何年ぶりだろう…30年かな…いやもっと。
寮長さんに何て説明して入れてもらおう…
そんなことを考えながら目的地へ。
そこを左に!
さあ、いよいよ!!
あれ・・・あれ・・・フェンスで覆われている…
窓ガラスもない・・・
前で工事をしていたので、現場の方に聞くと…
確か・・・2、3年前に閉鎖しましたよ。
いよいよ取り壊しが始まったところです。
そうなんだ…取り壊し…。
ここは、私が初めて親元を離れて生活した場所。
外務省の指定育英寮。
親が海外に赴任している間、住める学生寮でした。
中学生から大学院生までの男子だけの寮。
右側の低層の建物は、卓球室で廊下を挟んだ向こう側がテレビ室。
その間にコーラの自動販売機がありました。
確か、60円の瓶コーラでしたが、お腹が空いた時には、
この60円のコーラを飲んで、お腹を満腹にしていた時もありました…。
見かねた大学生の先輩が、カップラーメンや外食に連れて行ってくれました。
何でそうなるの?って・・・
うちは、かわった家庭でね・・・贅沢はいけないから、子供にお金は渡さないという考えだったんです。
食べ物は、決められた食事だけで十分という。
そんな極論の中、頑張って暮らしていた自分を思いだします。
だって、育ち盛りでしたからね。
いい先輩たちがいなかったら…どうなっていたか…。
こちら側の左側の低層の建物は、寮長さんの住まいと下がお風呂でした。
緑の木々に覆われているあたりが、私のいた部屋。
寮の生活に慣れてからは、いたずらをいっぱいしました。(笑)
冷房もなかった寮、あの時は・・・暑さにイライラしたのと、
自分の部屋に貼ってあった山口百恵さんのポスターを寮長さんに破り捨てられて
怒りが頂点でした。
こういう、教育上よくないものをお父さま、お母さまが許すわけがない…って・・・
結局、もっと悪くなっちゃいましたけど。(笑)
今だから言えることですね…
子供がぐれたり、反抗したりするのは、何かのサインなんですよね…。
この奥には、運動出来る場所もありました。
母親に連れられて、くぐったこの門・・・不安でいっぱいでした。
イヤでしたね…
イギリスのボーディング・スクールでいじめられた思い出がトラウマになっていたんでしょう。
でも、ここを出て行く時は、寂しくてね…
退寮後に何度となく通いました。
通ったのには、理由があったんですけどね…(笑)。
それは…秘密!
この思い出の建物のまわりも大規模に工事中でした。
建物が残っている時に来れて良かった!
私の青春の大きな大きな1ページが、ここにあったんですから。
ここ四半世紀は、寮生の誰にも会ってないな・・・
いやいや・・・それでいいんです!
思い出の中の若い姿が一番!一番美しいんですから。
しかし、思い出の建物がどんどん消えていくのは、本当に寂しいな…。
皆様、また明日!!