-   4章 アブラハム、ダビデ。アブラハムは信仰によって義と認められた。 -

 

※ 死後のさばきから救われるための福音をYOUTUBE動画で見れるようにしました。

   主イエス様のお力をお借りし、完成しました。是非ご覧ください。

   これをご覧になった全ての方がイエス・キリストを信じ救われますように。

 

 この、偉大な信仰による義認の箇所で、私たちは教理を見てきました。パウロは人間が罪人であることを鮮やかに語りました。そして彼は、神さまが罪人たちのために 義を用意されていることを明らかにし、信仰による義認が説明されます。今彼は、この真理を、旧約聖書のふたりの人物をもって例証します。アブラハムとダビデです。、律法と福音の間には調和と賛同があるのだという3章の自分の意見を確立します。 このふたつは、正反対の体制を代表していますが、お互いに矛盾もしないし、衝突もしないのです。律法以前のアブラハムは、信仰によって義とされました。そして、律法のもとにあったダビデは、信仰による義認を歌いました。

 

(ローマ4:1)「それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。」

 

 私たちの最初の父祖アブラハム(Abraham, our first father)」という言い方は、イスラエル民族がアブラハムから始まったことを示しています。 

 

(ローマ4:2)「もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。」

 

 「彼が誇ることができる」肉の行いのことですが、しかし、神さまの御前では、そうではないのです。彼は自分の中では誇ることもできますが、神さまの御前では誇ることはできません。アブラハムは、神さまの御前に価値があるとみなされる良い行いをしたという前提に立っています。事実を言えば、アブラハムは多くの良い行いをしました。でも、びっくりすることには、これらの良い行いは、救いの根拠ではなく、救いの結果であり、信仰によって義と認められたことの結果なのです。これは信仰の行いです。アブラハムは神さまを信じ、イサクをささげました。(創世記15:6) 

 

(ローマ4:3)「聖書は何と言っていますか。『それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた』とあります。」

 

 パウロは言っています。「聖書の言っていることに耳を傾けなさい。神さまがご自分のみことばのなかであなたにはなしかけているのですよ。」これはなんとすばらしいことでしょう。

 

(ローマ4:4-5)「働く者の場合に、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」

 

 彼の救いは、ただほかの基準で与えられました。それは、神さまの恵みによる、受けるに値しない恩恵でした。「何の働きもない者が」つまり、救いに値するようなことであなたができることは何ひとつない、ということです。でも、不敬虔な者を義と宣言してくださる神さまを信じるのです。そして、神さまは、不義な者たちだけをお救いになるのです。「その信仰が義とみなされるのです。」

 

 信仰だけが唯一の条件です。神さまは行いの代わりに、信仰を受け入れられます。信仰のうちには、何の功績もありませんが、信仰は神さまがふんだんに提供される義を受ける、唯一の方法です。信仰は神さまを礼拝し、人間のために義を確保します。神さまは、アブラハムの口座に義を彼のために入金されたのです。何の働きもない者の信仰が、神さまからの義とみなされるのです。これは、理解するべき重要なことです。

 

(ローマ4:6)「ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。」

 

 ダビデには何の行いもなかったからです。彼の行いは悪でした。ですから、義は完全に行いから離れていなければなりませんでした。義は、まったく違う原則のもとに来なければならなかったのです。

 

(ローマ4:7)「『不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。』」

 

(詩篇32:1-2)「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。【主】が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」

 

 これは、ダビデの偉大なざんげの詩篇のひとつです。もうひとつは詩篇51篇です。これらの節は、ダビデの大きな罪と、告白とそしてそれに続く受容の結果です。「赦され」とは明確で完全な赦しの行為を示しています。ここでは、罪人をご自分の愛の腕の中に抱き、愛情を持って彼を受け入れられる、神さまの優しさを語っているのです。

 

(ローマ4:8)「『主が罪を認めない人は幸いである。』」

 

 言い換えれば、主がその人の罪を彼の口座にお入れにならない人は、喜ばしい、ということです。ダビデは大きな罪人でした。神さまは、ナタンが告げたように、ダビデの罪を見過ごしてくださいました。

 

(ローマ4:9)「それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、『アブラハムには、その信仰が義とみなされた』と言っていますが、」

 

 アブラハムは律法の前に、また自分が割礼を受ける前に、義と認められたのだ、ということを示すために、パウロはアブラハムに戻ります。

 

(ローマ4:10)「どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。」

 

 アブラハムは、神さまがそのことをされると言われた以外には、どんな種類の同意もできるずっと前に、神さまを信じました。アブラハムは神さまのありのままのみことばを信じたのです。

 

(ローマ4:11-13)「彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。」

 

 神さまは、割礼が紹介されるずっと前に、アブラハムにこの約束をされました。アブラハムはただ神さまを信じました。それだけです。

 

(ローマ4:14-16 a)「もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。」

 

 ごらんのように、神さまは信仰だけによってアブラハムを救われたのです。さて、何かほかのものに注目してください。アブラハムは実際、よみがえりを信じる信仰によって義とされました。

 

(ローマ4:19)「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。」

 

 信仰自体の中には何の功績もありません。ごらんのように、アブラハムの周りには、彼が信頼することのできるものは何ひとつなかったのです。彼が感じることのできるものも、見ることのできるものも、“何ひとつ”ありませんでした。彼は、神さまを信じただけです。それが大切なのです。

 

(ローマ4:20)「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、」

 

 彼は、状況から目を背け、約束に目を留めました。状況がそれを無効にするという事実にも関わらず、彼は約束を信じました。彼は、その約束をくださった方のゆえに、約束を確信しました。それで神さまを礼拝しました。“あなたが”神さまにご栄光を帰する、唯一の方法は、神さまを信じることです。

 

(ローマ4:21)「神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」

 

 「堅く信じました」とは、彼がふちまでいっぱい満たされた、という意味です。疑いの入る余地はありませんでした。22 この約束とは、神さまが死の胎、すなわちサラの胎から息子をよみがえらせられる、という約束です。

 

(ローマ4:23-24)「しかし、『彼の義とみなされた』と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。」

 

 サラの胎は、墓でした。死の場所でした。でも、そこからいのちが出てきました。アブラハムは神さまを信じました。そして、主イエスが次のように言われたとき、そのことを意味されたのです。  (ヨハネ8:56) 

 

(ローマ4:25)「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」

 

 これこそ、キリストの死だけでなく、主のよみがえりをも信じる信仰です。「キリストの死によって、主は私たちの借金を返された。ご自分のよみがえりによって、主は私たちの領収書を取られたのである。」神さまは、キリストの死とよみがえりとを信じるものを義と認められます。何とすばらしいことでしょう!あなたは神さまとそこまでいきましたか?あなたは神さまを信じておられますか?

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「ローマ人への手紙」をお読みください。

 

※ 約5分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

 
    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

 

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このブログは下記マギー博士のラジオ番組のメッセージを引用しております。