- 死後のさばきからの救い -
人生の最後には死があります。死とはなんであるかの明確な回答を持っていなければ、生についても語ることはできません。
・人間は死んだ後どうなるのか。人は何のために生きるのでしょうか。
・では、生きている間、神を信じないで、神を無視し、神に反逆した人生を送るなら、死後どうなるのでしょうか。
これこそ、人間にとっての最大の問題です。聖なる神は罪を必ず処罰されます。正しい神が、ご自分に対する反逆を許すことは、ご自分の正義を否定することになりますから、そのようなことは絶対にあり得ません。神は罪を犯した人を一人も見逃すことなく、罰されるのです。罪を犯した人を裁く場所、すなわち地獄を、神は用意しておられます。罪を犯した人は死後、恐ろしい永遠の苦しみの場所である地獄に行き、罪の罰を受けなければならないのです。
死と死後の地獄から逃れることの出来る人が一人でもいるでしょうか。誰一人ありません。全ての人は聖なる神の前では罪人だからです。多くの人々は自分が死後、地獄の中で罪の裁きを受けなければならないことを認めたくないので(そんな嫌なことは認めたくないのです)罪を憎んでお裁きになる神の存在を否定しようとしています。しかし、そうしたからといって地獄がなくなるわけではありません。
このように恐ろしい、かつ重大な問題をあなたが持っておられることを自覚してください。これは絶対になおざりにできない重大問題です。しかも、この問題は私たち人間の力によっては絶対に解決できないのです。ところが、神様が私たちのために解決してくださったのです。
・では、どのようにして神は死と死後の裁きの問題を解決してくださったのでしょうか。
神は人を愛の対象として創造されました。そしてたとい人が罪を犯し神に反逆しても、なお人を愛しておられるのです。しかし、神は愛であられると同時に、きよく正しい方です。神はご自身のきよさのゆえに、罪を犯したものを処罰せざるを得ないのですが、愛ゆえにどのような罪人をも愛し、その罪を赦し、救う道を開いてくださったのです。聖書の中の有名な一節が、そのことを次のように説明しています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書・ヨハネの福音書3章16節)
今から約2千年前、神は、ご自分のひとり子をこの世に送ってくださいました。御子なる神が処女マリアを通して人間となられました。その方がイエス・キリストです。この方は十字架の上で、磔にされて死ぬためにこの世に来られたのです。イエス様は十字架の上で私たちの犯した全ての罪をご自分の身に負って下さり、私たちの身代わりとなって罪に対する神の刑罰を受けてくださったのです。
罪を犯した者を裁かなければならない神は、罪を犯した本人である私たちを罰する代わりに、ご自分の愛する御子を十字架の上で罰してくださったのです。実に神の御子イエス・キリストが十字架の上で苦しまれたのは、あなたの罪を赦し、死後に持っている永遠の地獄の刑罰からあなたを救うためであったのです。
神はこの御子を十字架の死から三日目によみがえらせ、この方こそ全人類のための、唯一まことの救い主であり、この方を信じる者がすべて、永遠のいのちを神からの賜物としていただくことができることを証ししてくださったのです。
神はこのように、驚くべき愛と恵みを示してくださっています。それはあなたが、死後の地獄でのさばきを逃れ、イエス・キリストを救い主と心に信じ受け入れ、神の子どもとされる特権を受けるためです。そして永遠に神の御国で生きることができるためです。神はこのように救いの道を備えて下さり、無代価で、恵みによって救って下さると、次のように約束しておられます。
「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(聖書・ローマ人への手紙6章23節)
「まことに、まことに、あなたがたに言います。私のことばを聞いて、私を遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」(聖書・ヨハネの福音書5章24節)
あなたはこう言われるかも知れません。「信じるだけで救われるというのはおかしい。救われるためには行いが必要だ。良い行いもない者が信じるだけで恵みによって救ってもらえるというのは間違っている。」いいえ、間違いではないのです。神が聖書の中でそう約束しておられるのです。ただし、人はまず、神を絶対的な主権者として認め、無神論や偶像崇拝が神に対する愚かで罪深い行為であることを認めなければなりません。そのうえでイエス・キリストを信じるなら、確かに信じるだけで救われるのです。
・では、どうしてキリストを信じるだけで救われるのでしょうか。
それには理由があります。
第一に、人を救うことは愛から出たことであり、神の働きであるからです。あなたのお子さんが池に落ちたらどうしますか。「〇〇ちゃん、これから良い子になりますか。もしお母さんの言う事を聞く良い子になるなら助けてあげます。良い子になると約束しなさい」と言いますか。「いいえ、すぐに飛び込んで助けます」と答えるでしょう。親が無条件で自分の子を助けるのと同じく、神は愛する者を信仰だけで救って下さるのです。
第二に、神の聖さが完全であるゆえに、神は御子の血による代価以外の、どのような代価によっても私たちの罪を赦すことができないのです。私たちがどれほど多くの涙を流して後悔しても、真剣に懺悔しても、罪を赦してはくださいません。神は主イエスの流された血によってのみ有効な罪の代価として認めてくださるのです。神は御子の血によってのみ私たちをお救いになることができ、私たちもただ御子の血によって救いを、神の賜物としていただくことが出来るのです。神があなたに求めておられる唯一のものは、主イエスを信じる信仰のみなのです。
第三に、救われるだけの資格を持っている者は誰もいないからです。私たちは救われる価値も、神に愛される資格もない罪人です。だれも、どのように努力しても、神の前に全く正しいと言われる人になることはできません。あなたは、努力によって救いを神から買うことはできません。神も救いを売っては下さいません。あなたは永遠のいのちを、神の恵みによるプレゼントとしてのみ、いただくことができるのです。
・では、私たちは主イエス・キリストが唯一まことの救い主であることを、どのようにして確信することができるのでしょうか。
それは聖書によってです。
第一に知らなければならないことは、神は全世界の人々のために、ご自分の御子をこの世界に遣わされるという偉大な計画を、天地の創造の前から立てておられました。そしてこのご計画をまずアダムに示され、その後、人類にその都度語ってこられたのです。
特に神は、今から約四千年前のアブラハムと彼の子孫であるイスラエル人に、このご計画を明らかにしてくださいました。今から三千五百年前に書き始められた旧約聖書の中には主イエス・キリストについての預言が約三百か所も書かれてあります。神の御子イエスがいつ、どこで、どの家系から生まれるのか、どのような生涯を送られるのか、私たちの罪を背負い、イエスを信じる者を救うために十字架にかかり、死なれ、復活されることも預言によって示され、神は文字通りに成就されました。
第二に大切なことは、主イエスがどのようなことを行い、どのようなことを語り、どのような方であられたかを、主イエスの四人の弟子である、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネが非常に記録してくれたことです。彼らは新約聖書の福音書を記録として書き残しました。特にマタイとマルコとルカは主イエスが十字架の上で死なれ、復活された直後に、すなわち主イエスの記憶が人々の脳裏に鮮明に残っている時に福音書が書かれたことは非常に重要です。福音書が小説でも創作でも物語でもない、真実な記録であることを示し、その福音書は当時の人々によって、主イエスの実録として認められていました。
つまり私たちは、主イエスの正確な記録を聖書の中に持っています。主イエスは聖書に書かれてある通りに、私たちの救いのために、天より来て人となられた神の御子であり、私たちの罪のために死に、三日目の朝に死の力を打ち破り、復活された救い主です。私たちは福音書によって、主イエスについて正確に知ることができ、この方を信じることができるのです。
主イエスの復活の事実は、聖書の証言だけでなく、歴史も証言しています。主イエスが十字架でしなれ、死後ただちに数百名の弟子たちが復活されたイエスを見たと大胆に証言し始め、エルサレムの町に主イエスを神、救い主と信じる数万の人々の教会が誕生した重要な事実、歴史があります。
当時、主イエスの復活を信じない者たちは、「イエスの弟子たちがイエスの死体を墓から盗んだに違いない」と言いました。主イエスの墓が空っぽになったのは、主イエスが復活されたか、弟子たちが盗んだかのどちらかでした。もし後者なら、弟子たちは復活が嘘や作り話だと分かって命がけで世界に伝え、死んでいった、殉教したことになります。そのようなことが出来る人がはたしているでしょうか。絶対にいません。キリストの弟子たちが心から主イエスを信じ、敬虔な心で敬ったことは歴史も証言しています。イエス・キリストは事実、復活されたのです。キリストの使徒パウロの証言を引用します。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてある通りに、私たちの罪のために死なれたこと。また葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、3日目によみがえられたこと。また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。その後、キリストはヤコブに現れ、それから全ての使徒たちに現れました。そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。」(聖書・コリント人への手紙第一 15章3~8節)
主イエス・キリストがまことの救い主であられることに間違いはありません。主イエスことあなたの救い主です。あなたも主イエスを信じ受け入れ、救われてください。
「渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。」(聖書・ヨハネの黙示録22章17節)
※ 約12分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。
神の御子イエス・キリストは、罪深い人間の身代わりに、十字架で死なれ、死の力を打ち破ってご復活されたまことの神、救い主なる御方です。
- 特別聖書集会のご案内 -
香川県高松市の高松木太キリスト教会で聖書集会を行います。
4/22(金) 1回目 19:30~
4/23(土) 2回目 14:00~ 3回目 19:30~
4/24(日) 4回目 10:00~ 5回目 14:00~
是非お近くの方は「聖書のみことば、罪のゆるし、死後のさばきからの救いのメッセージ、福音」を聞きにお越しください!
皆様にとって一番大切な聖書の福音、救いについて語っています。是非ご覧ください。約11分です。
(メッセージ:東古松キリスト教会 河田牧師)
救いの福音のメッセージ文書版です。是非お読みください。
イエス・キリストは、皆さまを救う救い主です。人形劇を行いました。お子様と一緒にご覧ください。
是非これを読まれた方が主イエス・キリストを信じ救われることを心より願っております。
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イグアスの滝(自分で撮った写真です。)悪魔の喉笛です。
~一番ポピュラーな、悪魔の喉笛の由来は、その下の岩に打ち付ける滝の音が、悪魔が唸り声を上げている様に聞こえるから...~





