中山ひとみは菊地英治が少し照れたように笑って「ずっと好きだった」と言ってくれる場面を、何百回と妄想してきた。現実ではそんな告白は一度もなかったけれど、それでもひとみは諦めきれなかった。だから今、目の前で彼が膝をついて小箱を開いた瞬間、胸が張り裂けそうになった。

「ひとみ。俺と結婚してくれ」

指輪はシンプルで淡い紫の石が埋め込まれている。それを見たひとみは涙で視界が滲む中、震える声で答えた。

「……ほんとに!あたしも英治さんのこと……」

英治は柔らかく微笑んで、ひとみの薬指にそっと指輪を滑らせた。冷たい金属が肌に触れた瞬間、ほんのわずか――本当に一瞬だけ――何かが違和感として脳を掠めた。でも喜びがあまりに大きくて、ひとみはその感覚をすぐに飲み込んだ。

「ありがとう、英治さん……本当に、本当に……」

言葉の途中で、指輪が動いた。最初は錯覚だと思った。指の付け根で何かが蠢いた気がしただけだ。でも次の瞬間、金属の冷たさが急に柔らかく、ぬるりと変わった。

「――え?」

見下ろすと、そこにはもう指輪などなかった

代わりに、細長く黒光りする鱗の帯がひとみの指に巻きつき、その先端はすでに彼女の腕を這い上がっていた。蛇だった。赤い瞳がこちらをじっと見つめている。
「ひっ……!」
ひとみが悲鳴を上げて腕を振った瞬間、蛇はするりと抜け出し、宙を跳ねるようにしてひとみの首に絡みついた。鋭い牙が皮膚を貫く。焼けるような痛みが走り、同時に冷たい毒が血管に流れ込む感覚がした。
「英治さん、助けて――!」
すがるように見上げた先で、英治は静かに立っていた。いつもの優しい笑顔のまま。けれどその瞳には、もうひとみに対する温かさは何一つ残っていなかった。
「お前にはそれがお似合いだよ」
低い、ほとんど愛情のない声。ひとみは首に食い込む蛇の締め付けで息が詰まりながら、それでも必死に問いかけた。
「どうして……? どうしてこんなこと……」
英治は答えなかった。ただ、ゆっくりと軽蔑するような目でひとみを見下ろした。
そして、次の瞬間――彼の姿が霧のように薄れ、溶けるように消えた。辺りには誰もいなくなった。ただ、暗がりの中から、ざわざわと這う無数の気配が近づいてくる。ひとみの足元に、黒い蛇たちが波のように溢れ出し、彼女を取り囲んだ。舌をチロチロと鳴らし、獲物の体温を確かめるように近づいてくる。ひとみはもう声も出せなかった。毒が全身を巡り、四肢が痺れ、視界が徐々に暗くなっていく。