罪と慈悲と人間愛と欲望 | クリス松村オフィシャルブログ Powered by Ameba
午前中のニュースを見ていて、個人的には驚いたことがありました。





アメリカの人種差別だと思われる銃乱射事件で亡くなられたご遺族。





裁判所に出廷してきた、犯人の男に対し、





少なくとも2家族が、「私はあなたを許します」・・・と発言している法廷の映像が流れました。





裁判が始まるのが早いのにも驚きましたが、事件が起きてから日もたっていないのに、





許す・・・という発言に驚きました。





ある意味、凄いなと思いましたが、人の考え方はそれぞれだなとも思いました。





そして、イギリスの空港に着陸しようとしていた航空機から落ちて死亡した人がいたニュース。





要するに勝手に飛行機に潜り込んでの事故ということですが、





落ちたのは密入国の犯罪を犯した人間・・・でもあるわけです。





しかし、市民のインタビューでは、





環境に恵まれない人たちが死をかけてまでも他国へ逃れようとしている今の世界情勢・・・





そういう視点で語っていました。





なるほど・・・そういうことは、もちろん理解出来るけれども・・・その視点で語ることが、一番最初にくるのか・・・





そういうふうに感じました。





これも考え方はいろいろだと思います。





人は命の重さは平等であるべきで、差別があってはならないですし、





困っている人々がいたら助けるという考え方が大切です。





ただ問題は、その考えに基づいた善の考えを受けた後の犯罪を犯した人々の行動・・・かもしれません。





その後、そういう犯罪を犯した人々、環境を一時的に助けた後の人々は、どうなってるのか・・・ということ。





少年Aの本の出版問題でも私のような否定派もいれば、





真実を知るという意味で重要だとする肯定派もいて、





人の考え方、価値観はさまざま。





ただ、彼が犯罪を犯して、罪もない命が奪われ、奪った側は命を少年法の名のもとに助けられた・・・という事実もあるわけです。





この本の出版は、その人間愛の上に立った慈悲で助けられた命のその後の行動でもあります。





私は、賛否両論を起こしている時点で、少年Aと呼ばれる人物、出版社は間違った行動をとったと思います。





もし、ご家族がこの本のことを事前に知って、読んで、理解した上で出版されていれば、





ここまでの騒動にはなっていないと考えられるからです。





つまり、本を書いた少年Aと言われる人物も出版社も安易な考えで行動を起こしたということに結果的になると私は考えます。





慈悲を受けての発信が、自分たちの立場の説明と欲望。





奪われた命を第一に考えていない真実と語る発信を、一般人が知る必要とは何なのでしょうか。





そんな危ないサンプルを巻き散らかす必要が、どこにあるのでしょうか?





命が平等というなら、本来、少年Aはこの世にはいないはず。





自分の立場の発言など今さら出来ないはず。





亡くなれた方は、何も発言出来ないのに、これを平等というのでしょうか。





人間が人間らしい判断の慈悲で助けたものを・・・。





謙虚に生きていれば良かったものを・・・。





新しい名前も与えられたわけですから。





ひっそり本名を語れぬまま、一生、祈りだけを捧げていれば良かったはず。





本の増刷?





ここに真実が見えます。





真実を明かす必要性というなら、本の貸し出しという扱いだけにしておけばよろしいと思います。





急ぐ必要性は無です。





これだけの騒動、議論がある中の増刷判断は、別の意味での事の真実が見えた…といえるでしょう。





欲望という名の真実。






本の増刷・・・これは人々の慈悲を踏みにじる、愚かな行動だと私は思います。





増刷・・・信じられません…。