-   挽歌(エレジー)、その1 -

 

※ 死後のさばきから救われるための福音をYOUTUBE動画で見れるようにしました。

   主イエス様のお力をお借りし、完成しました。是非ご覧ください。

   これをご覧になった全ての方がイエス・キリストを信じ救われますように。

 

(哀歌1:1)「ああ、人の群がっていたこの町は、ひとり寂しくすわっている。国々の中で大いなる者であったのに、やもめのようになった。諸州のうちの女王は、苦役に服した。」

 

 哀歌の、最初の挽歌(エレジー)は、陰気な調子で始まります。エレミヤは、短調で歌っています。偉大なエルサレムの町は崩壊しました。なぜ崩壊したのでしょう?エレミヤは、私たちが理解できるように、ふたつのすごいことを言います。

 

(哀歌1:8)「エルサレムは罪に罪を重ねて、汚らわしいものとなった。彼女を尊んだ者たちもみな、その裸を見て、これを卑しめる。彼女もうめいてたじろいだ。」

 

 「エルサレムは罪に罪を重ねて、汚らわしいものとなった。」というのが、町が崩壊した第一の説明です。彼女の裸があらわにされたと言うのです。何という描写でしょう!

 

(哀歌1:12)「道行くみなの人よ。よく見よ。【主】が燃える怒りの日に私を悩まし、私をひどいめに会わされたこのような痛みがほかにあるかどうかを。」

 

 今日人々は、神さまの燃える怒りについて聞きたくはありません。その局面は、しばしば福音のメッセージから省かれます。でも少なくとも、彼は神さまが彼にお与えになったとおりに、神さまのメッセージを伝えました。神さまは、罪のゆえにユダをさばかれました。そして神さまは、今日も罪をさばかれるのです。

 

(哀歌1:18)「【主】は正義を行われる。しかし、私は主の命令に逆らった。だが、すべての国々の民よ、聞け。私の痛みを見よ。私の若い女たちも、若い男たちも、とりことなって行った。」

 

 エレミヤは、たったひとりで、エルサレムの崩壊を悲しみました。泣きながら、灰の中に立っていました。なぜ、町は破壊されたのでしょう?町が罪を犯したからです。第2の説明は、「主は義である」からです。神さまが町を滅ぼされました。そして、神さまは正しいことを行われたのです。

 

 破壊の理由を理解するのは難しいことです。そして、私はこのことを扱うのには、全く不十分であると感じていると言わなければなりません。私は、この人(エレミヤ)の悲しみのふちにやっと立って、その中に入ることができないことに気づくのです。私は、壁を越えてエレミヤの庭の中をのぞくことすらままなりません。その庭の中をあちこち歩き回ることはできないのです。

 

 あなたも私も、神さまがおられる宇宙に生きています。この神さまは生きておられ、この神さまはあなたへの愛をもって心から同情し、あなたを慕い求めておられるお方です。でも、次のことを申し上げておきたいのです。もしあなたが神さまに背を向けるなら、神さまはまだあなたを愛しておられるのではありますが、あなたをさばかれます。この方は、この宇宙の義なる神さまなのです。私はそのすべてを理解しているかどうか分かりませんが、神さまがご自分のみことばの中でそのように言っておられることは(少なくとも)知っています。

 

 いつの日か神さまは、ご自分が愛と正義と聖さの神さまであるがゆえに、地獄が実際にそこにあるのだということを私たちにはっきり教えてくださるでしょう。サタン自身に至るまで、宇宙全体が神さまは正義の方であられ、行われるすべてのことにおいて正しいのだということを認めるようになるのです。神さまはとても偉大で、すばらしく、良い方であるので、私たちはくれぐれも神さまをもてあそぶことがないようにしようではありませんか。

 

 ‘自分の罪と、その罪に対する神さまの怒りについて、あなたはどのように感じますか?’

 

 あなたにとって、何でもないことでしょうか?エレミヤは、町のために座って泣きました。キリストを拒否することは、行為というよりはむしろ、状態です。キリストを拒否するという行為を行うことは決してできませんが、キリストと、キリストがあなたのためにしてくださったことが、完全に無意味になる、というところに徐々にやって来ることができます。

 

 エルサレムは、神さまがエレミヤに次のように言われたところにたどり着きました。「彼らがあなたに耳を貸さないからと言って、心を騒がせるな。たとえ、モーセやエリヤやサムエルが、彼らのために祈るためにここにいたとしても、わたしは彼らの祈りにも答えることはないからだ。もう遅い。彼らは一線を越えてしまった。」私たちの洗練された時代に生きている人々の中にも、一線を越えてあちら側に行ってしまった多くの人たちがいます。

 

 でも、人が一線を越えて完全にキリストを拒否するところに達してしまったとき、私たちはその人をさばくことはできません。 私は、もう望みがないと確信していた多くの人たちが回心するのを見てきました。私が知っているある人は、サンフランシスコの湾岸地域に住んでいました。彼は麻薬常習者で、いくつかの犯罪を犯していましたが、奇蹟的にすばらしい回心をしました。

 

 ですからあなたも私も、だれかが一線を越えてしまったと言うべきではありませんが、でも、確かにそういうことが起こるのです。エルサレムは、神さまを拒否しました。個人が神さまを拒否することもできます。あなたにとって、イエス・キリストはどのようなお方ですか?主の死は、あなたにとって、どのような意味がありますか?

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「哀歌」をお読みください。

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

※ 約5分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

 

 

救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。
 
 

 

是非これを読まれた方が主イエス・キリストを信じ救われることを心より願っております。罪のゆるしについて、死後のさばき(永遠の地獄)からの救いについて、真剣に考えたい方、話を聞きたい方は是非プロフィールクリック→メッセージください。あなたがどうすれば救われるのか一緒に考えさせてください。

 

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