-  4章 世俗的であることの空虚さと味気のなさ。 -

 

※ 死後のさばきから救われるための福音をYOUTUBE動画で見れるようにしました。

   主イエス様のお力をお借りし、完成しました。是非ご覧ください。

   これをご覧になった全ての方がイエス・キリストを信じ救われますように。

 

 今ヤコブはこの章で、とても重要な問題を扱います。世俗的であるとはどういうことでしょう?クリスチャンは、どのようにして悪魔と戦うのでしょう?あなたの人生とは?これらすべては、この世的であるという主題に関わっています。

 

 私たちは、自分たちの中でこのことを認識する必要があります。私たちが世俗的であると呼ぶものは、ただ時計の針と同じです。本当の問題は、もっと深いところにあるのです。

 

 ヤコブの大学では、信仰こそが専攻であり、すべての選択科目は信仰に関連しています。信仰の行いは、柔和をもたらします。この世で、ねたみと敵対心は何を生み出すでしょう?「秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行い」です。このことを背景として今、私たちはヤコブが4章で言っていることを認識することができます。

 

(ヤコブ4:1)「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」

 

 「戦い」は、国と国との間の戦争と関係があります。「争い」は小さなこぜりあいと関係しています。ほら、教会の中であなたに起こった、あの小さなけんかです。覚えていますか?「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」と書かれています。あなたは、自分の好きなようにしたかったのです。「あなたがたのからだの中で戦う欲望」とは、実際に肉の快楽のことです。敵対心と騒動は、衝突と、満足を得たいというからだの中の傲慢な要求によって作りだされるのです。

 

(ヤコブ4:2)「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」

 

 利己的な欲望が戦いにつながることを、ヤコブはとてもはっきりと示しています。この争いの精神が世俗的であることなのです。この精神はキリスト教的ではなく、クリスチャンのとるべきアプローチでもありません。これらは、古い性質を代表しています。人間は、キリストにある信仰によって新生し、聖霊に内住していただかなくてはなりません。

 

 ビジネスの世界には、食うか食われるかの競争があります。それが世俗的であることです。その欲望が満たされるため、あるいは否定されるため、または 精錬されるために、私たちは自分の欲望を、祈りのうちに主のところに持っていかなくてはなりません。そしてそののちに、私たちは主からのお答えを受け入れる必要があります。

 

 世俗的であることの治療法は何でしょう?祈りです。つまり、神さまにある信仰です。答えは、神さまを絶対的に信頼すること、祈りのうちに神さまのもとに行き、あなたの心の中にあることを神さまにおささげすることです。あなたの心の中に争いやねたみがあることに気づいたなら、神さまにそのことをお話しなさい。

 

(I ヨハネ5:4)「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」

 

 偉大な聖徒であり、中世の神秘主義者であったフェネロンの、次のことばを考察してください。 「心の楽しみと痛みを親しい友人に打ち明けるように、あなたの心の中にあることを、神さまにお話ししなさい。神さまがあなたを慰めてくださるように、あなたの問題をお話ししなさい。神さまがそれらを落ち着けてくださるように、あなたの喜びをお話ししなさい。神さまがそれらを克服させてくださるように、あなたの嫌いなものをお話ししなさい。神さまがあなたをそれらから守ってくださるように、あなたの受ける誘惑をお話ししなさい。神さまがいやしてくださるように、あなたの心の傷をお見せしなさい。

 あなたの善に対する無関心と、悪を好む堕落した嗜好と、不安定さをそのままそこに横たえなさい。どのように自己愛によってほかの人に対してあなたが不正になるか、どのように虚栄があなたを誠実さのないものにするか、どのように高慢がほかの人々に対してと同じように、自分に対してもあなたを偽るかをお話ししなさい。

 このように、あなたのすべての弱さ、必要、問題を注ぎ出すなら、あなたは言うことに事欠くことはない。問題を言い尽くしてしまうことはない。問題は、続けて新しくなっていく。お互いに隠し事のない人たちは、会話の主題を求めることは決してない。何も隠されてはいないので、彼らは自分たちのことばをはかりにかけることはない。また、何か言うことを求めることもない。彼らは、心の豊かさの中から、熟慮することなくただ思ったことを語る。そのような、親しい、遠慮のない神さまとの対話を保っている人は幸いである。」

 

 あなたの心の中にある、ねたみと、嫉妬と、敵対心とを取り去る唯一の方法は、主イエスのところに行くことです。あなたは、主イエスのところに行き、“主の”長いすに上り、主にすべてをお話しすることで、その気がかりなことを捨て去ってしまう必要があります。

 

(ヤコブ4:3)「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」

 

 私たちは確かに神さまに何かをお願いするときにさえ、それをとても利己的な方法で使うために祈るのです。

 

(ヤコブ4:4)「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」

 

 自分の欲しいものを力ずくで取ります。手段を選ばずに手に入れます。ほかの人たちに対してねたみ、嫉妬し、敵対心を起こします。それが世俗的であるということです。

 

(ヤコブ4:5)「それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。」

 

 神さまは、ご自分の子どもたちに嫉妬されると言っておられます。でも、間違った場面での嫉妬だったらどうでしょう?委員会に選ばれなかったときとか、教会で、自分は当然受けるべきだと感じている表彰を受けなかったときの嫉妬は?そして、私たちの舌で引き起こす、敵対心についてはどうでしょう?ヤコブは、問題の解決法は、主イエスのところに行って、私たちの問題についてお話しすること、すべてを主にお話しすることだと言っているのです。

 

(ヤコブ4:6)「しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』」

 

 神さまの恵みによって私たちは救われたのです。神さまは、ものすごい量の恵みを持っておられるのです。主のところに行って、主に自分の内面が悪いことをお話しして、それを克服する恵みを求めなさい。主はあなたに恵みを与えてくださいます。主は生けるキりストであり、神さまの右手で私たちのためにとりなしをしてくださっています。神さまの恵みは、‘へりくだる者’という入れ物に入れて運ばなければなりません。

 

(ヤコブ4:7)「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」

 

 言い換えれば、あなたは自分自身の力で悪魔に立ち向かうことはできないということです。あなたも私も、邪悪な影響に取り囲まれています。これまで見て来たように、誘惑はいたるところにあります。神さまは、必要に応じて恵みを供給してくださいます。そして、神さまの恵みのたくわえは尽きることがありません。「これはあなたのものだよ。あなたがつかまえなければならないのだよ。」と神さまは言われます。

 

(ヤコブ4:8)「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。」

 

 神さまはドアをノックされます。そして、あなたが神さまを中へ入れなければならないのです。それが、神さまが中に入って来られる唯一の方法です。ヤコブは、悪魔に立ち向かう方法は、神さまに近づくことだと教えてくれます。

 

(ヤコブ4:9)「あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。」

 

 あなたは罪を軽々しく扱ってはいけません。あなたの罪を“悲しむ(あるいは、嘆く)”べきです。今日の問題は、クリスチャンたちが自分たちの罪を嘆いていないことです。あまりにもしばしば、私たちは罪を取り扱うことを拒否します。私たちは、自分たちの罪を嘆く必要があります。

 

(ヤコブ4:10)「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」

 

 「“主が”あなたがたを高くしてくださいます。」と書かれています。私たちの今日の問題は、“自分たちは”賢い、“自分たちは”強い、“自分たちには”能力がある、“自分たちは”善良だと思っているところにあります。神さまは、私たちの中には、善は何ひとつないと言われます。私たちの中には、神さまをひきつけるもの、つまり、良いという点で神さまを魅了するものは何ひとつありません。ただ、私たちの大きな必要が、神さまを私たちにひきつけるだけなのです。

 

 もし私たちが進んで謙遜になって、神さまが私たちを高く上げることがおできになる場所に降りていけば、神さまは私たちを高く上げてくださるのです。神さまはときどき、私たちがただ降参して神さまにおゆだねするように、げんこつをくださると思います。

 

(ヤコブ4:11-12)「兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。あなたが、もし律法をさばくなら、律法を守る者ではなくて、さばく者です。律法を定め、さばきを行う方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。」

 

 言い換えれば、あなたは一体何さまのつもり?ということです。あなたが人をさばくような話し方をし始めたら、あなたは神さまの地位に自分を置いているのです。今日、神さまの地位をとりたいと求めている、ふたつのタイプの人たちがいます。

 

 ひとつのタイプは、「私は救われるのに十分なほど良い人間です。主よ。私には、あなたの救いは必要ではありません。ただ、どいてください。私がそこにあがって行って、あなたの脇に座ります。私が自分の救い主なんです。」それから、ほかのすべての人たちをさばくために、さばきの席に着く人がいます。彼は、自分のことはさばきませんが、ほかの人すべてをさばくのです。ヤコブは、さばきは神さまの仕事だと言っています。ヤコブは、私たちは自分自身をさばき、謙遜になって主のもとに行くべきだと言います。

 

(ヤコブ4:13)「聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう』と言う人たち。」

 

 「聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこで聖書カンファレンスをしよう。私たちはそこですばらしいときを持つだろうし、それが主のみこころだと信じる』と言う人たち。」というわけです。ヤコブが言ったのとはちょっと違いますが、主はそのように私に言われたのです。

 

(ヤコブ4:14)「あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。」

 

 ヤコブは、私たちには明日のことは分からないのだと言います。「あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。」と書かれています。彼は、私たちのいのちは、ただの蒸気か霧のようなものだと言います。「しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。」と書かれているとおりです。

 

 神さまから離れ、神さま抜きに生きている人間の人生は、神さまの宇宙の中で最も巨大な失敗です。ほかのすべての物は、長く役立つ目的に使われます。神さまから離れた人間の人生は、不釣合いで、混乱しており、巨大な失敗です。その理由のひとつは、この人生の短さです。私たちには、たったの70年が割り当てられているだけです。もし、それより長く生きれば、人生は痛みに満たされます。ああ、人間の人生の短さよ!私たちのうちの多くは、この地上で本当に生きることを、決して学ぶことがありません。

 

(ヤコブ4:15)「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」

 

 私たちの人生は、神さまの御手のうちにあります。

 

(ヤコブ4:16)「ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。」

 

 人は、高ぶることはできません。もし高ぶれば、それは罪です。

 

(ヤコブ4:17)「 こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。」

 

 今日、とても多くの人々が、自分たちは罪を犯しているのにそのことを知らないでいます。もし、何かの場合に正しいことをおこなうことを知っていながら、つまり、自分が何をするべきか、あるいは何か大切なことを助けるべきであると知っているのに、それをしないこと、“それが”罪なのです。

 

 私たちの人生は短いのです。私たちは、敵対心や、ねたみやそねみのために時間を使うべきではありません。そのようなものは、人生をだめにします。私たちはキリストのもとに行って、自分たちの人生を主の前におろし、そして本当に生きることを始める必要があります。主は言われました。

 

(ヨハネ10:10)「『 ・・・わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。』」

 

主はあなたに、本当のいのちである人生をお与えになりたいと願っておられます。あなたは今日、そのようないのちを生きているでしょうか?

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「ヤコブの手紙」をお読みください。

 

※ 約5分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

 
    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

 

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このブログは下記マギー博士のラジオ番組のメッセージを引用しております。