス・キリストにお与えになりましたから、このことばは、あなたや私にとっても最後のことばです。私たちの前におられるお方は、御子なのです。「御子によって、私たちに語られました。」と書かれています。ですから、キリストはすべての旧約聖書の著者たちよりもすぐれたお方です。なぜなら、主のうちに、啓示が満たされているからです。

 

(ヨハネ16:15)「『・・・御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせる・・・』」

 

 ですから、ヨハネや、ヤコブや、医師ルカや、パウロや、ペテロや、そのほかの新約聖書の著者たちを通して神さまの御霊が語られ、私たちに神さまからの完全な啓示を与えてくださったのです。私は、アダムがこの地球をコントロールできたと思います。でも罪を犯したとき、彼はそのコントロールを失ったのです。

 

 主イエスがこの地上に来られたとき、主は人間になられました。主は、すべての領域で奇蹟をおこなわれました。主は、人間のからだをコントロールすることがおできになったのです。自然をコントロールすることがおできになりました。主は、アダムが失ったものを、取り戻されたのです。主イエスは、万物の“相続者”となられます。主は、アダムが失ったものを取り戻されただけでなく、私たちをご自分と一緒に共同相続人にしてくださいました。すべてのものを相続されるのは、キリストです。この宇宙には目的があります。そして、宇宙に目的をお与えになるのは主イエスです。

 

(ヘブル1:3)「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」

 

 私たちは今、イエス・キリストを通して神さまについて知っています。ちょうど、太陽光線がそのぬくもりと光によって私に物質的な太陽を教えてくれるように、主イエスは、今日私たちに神さまを明らかにしてくださるのです。主は精密な写し、神さまのかたちであられるからです。主は、ご自分の力あるみことばによってすべての物を創造されただけでなく、すべてのものを保っておられるのです。

 

 人間が原子をほどいたとき、とても多くの力を解放します。誰がそれだけの力を、原子に入れたのでしょう?だれが、すべての小さな原子を保っているのでしょう?主イエス・キリストです。主は、計画と目的を供給されます。主は神さまのひとつの位格であり、すべての物を保つ方です。主は、ご自分のみことばによって宇宙を造られただけでなく、すべての物を保っておられます。主の絶え間ない監督と力がなければ、この宇宙は、接着剤がなくてバラバラになってしまうでしょう。 2,500年前には、主は神さまでしたが、今日、主は、神であり、人である方なのです。

 

 「座に着かれた」とは、主が、疲れたからとか何もすることがないから休んでいるということを示しているのではありません。これは、主が私たちの贖いを終えられたとき、主が座に着かれたことを意味しているのです。なぜなら、贖いは完成したからです。それ以上、何かをする必要はなかったのです。主は、私たちの贖いを完成され、私たちは主にあって完成しています。あなたが何を必要としているにしても、そのために主のところに行ってはいかがですか?祈りは、あなたや私が神さまのご計画と一致するためのものなのです。

 

(ヘブル1:4)「御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。」

 

 律法は、御使いたちの働きによって与えられました。

 

(使徒7:53)「『あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。』」
(ガラテヤ3:19)「では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。」

 

 “私たち”は、“生きておられる救い主”と関わっていなくてはならないのです!御使いには脇にどいていてもらいましょう。なぜなら、私たちが神さまのもとに行くときに、御使いを通していく必要がないからです。私たちには、聖霊がおられ、また、私たちの偉大なるとりなし手である、キリストがおられます。私たちの考えを御使いから離して、キリストのご人格に焦点を当てようではありませんか。主は、御使いよりもすぐれておられるのです。

 

 ヘブル人への手紙1:5から、一連の旧約聖書の引用が始まります。事実、7つの引用がありますが、そのうちの6つは詩篇からのものです。詩篇には、そのほかの誰に関してよりも、キリストについて多くのことが書かれています。詩篇は主の書です。詩篇は宮の賛美歌でしたが、すべて主について書かれているのです。主への賛美の書です。詩篇の中には、福音書の中よりも、もっと完全なキリストの姿があります。ヘブル人への手紙の中のこれらの引用文はとても重要です。ヘブル人への手紙の著者は、自分の語っている要点を強く主張するために、旧約聖書からの引用をしています。彼の要点は、御子は御使いたちよりもすぐれておられるということです。

 

(ヘブル1:5)「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』またさらに、『わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。』」

 

 詩篇2:7からの引用です。、主は死からよみがえらされました。なぜでしょう?なぜなら、主は御子だからです。主は、死から“生まれた”のです。II サムエル記からの引用です。これは、神さまがダビデと契約を結ばれたときの、神さまの約束なのです。

 

(II サムエル7:12-14)「『あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。 』」

 

(ヘブル1:6)「さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。『神の御使いはみな、彼を拝め。』」

 

 この節は、七十人訳の詩篇97:7と申命記32:43からの引用です。神さまの御使いはすばらしいですが、彼らは御子には劣っているのです。彼らは“主の”御使いであり、“主に”仕える者であり、“主を”礼拝する者たちです。彼らが主を礼拝するのです。主が御使いたちを礼拝することはありません。

 

(ヘブル1:7)「また御使いについては、『神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。』と言われましたが、」

 

 キリストが御使いたちよりもすぐれておられることを示しています。それを証明するために、旧約聖書からの引用をしているのです。このふたつの章は、今日の信者のためのキリストの現在のミニストリーを取り扱っている、この書の土台を据えています。ああ、たった今、まさにこの瞬間、神さまの右手に生けるキリストがおられるという事実に私たちが気づきますように!

 

 ヘブル人たちにとって、御使いがとても重要であったことを理解するのは容易です。なぜなら、彼らのほとんどは旧約聖書をとても良く知っていたからです。彼らは、御使いたちはまさに神さまの御座のすぐとなりにいると考えていました。彼らは、御使いが多くの神さまのしもべたちや、預言者たちに現れたことを読んでいました。御使いは、彼らにとってとても重要な存在だったのです。“御使い(angel:ギリシャ語ではアッゲロス(aggelos)”は、「使者」という意味で、人間にも、天の御使いにも使われます。彼らは、神さまのご計画の中の重要な部分を占めていますが、キリストは御使いたちよりもすぐれておられるのです。

 

(ヘブル1:8-9)「御子については、こう言われます。『神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。』」

 

 この箇所は、詩篇45:6-7の引用です。詩篇45篇は、偉大なメシヤの詩篇のひとつであることをこの箇所が明らかにしています。神さまが主イエスを“神”と呼ばれました。あなたは主を何と呼ぶのですか?あなたがどうされるかは知りませんが、私もまた(神さまと同じように)、主を“神さま”と呼びますね。主は、肉になって現れた神さまです。主は御使いたちよりもすぐれておられます。なぜなら、主はこの宇宙を支配されるようになるからです。主はメシヤです。主は、いつの日かこの地上を支配される、王の王、主の主なのです。

 

(ヘブル1:10-12)「またこう言われます。『主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。』」

 

 この箇所は、詩篇102:25-27からの引用です。これは、主イエスが造り主であると私たちに語っているすばらしいことばです。この区分のなかに、すばらしいコントラストが与えられています。御使いたちは被造物であり、主は造り主なのです。

 

(ヘブル1:13)「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』」

 

 この節は、詩篇110:1からの引用です。この詩篇は、新約聖書の中にほかのどの詩篇にも増して引用されています。詩篇は、キリストが神さまであることを教えています。詩篇の中には、福音書の中よりももっと完全なキリストの姿があるのです。

 

(ヘブル1:14)「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」

 

 書かれているとおりに読もうではありませんか。御使いは、「救いの相続者“となる(べき)”人々に」仕えるようになるのです。この節は、神さまがもう一度イスラエルの国と、そして異邦人の世界に向かわれるときのことを望み見ています。それは、教会がこの地上から取り去られた“あとの”ことなのです。

 

 御使いたちが、“たった今”もう救いの相続者である人たちに仕えると書かれているのではないことに注目してください。ごらんのように、神さまはご自分のご計画に従って動いておられ、神さまがなさることひとつひとつに目的があるのです。

 

 キリストは御子です。御使いたちはしもべです。キリストは王です。御使いたちは家臣です。キリストは創造主です。御使いたちは被造物です。キリストは今このとき、ご自分の敵たちが足台にされるまで待っておられます。父なる神さまは、御使いにはそのような約束をなさったことは決してありませんが、いつの日か、ご自分の御子が支配すると言われます。

 

 このすばらしい箇所は、私たちの目の前に、主イエス・キリストが神であられることを示し、また、主イエス・キリストをほめたたえています。主は、御使いたちよりもすぐれて高いお方なのです。

 

※このブログは マギー博士の残したいのちのみことばメッセージを引用しています。

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「ヘブル人への手紙」をお読みください。

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

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