ぐるっぽオフ会の詳細レポをば UPしますぞぃ!
こちら集合場所の目印の“六番櫓”
往時は雁行の横矢ごとに櫓が配してあって、奥から順番に7つあったんですって。
赤い丸がついてるとこをよーく見ると穴が開いてます。
えーっとね(←カンペ
「石垣の上から15mくらい下方で、堀の水面からは8mくらい上方に位置。
現在では2mほど進むと崩壊していて、それ以上は進めなくなっている。
穴の大きさは約1m角」・・・だって。
高知城には排水溝があるんだけど、それとは違うのかなぁ?
あ、でもこっちは突起があるけど、大坂城のは穴が開いてるだけですね
高知城の排水溝
(個人的にはコレ、排水溝が邪魔して石落としが機能しないと思うんだけど?)
崩れたというわけじゃなくて、最初から開けてある感じですよね。
崩れたらこんな感じになっちゃうもん↓
うん、謎ですな!
続きまして~、
ここでの疑問。まずは土塀の色。
漆喰が剥がれ落ちたのかと思ったんだけど、それにしては四角くなってて不自然ですよね?
この部分だけ修理工事して、漆喰だけ塗らなかったとか?
あと、狭間で気になることがあるのですが、これはまた後日取り上げます。
松永弾正こと松永久秀が発明者で、初めて使われたのが多聞城だったため“多聞櫓”と呼ばれます。
でも確か名づけられたのは明治時代です。
ここで気になったのは、枡形の方向。
たしか、横矢をかけるのに都合が悪いから左に曲がるのは暗愚の縄張りだと、
どこかで読んだ気がするのですが・・・?
あ・・・でも小田原城の銅門も左に折れてますね。
でも江戸城の桜田門は右に折れていますし、名古屋城の正門も右に折れています。
珍しく真面目に(?)細かく(?)レポしてる自分がなんか新鮮
小田原城の銅門の画像アップロードしてあると思ったらないんだもんw(=端折った)
小田原城のほうが思い入れがあるのに、
そのときに枡形のことに気づかなかった自分にショックだよ
記事ももっといろいろ書こうと思えばかけただろうに・・・。
だいぶ端折ってごめんなさい、早雲さま。