- 3章 バプテスマのヨハネのミニストリー。イエスさまの洗礼。マリヤの系図。 -
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※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問
イエスさまを人として示すために、ルカはアダムまでさかのぼります、そして第二に、マリヤはソロモンではなく、ダビデの子ナタンを通してのダビデの子孫です。(ルカ3:31、I歴代誌3:5参照)
(ルカ3:31)「メレヤの子、メナの子、マタタの子、ナタンの子、ダビデの子、」
(I歴代誌3:5)「エルサレムで彼に生まれた者は次のとおりである。シムア、ショバブ、ナタン、ソロモン。この四人はアミエルの娘バテ・シュアによる子である。」
この章には、たくさんの詳細が出てきます。ルカは、正確さにおいてはやかまし屋です。
(ルカ3:1)「皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、」
この節には、私たちがこのときの年代を決定することのできる6人の人々が登場します。主イエス・キリストが生まれたときには、皇帝はアウグストでしたが、ヨハネがミニストリーを始めたときにはテベリオが皇帝でした。私たちに詳細を提供するべき世俗の歴史には、テベリオは非常に頭が良かったけれども、残酷だったと書かれています。
(ルカ3:2)「アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。」
アンナスとカヤパは大祭司でした。なぜ大祭司が“ふたり”いたのでしょう?大祭司がふたりいたことは、ローマの力がその当時のエルサレムの宗教の上に及んでいたことを明らかにしています。裏で力を持っていたのはアンナスでしたが、ローマが前面にすえたのはカヤパでした。彼は荒野に出て行き、自分の祭司職を放棄しました。彼は、堕落した体制の中で奉仕することを好まなかったので、預言者になりました。それがこの場面です。ヨハネは祭司だったのですが、預言者になったのです。彼の人生の次のできごとはミニストリーのはじまりでした。
(ルカ3:3)「そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。」
彼は最後の預言者でした。実際彼は、新約聖書のページに歩いて入ってきた、旧約聖書のキャラクターです。彼は絵のような人物で、ひげをそらず、けば立って、らくだの毛の服を着ています。彼の服も、食べ物も、見た目も、違っています。彼は、たくさんの預言者が受けたのと同じ歓迎を受けます。死刑による歓迎です。この世は、自分の人生哲学と相容れない人は受け入れません。もしアナタが人気者になりたいなら、これは説教者にとっても同じですが、群衆と同じ歌を歌わなければなりません。この世で、会衆が言っていることの反響板以外の何物でもないような講壇を、神さまがあわれんでくださいますように。この世は、神さまの声を聞きたくないのです。特にその声がさばきを語っているときはなおさらです。ヨハネのメッセージはとても力強いものでした。
(ルカ3:4-7)「そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。『荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。べての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。」』それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。『まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。』」
もし説教者が日曜日の説教を「ああ、まむしのすえたち」と言って始めたら、その説教者はどんな教会でも、どれくらいいられるだろうか?と思いますね。次の日曜日には彼は講壇に立つことはないだろうと思います。人々はすぐに彼を片付けてしまうでしょう。ヨハネの普通と違う説教の出だしを使うことはお勧めしませんが、私は、それがふさわしい教会がたくさんあると確かに思います。
(ルカ3:8)「『それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。「われわれの父はアブラハムだ」などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。』」
(Iテサロニケ1:9)「・・・また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、」
何か“から”向き直らない限り、神さま“に”向くことはできません。(アナタが何か“に”向くとき、アナタは何かほかのもの“から”向き直るのです。)アナタが神さまに向くとき、アナタは罪から向き直ります。そしてそれが悔い改めです。アナタがキリストをアナタの救い主として受け入れるとき、アナタはこの世のものから向き直ります。アナタは荒野で叫ぶ者の「悔い改めよ」という声を聞く必要があるのです。もしアナタが神さまの恵みを受け取っているなら、そして神さま“に”向き直ったのなら、アナタは自分の罪“から”向き直らなければならないのです。もしアナタが自分の罪から向き直らないのなら、アナタは本当には神さまに向いてはいません。悔い改めは救いの中に含まれていますが、今日の神さまのメッセージは、
(使徒行伝16:31)「・・・『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも・・・救われます』」
なのです。
(ルカ3:9)「『斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。』」
ヨハネは一度も神さまの贖いの愛のメッセージはしませんでした。彼はそのメッセージをするように召されてはいませんでした。彼のメッセージは差し迫ったさばきのメッセージでした。主イエス・キリストは、今日の教会に同じことを言っておられます。
(ルカ3:10-11)「群衆はヨハネに尋ねた。『それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。』 彼は答えて言った。『下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。』」
ヨハネはイスラエルに、簡潔な分かり易いことばを用いて、彼らが「自分の」ために生きていて、自分たちが持っているものをほかの人たちと分け合おうとしていないことを語っています。
(ルカ3:12-13)「取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。『先生。私たちはどうすればよいのでしょう。』 ヨハネは彼らに言った。『決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。』」
取税人とは税金を集める人たちで、彼らは強欲さで知られていました。
(ルカ3:14)「兵士たちも、彼に尋ねて言った。『私たちはどうすればよいのでしょうか。』ヨハネは言った。『だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。』」
ヨハネは違う階級の、違う状況の人々に、実際的なメッセージを語りました。もしアナタが主婦なら、アナタが主婦業をこなすやりかたで、アナタのキリスト教を明らかにします。アナタは自分が何であるかを明らかにするのです。
(ルカ3:15-17)「民衆は救い主を待ち望んでおり、みな心の中で、ヨハネについて、もしかするとこの方がキリストではあるまいか、と考えていたので、ヨハネはみなに答えて言った。『私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。』」
ヨハネは、自分のメッセージが最終的なものではないことをはっきりさせます。彼は、これから来られる方のために道を備えているのです。イエスさまはこれまで、1900年以上にわたって、聖霊さまによるバプテスマを授けてこられました。主はまた、再臨のときには火でバプテスマを授けられます。火は、さばきを語ります。
(ルカ3:19-20)「さて国主ヘロデは、その兄弟の妻ヘロデヤのことについて、また、自分の行った悪事のすべてを、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事にもう一つこの悪事を加えた。」
ヘロデヤはこのことで激怒し、ヨハネを牢獄に入れることを命じました。ヘロデは彼女の望みをかなえ、ヨハネを逮捕して牢に閉じ込めたのです。
(ルカ3:21-22)「 さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。』」
ルカは、年代順にできごとを並べようとはしていません。もしそうなら、ルカはイエスさまのバプテスマをヨハネの逮捕の前に記録していたはずです。イエスさまのバプテスマのときに、三位一体が啓示されました。三位一体のひとりである聖霊さまがイエスさまに下り、天の父が天から語られます。ルカはマリヤの物語を書いていて、これは明らかにマリヤの系図です。ダビデの王としての血は、彼女の中にも流れていて、イエスさまのダビデの王座への“血筋”は、マリヤを通して来ているのです。この系図について、ふたつのことに注目してください。第一に、ルカは、ヨセフが主イエス・キリストの肉親の父親“ではない”ことを明らかにしています。
(ルカ3:23)「教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、」
子(son)ということばは、より良い写本には入っていません。ヨセフはヘリの息子ではありません。(訳注:ヘリはマリヤの父です。)子(son)ということばが付け加えられたのは、一家の長である父親(男性)を通しての家系であることを示すためです。言い換えれば、系図は、男性の名前でリストされています。ヨセフを通しての系図が書かれているマタイでは、ヤコブにヨセフが“生まれ”、と書かれています。
(ルカ3:31)「メレヤの子、メナの子、マタタの子、ナタンの子、ダビデの子、」
キリストの系図をダビデの息子、ナタンを通してさかのぼっています。ルカはイエス・キリストを人の子、そして“世”の救い主として明らかにしています。創造された神さまの子です。最後のアダムであり神さまの御子であるイエス・キリストは、アダムが前に持っていて、失くしてしまった神さまとの関係に人類を連れ戻すために来られたのです。この関係は、主イエス・キリストにある信仰を通して達成されます。
※ 是非、引き続きブログテーマ「ルカの福音書」をお読みください。
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神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。
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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。
~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~





