男女別トイレの廃止・・・。
そちらの方向にいきますか…。
サンフランシスコの小学校の話ですけれど、
トランスジェンダーの方々も含め…つまり…性は平等・・・という考え方の教育らしいのですが、
それはどうですかね…。
小学校で・・・。
物凄く難しく、複雑な内容ですが、議論しても答えが出ない議論になるかもしれません。
同じ学校ではありませんが、トランスジェンダーの学生が、女子用のトイレ、更衣室を使って、
他の生徒がこれに反発し授業を150人もボイコットした例も最近あるとか・・・。
私は、4月に文部科学省が性同一性障害の子供たちに対しての具体的対策をしていくとすることに対して、
物凄く不安をおぼえたのでブログにその思いを書きました。(4月30日)
しかし、教育評論家の方にテレビを通し、「そんな心配は一切ない、文部科学省も教師も大丈夫!」とバッサリと一方的に言われてしまいました。
いかにも、教育評論家の方らしい理想論に基づく発言でしたが、逆に失敗が目に見えるようなご発言とも言えるかもしれません。
そもそも、こういう問題は教育者の域をこえている問題であり、
自分たちは教育者だから任せろという考えが・・・甘いとしか言いようがありません。
海の向こうの話ですが、やはり問題が起きているようです。
私は、教師ではありませんが、このことに関しては、
やはり、文部科学省の方々や先生方には、あまりに荷が重すぎる問題であり、
やるべきことが他にあるのではないかと思います。
これは、個々に違いすぎてひじょうに根深いものがある問題ですから。
日本での形から入ろうとする性同一性障害の子供たちへの具体的対策は、
危険が多すぎて、子供同士がかえって傷つくことになりかねないと、私は今でも考えています。
4月のブログにも書きましたが、私個人の考えは、
やはり・・・酷なようですが、一生、自分自身との闘いだと思います。
哀しいけれど、差別はなくなりません。
あきらめない面を持ちながらも現実的にそう考えるべきです。
差別は、色の違いとか、性の違いとか・・・結局、ただのキッカケにすぎません。
いつの時代もなくならないもの。
それが人間という生き物のような気がします。
一生の闘いの心の準備は、自分自身で自分自身の環境の中で作っていく以外、方法はないともいえるのではないかと個人的には考えます。
人種でさえ、いつまでもなくならない差別のことを考えれば答えは明らかかと…。
文部科学省から各学校、各教師・・・各タイプの生徒…親・・・。
噴出する問題が目に見えてくるようです。
もうその段階でやはり無理があると思います。
理想論の丸投げは、今のうちにやめたほうがいいと思います。
個々に対する対応が、今、出来ていないなら、マニュアルなんかもうけても無理だと思いますので。
それほど繊細なことですから。
写真は、ベルサイユのばら。
蕾が開いてきました。
さて、本日は夜8時から『クリス松村の「いい音楽あります!」』(ラジオ日本)の放送があります。
ラジコ、スマートフォンでも日本全国お楽しみいただけます。
放送をお楽しみに!
今日も元気にいきましょう!