今朝、ベイ・シティ・ローラーズのレスりー・マッコーエンさんが天国に召されたことを知り驚きました。
自分たちの世代のアイドルという意味では、西城秀樹さんの時と同じようにショックです。
若いのに・・・なぜ…。
ベイ・シティ・ローラーズは、外国のアーティストながら、日本でもトップを誇るアイドルだったことは間違いありません。
それぞれのメンバーのファンはいるもののレスリーは、その中心。
イギリス系の男性グループアイドルのその後・・・
ワム!、デュラン・デュラン、テイク・ザット、ウエスト・ライフ、ワン・ダイレクションなど、さまざまなアーティストが大活躍しましたが、70年代はベイ・シティ・ローラーズ。
1970年代中盤、ビートルズ以来、もっとも成功したイギリス出身の男性グループと言えましょう。
彼らの成功で、バスター、フリント・ロック、ショーティ、デッド・エンド・キッズ(B.C.R前座グループ)など、外国人男性アイドル・グループは、最近でいう韓流状態でした。
加入や脱退などが頻繁に繰り返されたベイ・シティ・ローラーズも、76年~77年、レスリーがいたから危機を乗り越えられまたといえましょう。
とにかく、レスリーは正統派のハンサムなルックスで日本中のファンを魅力しました。
どれだけの凄い人気であったかの、ひとつの参考になるものがあります。
それは、1977年に行われた雑誌『平凡』の人気投票。
男性部門の1位は、郷ひろみさんで47328票。
女性部門の1位は、山口百恵さんで50900票。
外国人アーティストも大人気で、オリビア・ニュートン・ジョンが女性部門8位、キッスが男性部門11位でした。
しかし、ベイ・シティ・ローラーズの名前はありません。
が、実はベイ・シティ・ローラーズは、58762票を獲得し、男女部門を通して実は、事実上の第1位だったのです。
それが、1位ではなく、特別人気大賞という形になったのは、
先にふれたメンバーの脱退などが理由でした。
関係ないよ・・・と、当時、ずいぶんと私のまわりでは女の子たちが怒り心頭でした。(笑)
とにかく、ファッション的にはチェッカーズさんにつがれるタータンチェック旋風はハンパありませんでした。
当時、錦糸町にあったブロマイドサービスセンターなどは、ローラズ・ファンでいっぱいという状態。(『マルベル堂』ではプロマイド)
ローラズ・フレンドリー・クラブがあったからですが、1976年の日本武道館公演から1977年の日本武道館公演が、日本のピークでした。(ファンクラブは別で、問い合わせ先が頻繁に変わった。(洋楽では当時は普通))
チケットぴあもインターネットもない時代・・・缶バッヂをカバンにつけた女子学生の多かったこと・・・。
アナログ時代のスターの人気の空気感は、今の若い世代には・・・なかなか伝えるのが難しいのですが、
時代、世代に関係なく、アイドル、スターの死というものは、本当に寂しく…哀しいものです。
イギリス出身のアーティストでここ数年、旅立たれた方々を思い浮かべると…何とも言えない気持ちになります。
また、後ほど。
※『近代映画』の歌本。レスリーのみの写真が表紙。