「自己啓発」好き嫌い?そもそも自己啓発の定義からしてくれ! | 人財発掘プロデューサー「埋もれた光を世に輝かせよ!」

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先日自己啓発嫌いという人と話をする機会があった。

 

もちろん嫌いという言葉を言うというより、

自己啓発なんて、非科学的。的な発言なんだよね

そして自己啓発が嫌いな理由をいろいろ説明する。

 

そして実は、

それは僕もハゲドウな、かなりもっともな意見だったのだ。

 

ただし、そのような人たちに限って、

「自己啓発」って何??という定義をしてくれない事が多い。

 

⚫自己啓発を辞書で調べる

ということで、自己啓発の辞書的な定義をいくつか調べてみた。

 

Wikiでは、

 自己啓発(じこけいはつ)とは、自己を人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為である。
「より高い能力」「より大きい成功」「より充実した生き方」「より優れた人格」などの獲得を目指す。
出展:Wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/
 

コトバンクでは ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典からの引用、

 

仕事に関する知識,技能,経験などを他律的な形式に支配されずに自主的に向上,啓発していくこと。潜在的な能力を啓発したり,新たな技能,知識を身につけようとする性質は本来人間にそなわっているものと仮定し,自分から進んでこれを実現しようとするのを援助して,従業員の意欲を高めるとともに仕事の遂行能力を伸ばそうと意図したのが自己啓発の制度である。その方法としては自己研鑽のほか,教育研修や能力開発への参加,参画的経営,自己申告制,職場ぐるみの訓練などがある。

 

デジタル大辞泉では、

自己啓発は、本人の意思で、自分自身の能力向上や精神的な成長を目指すこと。

出典:小学館デジタル大辞泉

 

大辞林第三版では

自分自身の潜在的な能力を引き出すための訓練。

出典:大辞林​​​​​​​

 

 

⚫自己啓発の定義

もし「自己啓発」を嫌いだったり、否定したり揶揄する人達の自己啓発の定義が、

WIKIやブリタニカなどの辞書の言うような、

 

自発的で自由な意思で、能力向上や精神的な成長を目指し

知識、技能、経験を身につけ研鑽する事。

 

具体的には、多分本人の自発的自由意思で、読書、研究、仮説、検証、データ蓄積、

その仮説の検証が及ばない事象に関しては行動し改善しながら成長していく事。

 

というような事なんでしょかね??

 

もし、これが自己啓発の定義であるとすると、

自己啓発否定論者の批判する論旨が、時折、ちぐはぐに聞こえる事がある。

 

 

⚫クリス的自己啓発の定義

なぜなら、自己啓発の定義が

 

自発的自由意思で、読書、体験、調査などから、

 仮説、測定、観察、分析などを実施して

 知見・体験・情験を蓄積し、

 知識的、技術的、精神的に成長する事。

 

 仮説の検証が及ばない事柄に関しては、

 予測し行動し改善しながら、

 自ら望む結果に向けて成長していく事。

 

(こいつをクリス岡崎の自己啓発定義としよう。)

 

 

⚫実験と検証の限界

実際サイエンスが仮説を立て、検証し

仮説を裏付けられる結果が出せるものは、

宇宙の1%も無いのではないだろうか?

 

(仮説の数が無限であれば、

 実験不可能=検証不能なものも無限になるしね。)

 

だとすると、

自己啓発=成長&向上だとすると、

自己啓発を批判する人は、成長や向上を批判しているのかね。

 

でも実際には、そうは思えないよ。

多分「広義の自己啓発」と「狭義の自己啓発」の定義の相違があるのだろうね。

 

 

⚫言葉の捉え方は人それぞれ

 

宗教と宗教商売が違うように、

自己啓発と自己啓発セミナー商売も違う。

 

マルチまがい商法をマルチと言ってしまってるのと同じぐらい

悪魔祓いを悪魔と呼んじゃうぐらい正反対。

 

そこらへん、違いの定義から入って欲しいと思うのだ。

 

これコーチングで最初にする事。

相手の使うワードの意味付けに違いがないか見極める事だから。

 

ただし、そのような自己啓発を批判する人の意見は

僕も同意する事が多い。

 

 

⚫グローバルビリーフ

ただアメリカ人はどーだこーだ。とかゲイはこうだ。とか

女ってみんなこうだ。とか大雑把なくくりで話をする前に、

もう少し定義を明確にしてからのほうが賢く見えると思う。

アメリカ人も多種多様、ゲイも多種多様、男も女も多種多様なのだ。

 

ちなみにこういうのはグローバルビリーフというのだが。

パターンにハマってしまっていると、自分に気づきにくくなるね。

 

⚫なごや

名古屋に住んでいた頃、ちょっとほころびたカバンがあって、

それをスタッフに修理するようにお願いした事がある。

ちょっとした修理なので、その人なら多分10分もあれば出来るレベル。

 

「2日後に出かける時までに、直しておいてね。」と聞くと

「はい、わかりました。」と快諾してくれた。

 

しかし2日後出かける時になって、カバンを探すと何処にもない。

 

クリス:「あのカバン直しておいてくれた?」と聞くと

スタッフ:「あの、限界の横の棚にあります。」

 

見つけたカバンは見事にそのまま。全く修理されていなかったのだ。

 

クリス:「直して!って言ったじゃない。」

スタッフ:「はい、すぐになおしました。」

ク:「でも全然直ってないよ。ほら、ここ!」

ス:「え、でも棚に入ってましたよね。」

ク:「棚にはしまってあったけど、全然直ってない」

ス:「あれ?今直っていたといいましたよね。」

 

僕は直す=修理する。

でも名古屋に彼女にとっては

直す=しまう 時々修理する。

だったのだ。

 

一体誰が悪いんだ?

そんな事はどうでもいい、何を学んだかだ。

大事な事は、「言葉の定義を共有する事」と学んだ。

 

⚫結論

プロの会話は、相手と言葉の意味付けや定義をあわせてから。

なんて事を考えた。