-  5章 富は気苦労である。キリストが来られることは慰めである。義人の祈りは力である。 -

 

※ 死後のさばきから救われるための福音をYOUTUBE動画で見れるようにしました。

   主イエス様のお力をお借りし、完成しました。是非ご覧ください。

   これをご覧になった全ての方がイエス・キリストを信じ救われますように。

 

 不正に満ち、自由などは夢にしか過ぎないこの世の中で、独断的になろうとしていた彼らの態度と行動について、ヤコブは信者たちを指図していたのです。とても金持ちのものすごく豊かな人々と、とても貧乏な本当に貧しい人たちがいました。その時代のクリスチャンたちのほとんどは、とても貧しい人たちと、奴隷階級の人たちでした。問題は、硬貨の中にあるのではありません。問題は人の心の中にあるのです。金銭を“愛すること”があらゆる悪の根なのです。

 

(I テモテ6:10)「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。・・・ 」

 

 ヤコブは、彼らがどのようにしてお金を手に入れたか、そして手に入れたあとに、そのお金で何をしているかを心配していたのです。神さまのみことばの中には、貪欲は偶像礼拝であると書かれています。貪欲は物を礼拝することです。そして自己中心は、自分自身を礼拝することなのです。私は個人的に、この金持ちたちは、神さまを信じない金持ちであると思います。ヤコブは神さまを信じない人々に語りながら、同時に敬虔な人々に、彼らは神さまを認めない世界に生きているのだということを教えています。

 

(詩篇37:7)「【主】の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。」

 

ダビデは、宮に入って行って、やがて神さまはこのような人々を取り扱われるのだと分かるまでは、このことにわずらわされました。

 

(ヤコブ5:1)「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。」

 

 日付はいずれにしても、エルサレムの崩壊は近い将来でした。紀元70年に、ローマ人テトスがやって来て、それまでなかったほどにエルサレムを破壊したのです。彼はエルサレムを埋めてしまいました。テトスはクリスチャンを憎み、ユダヤ人を憎んでいました。その両方がその町にいたのです。確かに、彼が通り過ぎたあとには、ユダヤ人の金持ちはひとりも残りませんでした。彼らは殺されたか、奴隷にされ、すべての富は破壊されたか、失われたか、あるいは没収されました。

 

 ヤコブは、何が来ようとしているかを考慮して、このような強いことばを言うことができました。なぜなら、主イエスは天に戻って行かれる前に、このことを予告されていたからです。主は、ご自分の弟子たちに、

 

(ルカ21:20)「『 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。』」

 

と命じられました。紀元70年にそれが成就したのです。

 

(ヤコブ5:2)「あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、」

 

 キリストが来られるという光の中で、彼らは、この世のすべての富は無に帰するのだと警告されています。

 

(ヤコブ5:3)「あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。」

 

 「あなたの銀や金はどうしてさびが来るか知っていますか?なぜならそれは、“あなた”がこれから腐っていくからです。」ヤコブは、神さまを信じない金持ちが自分のお金を独り占めしているのを非難しています。金や銀は“確かに”さびます。今日はにわか景気で、明日は破産です。人が、億というお金を儲けても、彼はそれに満足しません。彼は、“2”億を儲けたいと願います。それはまるで、海水を飲むようなものです。飲めば飲むほど、もっとのどが渇くのです。金持ちは、何億というお金を儲け続けますが、それで彼らがもっと幸福になるわけではないのです。ヤコブは、富は分配されるべきであって、独り占めにしてはならないと言っています。

 

(ヤコブ5:4)「見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。」

 

 ヤコブは、神さまを信じない金持ちがお金を独り占めしていることだけでなく、不正直に儲けているその方法を非難します。彼らは、自分たちが金持ちになるために、貧乏人から奪ったのです。もし人が、自分よりも下にいる人たちの手を踏んづけて自分たちの富をこしらえているのなら、神さまはそのことをさばかれます。このことは、金持ちや、大きな株式会社と労働組合、そしてまた、大きな教会組織に対して警告のことばとして、役に立たなければなりません。 神さまは、人々が金儲けをする方法と、そしてそのお金を使う方法をさばかれるのです。

 

(ヤコブ5:5)「あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。」

 

 もしあなたがこの人生のためだけに生きようと決めたのなら、せいぜい贅沢に暮らしてください。でも、神さまは、そのようなことをする者は愚か者だと言われるのです。

 

(ヤコブ5:6)「あなたがたは、正しい人を罪に定めて、殺しました。彼はあなたがたに抵抗しません。」

 

 ここには、クリスチャンの金持ちのためのレッスンがあります。あなたの銀行口座はどのくらいのものですか?もしイエスさまがたった今来られるとしたら、あなたは進んで主に貸金庫の中身をお見せしますか?いつの日か、主はそのようにされます。あなたは、どのようにあなたの富を利用していますか?

 

(ヤコブ5:7)「こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。」

 

 確かに、私たちは最善の人を選出しようと努力することに興味を持つべきです。でも、私たちにはこの世を変えることはできません。それなら私たちに“できる”ことは、何でしょう?神さまに耳を傾けてください。今神さまは、ご自分の子どもたちに語りかけておられます。私たちの唯一の望みは、イエス・キリストのうちにあります。主イエス・キリストに興味を持つべきグループがいるとしたら、それはこの世の貧しい人々です。なぜなら、主はこの地上にご自分の御国を建てられるときに、彼らを正しく取り扱ってくださるからです。

 

 キリストが来られることによって、世の間違いが正されます。そのことは、聖書の中に何度も何度も書かれています。今の時代も、神さまからのさばきのうちに終わるのです。“それ”が収穫です。だとしたら、私たちが神さまのみことばを宣べ伝えているときには、私たちは何をしているのでしょう?主イエスは、種蒔く人でもあられ、今日、主は種を蒔いておられます。私は、それが自分の仕事だと考えています。私は神さまのみことばを教えます。ただ単にみことばを宣べ伝えるほかには、私にできることはありません。私はただ、種を蒔いているのです。一部は良い地に落ちます。そんなに多くではないかも知れませんが、それでも一部は良い地に落ちるのです。ハレルヤ!私たちの仕事は、種を育てることです。

 

(ヤコブ5:8)「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」

 

 聖書全体を通して、私たちはキリストが来られるという光の中に生きていなければならないと教えられています。

 

(ヤコブ5:9)「兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。」

 

 あなたがほかの人をさばこうとしているときに主が来られたら、あなたはとても恥ずかしい思いをすることでしょう。突然、自分が主の御前にいて、主があなたをさばかれることになるのです。ここで本当にヤコブが言っていることは、「体制を整えなさい。自分の身の回りのことを、主が来られる前にまっすぐにしなさい。なぜなら、もしあなたがしなければ、主がそれらをまっすぐにされるから。」ということです。このことは、信者が気づくべき重要なことです。

 

(ヤコブ5:10)「苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。」

 

 言者たちは、私たちのための模範です。彼らは苦しみましたが忍耐深かったのです。

 

(ヤコブ5:11)「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」

 

 私がヨブ記を読むと、ヨブはとても短気であるように感じます。実際、ヨブは忍耐を“学んだ”のです。彼は短気な人でしたが、忍耐を学びました。言い換えれば、主は慈愛、あるいはあわれみに満ち、慈悲深いお方です。ヨブが大きなレッスンを学び、主は確かに彼に対して慈悲深く寛大であられたことが分かるためには、あなたはヨブの試練の最後まで見なければなりません。

 

(ヤコブ5:12)「私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、『はい』を『はい』、『いいえ』を『いいえ』としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。」

 

 言い換えれば、あなたが何かを約束すると言うときには、それはあたかも自分が法廷にいて、真実を話しますと誓うときのようでなければならないということです。あなたのすべての“会話”はそのようであるべきです。人のことばは、それほどに確かなものであるべきです。一部の人たちは、山ほどの聖書の上に手を置いて(訳注:普通、誓いを立てるときには、1冊の聖書の上に手を置きます)誓ってさえ、自分たちのことばを守らないのです。

 

(ヤコブ5:13)「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」

 

 背筋を伸ばしてにっこり笑う必要はありません。苦しんでいる人は、祈るべきなのです。喜んでいる人は賛美するべきです。一部の人たちは、教会に行って徐々に気持ちを高揚させようとします。私たちは、教会に行く前から、自分たちの心の中に大きな情熱と熱心さとを持っているべきですが、でも、偽物の見せ掛けをかかげる必要はありません。

 

(ヤコブ5:14)「あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。」

 

 もし、病気になったすべてのクリスチャンがいやされることが神さまのみこころだと言うのなら、クリスチャンは決して死ぬことはないというその一連の考え方の論理的な結論に同意しなければなりません。その人は、死をもたらすすべての病気からいやされることになります。言わせていただきますが、そんなことはばかばかしいことです。私のガンはいやされましたが、もしその前に主が来られなければ、私は死ぬことになっています。

 

 神さまのみこころは、“すべての人たち”がいやされることだというのは、無知な信者の上に仕掛けられた、残酷ないたずらです。「あなたがたの間の誰かが病気です。」と言っているのです。あなたは何をするべきでしょうか?「その人は教会の長老たちを招き、・・・祈ってもらいなさい。」というのが、最初にするべきことです。第2のことは、「主の御名によって、オリーブ油を塗って」ということです。ヤコブはここで、とても実際的なことを言っています。彼は、「祈ってもらうために長老たちを招き、そして最高のお医者さんにかかりなさい。」

 

(ヤコブ5:15-16)「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」

 

 「信仰による祈りは、病む人を回復させます。」と書かれています。あなたが病気になったとき、神さまの民にお願いして、祈っていただくべきであると私は信じています。自分たちの“過失(faults)”をお互いに告白するべきなのです。もし私があなたを傷つけたなら、私はそれをあなたに告白するべきです。でも、私は自分の罪をあなたに告白することはしませんし、私に向かって、あなたに罪を告白して欲しくもありません。それは、主に告白するべきです。ヤコブは、偉大な祈りの人でした。彼は「ラクダのひざ」と呼ばれていました。なぜなら、あまりにも長い時間をひざまずいて祈りに費やしたので、彼のひざには(ラクダのような)たこができていたからです。

 

(ヤコブ5:17-18)「エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。」

 

 想像できますか?エリヤは3年半の間天気予報係で、3年半の間中、雨を降らせなかったのです!雨は、彼が祈るまで降ることはありませんでした。あなたも、エリヤと同じような人間です。エリヤはスーパーマンではありませんでした。「エリヤは、私たちと同じような人でした」が、彼は情熱をもって祈る人でした。今日私たちに必要なのは、そのような種類の祈りです。

 

(ヤコブ5:19-20)「私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。」

 

 一部の解説者は、これは迷い出てしまった神さまの子どもを指しているのだと信じています。でも私は、これはまだ真理に到達していない未信者のことを指していると思います。「多くの罪をおおう」と書かれています。その人がキリストの救いの知識にいたるとき、彼の罪はとても多いのですが、それらはキリストの血によっておおわれます。信仰によって義と認められることの不思議さは、一度神さまが私たちの罪を赦してくださったなら、その罪は永遠になくなるということです。東が西から遠いように、私たちから取り去られるのです。これが、とても実際的なヤコブの書簡のすばらしい結論です。

 

※ 是非、引き続きブログをお読みください。

 

※ 約5分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

 
    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

 

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このブログは下記マギー博士のラジオ番組のメッセージを引用しております。