- 挽歌(エレジー)、その5 -
※ 死後のさばきから救われるための福音をYOUTUBE動画で見れるようにしました。
主イエス様のお力をお借りし、完成しました。是非ご覧ください。
これをご覧になった全ての方がイエス・キリストを信じ救われますように。
5番目で最後の哀歌は、エレミヤの祈りです。
(哀歌5:1)「【主】よ。私たちに起こったことを思い出してください。私たちのそしりに目を留めてください。顧みてください。」
ユダは、ほかの国々の間で持っていた誉と尊敬とを失いました。
(哀歌5:11-13)「女たちはシオンで、おとめたちはユダの町々で、はずかしめられました。首長たちは彼らの手でつるされ、長老たちも尊ばれませんでした。若い男たちはひき臼をひかされ、幼い者たちはたきぎを背負ってよろめき、」
おとめたちは強姦され、首長たちはつるされました。彼らはすべてのものを失いました。生き残った若者たちはネブカデネザルのために奴隷として働かされました。
(哀歌5:15)「私たちの心から、喜びは消え、踊りは喪に変わり、」
彼らの心の喜びは、消え去りました。
(哀歌5:19-21)「しかし、【主】よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御座は代々に続きます。なぜ、いつまでも、私たちを忘れておられるのですか。私たちを長い間、捨てられるのですか。【主】よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください。」
これは、自分の民のためのエレミヤの祈りです。私たちはここから教訓を学ぶことができます。もう遅いというときが来る前に、私たちは主に立ち返るほうが良いのです。
ダニエル・ウェブスター(Daniel Webster :1782 年1 月18 日 - 1852 年10 月24 日。アメリカ合衆国の政治家、法律家。)は何年も前に、次のような意見を述べましたが、これは、まるで預言のように聞こえます。
「もし、宗教的な本が大衆の中に流通していなかったなら、人々は神に立ち返ることをせず、国としての私たちに何が起こるか私には分からない。もし、真理が行き渡らないのなら誤りが行き渡る。もし神と神のみことばが受け入れられないなら、悪魔と悪魔の働きが優勢になる。もし、福音的な本がすべての小さな村に届けられないなら、堕落したみだらな文学がそこに届く。もし、福音の力がこの地のいたるところで感じられないなら、無秩序と、悪政と、堕落と、みじめさと、腐敗と、暗やみが、緩和されることも、終わることもなく、この地を支配するのである。」
何という描写でしょう!私たちは、学校で聖書を読むことのできない時代に生きています。でも、ポルノは許可されているのです。なぜなら、私たちは自分のしたいことが自由にできなければならないからだというのです!でも特に、大多数の人たちがそれを望んでいるときには、私たちの幾人かでも学校で聖書を持つことはできないのでしょうか?
偉大なわが国が1775年から1787年の間に建国されたとき、次のようなベンジャミン・フランクリンの意見は、まだ広く受け入れられていました。
「長く生きれば生きるほど、私は神さまが人間のことを治めておられるという真理の、確信できる証拠をもっと多く見て来ている。」
メイチェン博士は
「アメリカは、敬虔な祖先たちの上を下に滑り降りている」と言いました。
今、私たちは丘のふもとについてしまいました。哀歌は今日、私たちに何と言うメッセージを伝えてくれることでしょう。でも、哀歌が今月の本、あるいは今年の本に選ばれることはないでしょう。私たちが耳を傾けないのは、残念なことです。
※ 是非、引き続きブログテーマ「哀歌」をお読みください。