ウインドウズ95が発売されて、インターネットの普及が始まった頃(もっと前でしたはてなマーク)、ネット上でドラえもんの架空の最終話が出回ったことは、多くの方が知っておられますよね!?



ある日、ドラえもんが故障して動かなくなり、困り果てたのび太は泣くのをやめて一念発起し、大人になって科学者になり、故障したドラえもんを自分で修理する、という例の話です。

そして、科学者になったのび太は、再び元気になったドラえもんをタイムマシンで子供の頃の自分に送り届けるという。。。



私も、この最終話を知って、感動してしまった一人ですニコニコ



6,7歳の頃、私はドラえもんが大好きで、ドラえもんの本ばかり読んでいました。

私はこれら6冊の本を毎日何度も繰り返して読んでいました。



そして、いつの間にか漫画と現実の境目がなくなり、家の近所をうろうろしてドラえもんを探したり、机の引き出しの中に入ろうとしたり。。。

ちょっと痛い子供ですよね。



そんな私も、ドラえもんのことをいつの間にか忘れて中学生になり、高校生になり、あっという間に年を取り、気が付いたら三人の甥と一人の姪を持つ年齢になっていました。


ある日、二人の甥が私の家に遊びに来ました。このとき、彼らは2歳と4歳。


 彼らが私に「絵を書いて遊ぼう」というので、私も一緒に絵を描くことになりました。



しかし、私は、絵と字が大の苦手。

私が階段を描こうものなら、あのエッシャーに負けない空間錯誤を作り出し、字を書けば小学生にも笑われます。



でも、そんな私にも、ひとつだけ、まともに描ける絵がありました。

幼いときに好きだったドラえもんです。

あまりにも好きだったので、ドラえもんだけは描けるようになっていたんです。

まぁ、丸をいくつか描けば、ドラえもんになるんですけどね。



それで、私は、甥たちに、ドラえもんを描いて見せてやりました。


 すると、彼らは、

「○○くん、すごーい!! 」

「ドラえもん、うまいー!!」

と、驚きの声を。

ちょっとした優越感チョキ


ちなみに、「おじさん」とは呼ばせておりません。



そして、甥達は、必死にドラえもんを書き始めました。

「教えて。教えて。」の声に、私もまんざらではありません。

職場では、絵と字が下手な人で通っているにも拘わらず、甥たちの前では絵の先生です。



彼らは、一生懸命にドラえもんを描き、大先生と同じレベルに到達しようと必死です。

そして、とうとう、二人とも、最後には、何とかドラえもんのように見えなくもない絵を描けるようになりました。

本当を言うと、弟のほうは、どう見てもドラえもんではありませんでしたけど。



そして、このとき以降、私の誕生日には、彼らは、毎年手描きの誕生日カードをくれます。

そのカードには、毎年毎年、必ずドラえもんが描かれています。

彼らに描ける絵がドラえもんだけなのか、私がドラえもん好きだと思われているのか(まぁ、間違ってはいないんですけど)。



彼らが2歳と4歳のときは、ふにゃふにゃなドラえもん。

3歳と5歳のときには、ひげの無いドラえもん。

4歳と6歳のときは色付きのドラえもん(やっぱり、ひげ無し)。

5歳と7歳のときは、お兄ちゃんが描いたドラえもんは、ついに本物と変わらない立派なドラえもんになっていました。



私は、これらの誕生日カードが捨てられなくて、全て机の前の壁に貼っています。



いま、私の部屋には、

ふにゃふにゃなドラえもん、

ひげの無いドラえもん、

色付きのドラえもん(ひげ無し)、

立派なドラえもん、など

多くのドラえもん達がいます。


そして、私は、壁のドラえもん達を見て、

やっぱりドラえもんは本当にいたんだ」

と、気付きました。


幼い頃、私は、家の周りでドラえもんを探しても見つけられませんでした。

タイムマシンにも乗れませんでした。



しかし、何年も何年も掛かりましたが、私は今、やっと、ドラえもんを見つけました。




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