リバイバルを伴う改革
多くの心の中で、ほとんど霊的な命の息がないように見える。これはわたしを非常に悲しませる。わたしは、世と肉と悪魔に対する激しい戦いが維持されてこなかったのではないかと恐れる。わたしたちは半分死んだキリスト教によって、世の不信心にあずかり、その誤謬に微笑みかけながら、利己的で強欲な世の精神を声援するのであろうか。否!神の恵みによって、真理の諸原則に固く立ち、わたしたちの始めの確信を終わりまでしっかりつかもうではないか。わたしたちは「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え」なければならない(ローマ12:11)。 わたしたちの主人は一人であり、キリストであられる。このお方をわたしたちは見ていなければならない。このお方からわたしたちの知恵を受けなければならない。 このお方の恵みによって、わたしたちは自分の尊厳を維持し、柔和と悔悟のうちに神のみ前に立ち、世にこのお方を表すのである。
わたしたちの諸教会で説教が大いに要求されてきた。教会員は聖霊の代わりに講壇の熱弁に頼ってきた。求められず、用いられないために、彼らに与えられてきた霊的な賜物は、衰え弱くなった。もし牧師が新しい伝道地へ出ていくので あれば、教会員は責任を負うべきであり、自分たちの能力は用いることによって 増し加わる。
神は牧師や民に霊的な弱さの重い責任を問うて、次のように言われる、「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。 また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい」(黙示録3:15-18)。神 は霊的なリバイバルと霊的な改革を求めておられる。これが行われなければ、なまぬるい者たちはますます主にとって嫌悪を催すものとなっていき、ついにはご自分の子として認めることを拒まれるようになる。
リバイバルと改革が、聖霊の表れのもとに起こらなければならない。リバイバルと改革は二つの異なることである。リバイバルは霊的な命が新たにされること、思いと心の力がよみがえらされること、霊的死からの復活を意味する。改革は再組織、考えと理論、習慣と慣習における変化を意味する。改革は御霊のリバイバルと関連していない限り、義の良い実を結ぶことはない。リバイバルと改革はそれぞれ定められた働きをなすべきであり、この働きをなすことにおいて混ぜ合わされなければならない。(セレクテッド・メッセージ1巻「16章リバイバルへの召し」より127, 128)