教師失格 | クリス松村オフィシャルブログ Powered by Ameba

中学生の焼身自殺。



このニュースを最初に聞いた時、しばらく動けませんでした。





なんてかわいそうな・・・。





テレビの報道では、「いじめはない」との学校側の会見。



「またか」とスグに感じました。



その後、一転「いじめがあった」という学校側の回答に変わりましたが、



毎度毎度の否定から入る学校側の会見はいったい何なのでしょう?



教育者以前の問題で、私はそういう会見をする教師と名乗る者を



人間として否定したいと思います。



こういう会見をする背景。



自分を守るためで、子供や学校を守るためではありません。



事件が起こる度、「命の大切さを教えている」と



どこの学校でもロボットのような答えをしていますが、



そんな学校に命の大切さなど教えられるわけがありません。



いじめられている子供が何も言っていなかった?



よくそんな事を堂々と会見で言えたものです。



「私はいじめにあっています」なんて



いじめにあっている子供は言いません!



プライドの高い子供ほど言わないものです。



朝、母親の顔を見て、



夕方、家に帰って母親の顔を見て、



自分が学校で嫌な目にあっているなんて、どうして言えるでしょう。





言えばいい?



言わなきゃわかんない?




そんな事を言う大人は、想像力に乏しすぎます。



まして、それが教師であれば、教師失格です。



母親が愛情をこめて作ってくれたお弁当を捨てられたり、



母親が洗濯してくれた体操着を汚されたり、



そんなことをされたりしても、いじめられている子供は我慢しているんです。





たった一人で・・・。





成績が悪いことよりも、運動ができないことよりも



いじめにあっているということが、いじめられている子供にとっては、



何よりも悔しいことなのです。



学校に笑顔で送り出してくれた母親に「自分はいじめられている」なんて



そんなこと言えますか?



今回の事件も集団でいじめられていたとのこと。



子供という生き物は、残酷なことがまだ平気な出来る生き物です。



そういうことも成長の過程では、必ずあることで、



今後も絶対になくなることはないでしょう。



今の学校に何がないのか?



生徒たちの中の助ける集団がないのではないでしょうか?



いじめる集団もあります。



しかし、助ける集団があってはじめて子供達は成長していくのです。



もし助ける集団が子供達の間で生まれていない状況ならば、



それは、現在の家庭、学校の教育が悪いと言わざるえません。



「君が代」を歌うとか歌わないとか、そんなことをつべこべ言う前に



目の前にある大人としての責任を「教師と名乗る方々」には、



全うしていただきたいと思います。



今、私は30年以上前の自分を思い出しています。



今は、強くなりました。



今は、母親にも笑って話せます。



でも、きっと、この間、強くなれずに



自ら命を絶った子供達がいるのかと思うと、



ほんとうに心が張り裂けそうな気持ちになります。



教育を教師に任せられない時代になっています。



大人が全員で教育に参加すればいいと思います。




このブログを読んでいる学生の皆様は、



ぜひ、助ける人であってください!!





私も仲間に助けられたあの時があって今があります。



そして、



中村雅俊さんの「海を抱きしめて」も心を助けてくれた歌でした。