- 34章 ディナ、シェケムに犯され,シメオンとレビ、ハモルの男たちを皆殺しにする-

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※ 神について、神とあなたの関係についてのあなたの人生にとって一番重大な質問

 

このことはヤコブの家族の汚点になります。このことは、ラバン伯父さんのところ、ハランの地を離れたときには、もうすでに遅かったという事実を明らかにしました。神さまが彼をそのような環境から逃れさせられたのは正しいことだったと知る必要があります。私たちの霊的な成長と進歩は非常にゆっくりです。聖書の真理は学ぶかもしれませんが、私たちの生涯では私たちはシモン・ペテロと非常に似ていて、こっちでつまずき、あっちで倒れることに気づきます。神さまが一夫多妻を認めておられないと言う事実を証拠立てるものだと、私は信じています。創世記のこの部分にはレアの子どもたちすべてが罪に関わったことが書かれています。レアの息子たち全員が悪い者となり、ひとりひとりが眼に余る罪を犯します。

 

(創世記34:1)「レアがヤコブに産んだ娘ディナがその土地の娘たちを訪ねようとして出かけた。」

 

 ディナはこの町、シャレムを訪問しに行きました。

 

(創世記34:2)「すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕らえ、これと寝てはずかしめた。」

 

 今日のニュース用のことばに置き換えて見ましょう。シェケムは彼女をレイプしたのです。私たちはみんな罪の只中にいます。

 

(創世記34:3-4)「彼はヤコブの娘ディナに心をひかれ、この娘を愛し、ねんごろにこの娘に語った。シェケムは父のハモルに願って言った。『この女の人を私の妻にもらってください。』」

 

 興味深いことは、このシェケムは見たところ、この娘ディナを愛していて、本当に彼女と結婚したかったようです。

 

(創世記34:5-7)「ヤコブも、彼が自分の娘ディナを汚したことを聞いた。息子たちはそのとき、家畜といっしょに野にいた。ヤコブは彼らが帰って来るまで黙っていた。シェケムの父ハモルは、ヤコブと話し合うために出て来た。ヤコブの息子たちが、野から帰って来て、これを聞いた。人々は心を痛め、ひどく怒った。シェケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルの中で恥ずべきことを行ったからである。このようなことは許せないことである。」

 

 ヤコブはおそらくそれに同意するべきだったのではないでしょうか。なぜなら、そのときにはそれが最善の方法だったからです。もちろん、彼女が決して最善の取り扱いを受けた訳ではないし、神さまも承認されたわけではありません。

 

(創世記34:8-9)「ハモルは彼らに話して言った。『私の息子シェケムは心からあなたがたの娘を恋い慕っております。どうか彼女を息子の嫁にしてください。私たちは互いに縁を結びましょう。あなたがたの娘を私たちのところにとつがせ、私たちの娘をあなたがたがめとってください。』」

 

 雑婚は間違ったことではありましたが、ディナはシェケムに妻として与えられるべきだったように思われます。なぜなら、そうしておけばもっと悪い罪を防ぐことができたのです。

 

(創世記34:10-12)「『そうすれば、あなたがたは私たちとともに住み、この土地はあなたがたの前に開放されているのです。ここに住み、自由に行き来し、ここに土地を得てください。』シェケムも彼女の父や兄弟たちに言った。『私はあなたがたのご好意にあずかりたいのです。あなたがたが私におっしゃる物を何でも差し上げます。どんなに高い花嫁料と贈り物を私に求められても、あなたがたがおっしゃるとおりに差し上げますから、どうか、あの人を私の妻に下さい。』」

 

 このすべてのことは、ヤコブがここから出て行くべきことを示しています。この土地の人々と混ざり合うような、この場所はヤコブが住むべき場所ではありません。

 

(創世記34:13)「ヤコブの息子たちは、シェケムとその父ハモルに答えるとき、シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、悪巧みをたくらんで、」

 

 ヤコブが家族のリーダーシップをとるべきだったと私は感じますね。とにかく、ヤコブは息子たちがシェケムとハモルをだますのを防ぐべきでした。

 

(創世記34:14)「彼らに言った。『割礼を受けていない者に、私たちの妹をやるような、そのようなことは、私たちにはできません。それは、私たちにとっては非難の的ですから。』」

 

 この事件で私がどうしても気になるのは、本当の恥辱、つまり強姦の罪が無視され、彼らが、割礼のない者たちとの雑婚に関して神さまが与えられた規則をもとにして恥辱を作り出していることです。

 

(創世記34:15-17)「『ただ次の条件であなたがたに同意しましょう。それは、あなたがたの男子がみな、割礼を受けて、私たちと同じようになることです。そうすれば、私たちの娘たちをあなたがたに与え、あなたがたの娘たちを私たちがめとります。そうして私たちはあなたがたとともに住み、私たちは一つの民となりましょう。もし、私たちの言うことを聞かず、割礼を受けないならば、私たちは娘を連れて、ここを去ります。』

 

 ヤコブの息子たちが彼らに要求したのは、割礼の儀式を執り行うことでした。非常に多くの人たちが、教会のメンバーになり、うなずき、正しい語彙を使って正しい聖書箇所を引用できれば、それでクリスチャンであることをを意味する、と考えています。それがあなたをクリスチャンにする訳ではありませんよ。もし、アナタがキリストに信頼したのなら、何かが起こって、アナタは新しい人になるのです。

 

(創世記34:18)「彼らの言ったことは、ハモルとハモルの子シェケムの心にかなった。この若者は、ためらわずにこのことを実行した。彼はヤコブの娘を愛しており、また父の家のだれよりも彼は敬われていたからである。」

 

 この男は、ここでは尊敬に値することを行っていますね。

 

(創世記34:20-23)「ハモルとその子シェケムは、自分たちの町の門に行き、町の人々に告げて言った。『あの人たちは私たちと友だちである。だから、あの人たちをこの地に住まわせ、この地を自由に行き来させよう。この地は彼らが来ても十分広いから。私たちは彼らの娘たちをめとり、私たちの娘たちを彼らにとつがせよう。ただ次の条件で、あの人たちは私たちとともに住み、一つの民となることに同意した。それは彼らが割礼を受けているように、私たちのすべての男子が割礼を受けることである。そうすれば、彼らの群れや財産、それにすべての彼らの家畜も、私たちのものになるではないか。さあ、彼らに同意しよう。そうすれば彼らは私たちとともに住まおう。』」

 

 言い換えれば、この雑婚を通して、この人々はいずれヤコブの持っているものをすべて自分たちのものにできると期待したのです。

 

(創世記34:24)「その町の門に出入りする者はみな、ハモルとその子シェケムの言うことを聞き入れ、その町の門に出入りする者のすべての男子は割礼を受けた。」

 

 未信者に割礼をほどこすというのは、いかさまもいいところです。まるで、信じてもいないのに、教会のメンバーになるようなものです。

 

(創世記34:25)「三日目になって、ちょうど彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブのふたりの息子、ディナの兄シメオンとレビとが、それぞれ剣を取って、難なくその町を襲い、すべての男子を殺した。」

 

 これは本当のだまし討ちです。シメオンとレビはディナの本当の兄弟ですから、彼らは復讐したかったのです。シメオンとレビの行った残酷な行為を正当化することはできません。でも、かの地の住民とのやり取りの不可能な状況を確かに明らかにしています。彼らがしたことは、あまりにもひどいことでした。

 

(創世記34:26-27)「こうして彼らは、ハモルとその子シェケムとを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出して行った。ヤコブの子らは、刺し殺された者を襲い、その町を略奪した。それは自分たちの妹が汚されたからである。」

 

 他の息子たちもこれに加わりました。このことは、ラバンの家庭でヤコブの家族が倣い覚えた、間違った貪欲を暴露しています。

 

(創世記34:28-30)「彼らは、その人たちの羊や、牛や、ろば、それに町にあるもの、野にあるものを奪い、その人たちの全財産、幼子、妻たち、それに家にあるすべてのものを、とりこにし、略奪した。それでヤコブはシメオンとレビに言った。『あなたがたは、私に困ったことをしてくれて、私をこの地の住民カナン人とペリジ人の憎まれ者にしてしまった。私には少人数しかいない。彼らがいっしょに集まって私を攻め、私を打つならば、私も私の家の者も根絶やしにされるであろう。』」

 

 ヤコブの人生のこの場所で明らかに何かが間違っていることに気づいてください。ヤコブはシメオンとレビが自分に悪名を着せたことを責めていますが、彼はふたりが犯した罪のことを責めてはいません。私たちはときどき罪と私たちの行動に関して間違った見方をすることがあります。その結果がどうなるかということばかりを考えます。真理のために証言することは素晴らしいことです。そうすれば、妥協する必要はないのです。そうすることはなんと素晴らしいことでしょう。あわれな年老いたヤコブは成長していますが、まだこのことが正しいかどうかとか、クリスチャンがするべきことかどうかとか、神さまの子どもとしてしなければならないこと、またはしてはいけないことかということを見張るところまでは行っていません。そしてもちろん、息子たちは言い訳しようとします。

 

(創世記34:31)「彼らは言った。『私たちの妹が遊女のように取り扱われてもいいのですか。』」

 

 彼らがしたことはするべきことではありませんでしたが、彼らがローマ人への手紙12:19-21の光の中に生きていたのではないことも理解しなければなりません。

 

(ローマ12:19-21)「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」

 

自分で復讐しようとしたり、仕返ししようとするその瞬間、私たちは信仰によって歩んでいないのです。神さまが最善をしてくださるとは信用できない、と言っているのと同じことです。ヤコブは、自分にたくさんのしっぺ返しが来ていることが分かってきました。

 

※ 是非、引き続きブログテーマ「創世記」をお読みください。

 

― 特別聖書集会のご案内 香川県高松木太キリスト教会 -

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6月3日(金) ① 19:30~20:30

6月4日(土) ② 14:00~15:00  ③ 19:30~20:30  

6月5日(日) ④ 10:00~11:00  ⑤ 14:00~15:00

 

是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください! 

 

神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。

 

    
キリストは罪人である私たちの身代わりとなられ、十字架にかかり、死んでくださり、墓に葬られ、ご復活されました。その神の御子なるお方イエス・キリストを真の神、救い主と信じ受け入れることによって、私たちの罪がゆるされ、永遠の地獄の裁きから救われます。これが罪のゆるし、死後の裁きからの救いの福音です。

 

※ 約12分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。

救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。

 

イエス・キリストは、皆さまを救う救い主です。人形劇を行いました。お子様と一緒にご覧ください。

 

 

 

是非これを読まれた方が主イエス・キリストを信じ救われることを心より願っております。罪のゆるしについて、死後のさばき(永遠の地獄)からの救いについて、真剣に考えたい方、話を聞きたい方は是非プロフィールクリック→メッセージください。あなたがどうすれば救われるのか一緒に考えさせてください。

 

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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。

~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~