今日は暖かいですね・・・
なんて、のんびりしたブログをあげようと思ったら、
無視出来ないニュースが・・・。
「体外受精で生まれた子供は、借り物の子宮から生まれた「合成児」」。
これは、イタリアのファッションブランド「ドルチェ&ガッバーナ」のデザイナーのお二人の発言。
これに怒ったのが、歌手、エルトン・ジョンさん。
世界的に社会的地位も高い彼は、男性と結婚し、体外受精した子供もいます。
これは、許しがたい発言です。
デザイナーのお二人が、おっしゃられている考え自体は、私は理解はできます。
要するに、赤ちゃんは授かるもので、自然にまかすべきだということ。
このことに関しては、「死ぬ」ということまで、いろいろな価値観と考え方があると思います。
今回は「生まれる生命」に対しての発言ですが、
日本語訳の報道を信じれば、「借り物の子宮」「合成児」という悪意に満ち満ちた、あるいはかなりの軽率な発言が、許しがたい発言だと思います。
「合成児」という完全な差別発言は、かなりの問題だと思います。
人工的な力で生まれてこられた生命、人間の全てを侮辱する酷い言葉です。
今、インターネット、Twitter類を使う方が多く、その気軽さに慣れすぎて、
言葉というものを慎重に選ぶことを怠っているケースが目立ちすぎるのではないか…と個人的には考えています。
日本においても、テレビのコメンテーターをされているお若い方が、子供のことを「個体」と発言したり、
最近では、大変著名な放送作家ご出身の作家の方が、
私のようなマイノリティを指して、マイノリティの愛の表現を
「変態」という言葉を交えてつぶやかれました。
発言を取り消されたようですが、物凄く傷つき、怒りを覚えました。
教養のある方の深い発言であっても、今のこのインターネット、Twitter世代の方々に向け流れ出すと、
意味深い言葉もどんどん間違った伝言ゲームになり、
おもしろおかしく拡散していくことを計算されていない軽率さを感じます。
ネット社会、一度流れれば、本意でないことも、嘘も間違えも永遠に流れます。
傷ついた・・・と申し上げましたが、正直、私は慣れています。
この程度の発言、個人的会話であれば、笑って話すことも出来ます。
しかし、間違えのポイントは、著名な方の発言だということ、
ネットに流れる発言には責任があるということです。
すぐに取り消すぐらいなら、最初からそんな発言はしないでいただきたいと切に願います。
また私たちがオモチャのような程度の低いお笑いの「個体」扱いをされるのですから。
バラエティーにおいても本人達がいる場所での遊びと、いない場所での遊びは、わけが違います。
話が広がってしまいましたが、
両者の主張は理解できますが、
ファッションデザイナーの方の言葉の選び方が軽率すぎるということが、許しがたいことです。
子供が欲しくても出来ない方々のお気持ちを自分たちの個人的主張のために苦しめた罪があります。
大変、デリケートな問題なのにも関わらず、時代を映すファッション関係の方々が発言する発言としては、愚かな発言だと、
私、個人は思います。
大人が責任ある発言をしなくて、どうやって子供たちに責任というものを教えられましょう。
写真は、花束でアレンジとしてついてきた葉っぱです。
花瓶に薔薇と一緒にしていたら、根が出てきたので捨てられず、
9ヵ月間、育ててきました。
生きる力を見たからです。
今日は、久しぶりに外に出しました。
また、後ほど。