- 挽歌(エレジー)、その3 -
※ 死後のさばきから救われるための福音をYOUTUBE動画で見れるようにしました。
主イエス様のお力をお借りし、完成しました。是非ご覧ください。
これをご覧になった全ての方がイエス・キリストを信じ救われますように。
この短い哀歌の各章は、折句(acrostic)を形成しています。つまり、ヘブル語のアルファベットには、22文字ありますが、ひとつひとつの章の、それぞれ22の節は、続きの文字で始まっているのです。ただし、この章は66節あり、それは、アルファベットの一文字につき、3つの節があることを意味しています。
(哀歌3:1-4)「私は主の激しい怒りのむちを受けて悩みに会った者。主は私を連れ去って、光のないやみを歩ませ、御手をもって一日中、くり返して私を攻めた。主は私の肉と皮とをすり減らし、骨を砕き、」
この人物、エレミヤは、大きな困難を目にしその中を通りました。エルサレムに対する心配のために、彼は病気になってしまいました。エレミヤは、この国にやって来た破滅を目にして動かされずにいることはありませんでした。彼は、
「ほおら、私の言ったとおりになった!」
と言いながら、そこらを走り回ることはしませんでした。実際彼は悲嘆にくれていました。彼の応答は、同時に“神さま”がどのように感じておられるかを私たちに示してくれます。神さまは隔たったところにおられるのではありません。神さまは、ご自分の者たちとともに歩んでくださいます。主イエスは言われました。
(ヘブル13:5)「・・・『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」
あなたがどんなことの中をを通っていても、主がそこにいてくださることを確信することができるのです。
(哀歌3:21-24)「私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。【主】こそ、私の受ける分です』と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。」
もし私が、哀歌の最後の3つの章にタイトルをつけるとしたら、「明日が過去になるとき(When Tomorrows Become Yesterdays)」とつけるでしょう。エレミヤは今、過去を振り返っています。彼は、エルサレムにくだされるさばきを予告しました。そしてエレミヤは、この哀歌を書きながら、エルサレムのがれきと廃墟の中に座って泣いています。
この数節だけが、5つ全部の哀歌の中の明るい部分です。「私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。』」と書かれています。多くの人たちが、神さまのさばきは厳しすぎると思ったのですが、この、神さまの厳しいさばきにもかかわらず、エレミヤは神さまのあわれみの御手を見ることができるのです。
もし、神さまの“あわれみ”がなかったなら彼らは滅びうせてしまったことでしょう。もし彼らが、当然の報いを受けていたとしたら彼らは完全に滅ぼされたいたことでしょう。。神さまは彼らをさばかれましたが、彼らを完全に滅ぼしてしまわれることはありません。いつでも、残された誠実な者たちがいて、究極的に彼らがふたたび偉大な国になるのです。
※ 是非、引き続きブログテーマ「哀歌」をお読みください。